思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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群馬県 「世話ねぇ」 ~自分に正直な観察力~

群馬県の特徴については、"自分に正直な観察力"ということにしてみた。それはあだち充原作のテレビアニメ 「タッチ」85 の登場人物、上杉達也に代表される特質であるが、中でも特に注目しておきたい場面とは、有名な双子の兄弟である和也の死において発せられた、「綺麗な顔してるだろう?嘘みたいだろう?死んでるんだぜ」 の達也の台詞にある。そこには何か自分に正直な観察力みたいなものが認められるのだ。ただしその達也の台詞の内容自体に自分にたいする正直さが現れているといった意味ではなく、その台詞が言えた背景に達也の自分にたいする正直さがあるのである。達也は自分の思っている気持ちの領域と同じく、自分でもわからない気持ちの領域があることを達観しているかのようであり、そこに自分にたいする正直さと外部の観察力が認められる感じである。



ところで日本における80年代から始まったであろう大きな時代変化について振り返ってみれば、「笑っていいとも」 のタモリ抜擢、「おれたちひょうきん族」 のビートたけしや明石家さんまの抜擢などに貢献したとされるフジテレビのプロデューサー横澤彪、コピーライター糸井重里、「タッチ」 のあだち充など、群馬県出身者の活躍が目立っている。また総理大臣の中曽根康弘(82~87)も群馬県出身であることからして、不思議な因果である。

さらに遡ること70年代の場合は、 "光のどけき春の日" が浸透していた時代と考えられるのだが、そうした事情から察すること、逆に群馬県文化ではそれほど光のどけき春に深く信頼をおいていた訳ではなく、その苦境が社会的に広がっている状況の方をマークした文化なのかと推測できそうである。

光のどけき春とは、簡単に言ってしまえば、みんなが集まる和やかな風景の象徴である。70年以降から新たな個人主義的な理念が浸透していく中、結果的に各個人個人の苦境も生じることとなり、各人が伝統的な社会的つながりである【光のどけき春】の邪魔にならないよう、個人的苦境については【散る一片の花びら】として考えていた訳である。たとえばヒット曲 「ふれあい」74 に見られるような、"人は皆ひとりでは 生きてゆけないものだから"と言い聞かせては、各人が光のどけき春を支えていたのだ。

しかし【ひとりでは生きてゆけない】の表現とは現実認識が卓越した結果として生じたものではなく、むしろ現実社会の認識が伴った表現は【ひとりで生きていない】の方である。にもかかわらず、それを優れた現実認識の目覚めかのように思ってしまった時代なのである。

おそらくは"自分に正直な観察力"がある群馬県の場合には、その"ひとりでは生きてゆけない"に深くのめり込むことがなかったと思われる。たとえば萩原朔太郎の 「群集の中を求めて歩く」1923 では、"どこまでも どこまでも この群集の浪の中を もられて行きたい"と自分の気持ちについて表現されているのであって、"ひとりでは生きてゆけない"といった教訓的反省による社会学的なスローガンではない。一体、斎藤佑樹投手は仲間を持っているらしいが、どちらの意味だろうか?

いずれにせよ、"ひとりでは生きてゆけない"とは70年代に新たに生じた個人主義的志向の結果を反省した一つの教訓理念であって、他のまだ続けている個人主義的志向の人々への当てつけとして、まるで彼らが 「ひとりで生きていける」 と思っているかのように解釈説明する考え方であったのだ。それは社会学で言うところの機能主義の立場と隣接した考え方でもある。

そうした70年代の"光のどけき春"については、やがて 「みんなが守るべき社会秩序だ」 と社会学的な解釈に結びつけようとし始めた時期であろう。しかしそんな権威主義的な教育論者への傾向にたいしては、80年の活躍状況から考えてみて、単純に追従しなかった群馬県民と想像しておきたい。

実際のところ、群馬県の方言には標準語の"大丈夫"を意味する 「世話ねぇ」 がある。それは相手側から心配された際に 「お世話の必要はありませんので大丈夫ですよ」 の意味なのか、それとも相手側を心配して 「何か手伝うお世話がありませんか?」 と尋ねるものなのか、あるいは強がった 「おいらには手助けの必要はないぜ」 なのか、詳しい事情はよくわからないのだが、いずれの意味の場合も各人が求めたい手伝けの"必要性"に注目した表現なのである。比べること標準語の 「大丈夫」 とは、"光のどけき春"を基準にした平穏無事にあるかないかの問いかけと返答なのであり、群馬県の"各人の必要性"よりは"平穏無事の有無"を強調した表現のため、平穏無事にある者の平穏無事のから外れた者への同情が主題となってしまうものである。すなわち、「小さな親切、大きなお世話」78 や 「同情するなら金をくれ」94 と言いたくなってしまう標準語文化と言える。

要するに、群馬県の 「世話ねぇ」 とは 「小さな親切の世話は必要ありません」、「同情の世話より、お金の世話が必要です」 なのであり、標準語の 「大きなお世話」 や 「金をくれ」 の表現に、何か必要性に関する社会的に共有された関心の不足を感じとれる群馬県文化と言ってよく、たとえるならば 「期待される人間像」65 のような"必要とされる自分"よりは 「人々が期待している人間像」 の情報収集に努める"人々が求めている必要"に関心を示す意識が備わった群馬県と言えそうだ。



