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思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

阿久悠の周辺5

(4からの続き)

ピンクレディーは「カメレオンアーミー」の次には、翌79年、同じく阿久悠作詞の「ジパング」をリリースした。しかし私は、それをデビュー曲「ペッパー警部」以来の10曲の社会的影響力を与えたものに含めない。
理由は、社会的な理念闘争状況を描かなかったことにある。ペッパー警部、男という狼、常識という当然面など、対立するものとの社会状況が「ジパング」以前には描かれていた。最後の「カメレオンアーミー」では、狼らに忠告を投げかけていたし、【あなた】と【私】が強調されている。しかし「ジパング」には闘争対立の場面がない。それは喩えること、カメレオンアーミーでの親衛隊にのみ向けて、ミラクルアイランドと呼びかけているようなものである。全く親衛隊と共に向かう相手が不在となってしまっているのだ。阿久悠氏は対抗するためには、まず親衛隊を大きくしなければならないと思って、ひとまず「ジパング」を書いて見たのだろうか?また自らのピンクレディーのヒット曲のしくみ、対立状況の場にあると自覚していたのであろうか?
彼の作詞はピンクレディーにおいて「カメレオンアーミー」と「ジパング」と来たが、その間に沢田研二の「カサブランカダンディー」79がリリースされている。「ききわけのない女」、「しゃべりがすぎる女」と、男は男自身の景色に女を合わせさせようとする。「うれしい頃のピアノのメロディー、苦しい顔で聴かないふりして」と男は男自身の描く景色に自分を映す。前78年「かもめが翔んだ日」で「あなたが本気で愛したものは、絵になる港の景色だけ」と言われてしまったことは、男が自ら描く男と女の景色を愛していることについて、公然と指摘されてしまったことと同義である。男はそんなことは始めから自覚していたし、女も知りつつ付き合っていた訳だが、今や公然と口にされてしまった時代になり、「ボニー、あんたの時代はよかった」と歌われている。
79年2月「カサブランカダンディー」3月「ジパング」と来て、5月には「舟唄」で、「女は無口の方がいい」と来た。阿久悠は、伝統的な口にしない、口にできない美に拘り始めたように思える。「もしもピアノが弾けたなら」81では、想いのすべてを歌にして伝えたいが、それができないと歌われる。「歌とは万全ではなく狭苦しいもので、その限定されたものを限定されたものとして用いられるのが歌」とでも言いたかったのだろうか。私は「ジパング」の変容に、79年における阿久悠の心情の変化を感じずにはいられない。
一体、何があったのだろう。狼的男をのさばらせないように女性側に知識を授けようとしたが、女性の得始めた知識が、むしろ伝統的な無口がちな男の洒落、粋の浸食へ向かわせてしまっている時代変化の方に関心が移ってしまったのだろうか。それとも、男と女の恋ゲームの時代であって、狼退治の時代ではないと思い、ピンクレディーには新たな道を模索したのだろうか。
当時の状況を見れば、谷村新司の「昴」80があった。90年代にはカラオケの男が自己陶酔に邁進する、若き女性から一目置かれる代表曲として輝いていた。「我も行く、心の命ずるままに、我も行く、さらば昴よ」、ぐっと来る所である。当時は非常に共感されていたが、90年代あたりにはすでに共感から離れて、羨ましく思われてのか、それとも気持ち悪がられていたのかは資料がないのでよくわからないが、まあ一目置かれて眺められていことは確からしい。もっと「カサブランカダンディー」の気障のように、自己陶酔を積極的に景色に映していれば、また異なった評価を得たにちがいない。いずれにせよ、「昴」の当時は、恐らく誰も彼もが、周りからの様々な評価に苛まれていたのだろう。だからその周りに振り回されない、また滅びようが我が道を行くのが、まだ格好よく見られていたのだろう。
また当時は夢に邁進するのを現実的でない幻に陶酔するものだと蔑ます評価に不満を覚え始めた時期と言える。ピンクレディー後期と同じ頃、矢沢永吉の「時間よ止まれ」78では「幻でかまわない、時間よ止まれ、生命のめまいの中で」と、常識的現実主義の評価へ対抗した。クリスタルキング「大都会」79では夢のための現実主義的評価からの逃走、シャネルズ「ランナウェイ」80では二人だけの遠い世界のための現実主義的評価からの逃走がなされた。松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」80では「夢の中のこととわかっていても、思い切り答える私です」と、「夢と揶揄されたとしても、私の景色の仲間と元気にやります」と宣言するかのように、常識的現実主義の評価をかわし、「頬をそめて今走り出す私」と世代内物語の共有化傾向を示す。「走り出す」と歌い向かう方向を見るのではなく、「走り出す私」が「二人一つのシルエット」へ向かう物語舞台である。「ランナウェイ」は二人だけの遠い世界への逃走だが、「裸足の季節」は近くで二人一つのシルエットを見せるかわしである。この世代から伝統的規範の圧力へは逆らわず、物語から仲間外れにならないないようにする同世代意識が始まり、年末紅白の世代間分裂化の促進の一因にもなったと思われる。これらが「UFO」77から始まるピンクレディー後期の五曲とほぼ同時進行的に生じていた、常識的現実主義に対するある種の時代風潮である。
ピンクレディー後期のテーマ、常識的現実主義への問題提議であるが、その問題提議は日本の現代社会に対抗する形で異国性も生じていた。フジテレビ系の子供向け番組「フランダースの犬」75「母をたずねて三千里」76の後、77年にピンクレディーの「カルメン77」「渚のシンドバッド」である。「ウォンテッド」の歌詞にもアラブの大富豪が登場している点で三作目の「カルメン77」から、すでに現代日本社会への問題提議を投げかけていたのかも知れない。
その後78年、「カナダからの手紙」、「飛んでイスタンブール」、「ガンダーラ」、79年に「エーゲ海のテーマ~魅せられて」、「異邦人」と来た。特に最後の「異邦人」については特筆に値する。「ちょっと振り向いてみただけの異邦人」と、今までの現代日本社会の常識との付き合いは少しの振り向きだったとみなし、過去からの旅人が呼んでいる道へ向いていく。
ピンクレディーの11作目の「ジパング」、こうして考えて見れば、かなり意味が深そうである。

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  1. 2010/02/28(日) 01:29:05|
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