80年代からの西武百貨店のキャッチコピー 「じぶん、新発見。」80 や 「不思議、大好き。」81 「おいしい生活。」82 などで活躍した糸井重里とは、そんな70年代の"光のどけき春"の教育煽動化にたいして【マイナー擁護としての説得力があるつぶやき】を発したと考えられる。光のどけき春にたいして各個人が大丈夫を演出しなければならなくなった、言ってみれば"毎日毎日 鉄板の上で焼かれて嫌になった たいやきくん"(「およげ!たいやきくん」76)の苦心が広がった70年代の時代状況から、自分に正直で観察力に長けた群馬県出身の糸井によって、ほんわかした柔らかいつぶやきによって自己領域の主張がなされたのである。

糸井は"光のどけき春"を壊そうとしたのではなく、そこから外れた側のたいやきくんの苦心をつぶやいたのであるが、その彼のつぶやき的なマイナー擁護も90年代以降には 「MY REVOLUTION」85 からの自分磨きを主張する自己メジャー化の系統へと移行することとなった。糸井はメジャー勢力を伝統と見ながらマイナー側の新規参入の場所作りを目指したような感じなのだが、その後の自己のメジャー化という新たな勢力の場合は、従来の現行メジャー勢力に伝統を見ず、ただ自己発展を目指す 「自己啓発ブーム」90 となってしまったのである。

なるほど、ナンシー関は糸井重里について "80年代を捨てきれない大人になったヘンタイよいこ"(95年)とはよく言ったものだが、しかし彼女が解釈した 「よいこ」 とは、コロッケの物真似芸に等しく観客に見せるための消しゴム版画としてなのである。ナンシー関の好みとは、ビートたけしやダウンタウンのような伝統お茶かし(彼女自身は常識茶化しと見ていただろう)であり、それが笑いの評価尺度であった。糸井自身が意図していた"よいこ性"とは、実は伝統風景を守りながら行うマイナーなヘンタイ擁護にあったのだが、彼女はただ自らの評価尺度である伝統茶かし度のモノサシから、糸井自身の用語である"よいこ"で風刺したに過ぎなかったのだ。

おそらく、そんなナンシー自身の評価尺度の無自覚が、同じ群馬県出身の中山秀征嫌いに繋がっていたのであろう。90年代の糸井重里については笑いの沸点が低い点を茶化せば、見識ある読者の支持も獲得できた。しかし中山秀征については、上手な茶かし文句によってその支持を獲得するまでの洞察が得られなかったのである。いくら中山秀征の笑いの沸点が低いと茶かして見たところで、中山自身の顔色は変わることなく、取り巻きも楽しそうに進むのである。

そもそも彼女の中山秀征嫌いとは、実は彼女自身が笑いの沸点が高いとダウンタウンを過大評価した結果なのだ。ナンシー関も洞察していたように、中山秀征は一定数維持される笑いの沸点が低い人々を相手に仕事をしていると言える。しかしダウンタウンが伝統茶かしによって伝統を利用したように中山秀征にも伝統茶化ではない伝統利用の工夫がある点を見逃したのである。

ナンシー関は芸人至上主義の社会学者となったため、芸人の社会学までには届かなかったのであろう。つまり 「ダウンタウンの笑いの沸点が高いから面白い」 と宣伝したかったばかりに、ダウンタウンが面白いと思っている社会状況自体を考察できず、そのため中山秀征が起用されている社会状況についても見れなかったのである。

ナンシー関は宣伝広告が常識化効果計画を振りまいているのにたいして、人々が様々な常識化効果の圧力を受ける中、各人がこっそり自己常識化発信を狙っているピンポイントをモノトーンに刻み込んだ。たいてい人々は、宣伝広告に囲まれることよって乗り遅れまいと一生懸命になるのだが、ナンシー関の消しゴム版画の場合は、その宣伝広告の常識化効果を著名な個人に集約して暴露したような形である。いや、「暴露」 とは穏やかな表現ではなかった。大阪では自ら 「どや顔」 を見せることが出来るらしいが、慎み深い標準日本人の潜めた 「どや顔」 を、本人から頼まれた訳でもなく御紹介して下さったナンシー関なのである。我々としては、一言文句と顔の表情とのちょっとしたズレに、彼らの隠し持ったつもりでいる安全地帯の見え隠れ加減を味わわなければならなかのであり、今後日本の90年代の時代意識を考察するのにナンシー関は欠かせないだろう。ついでに中山秀征について言えば、彼のテレビ出演とは、いつも旅先からの記念撮影なのである。しかも郵送も兼務して下さる場所だから有り難い。当然、一般視聴者へ向けた 「どや顔」 も現れない。おそらく彼の笑顔は、リアルタイムから外れた局外へと向いていると思う。



話は反れてしまったたが、群馬県では"光のどけき春"に過度に信頼を置かないし、乱そうとする意図も生じにくい。上杉達也が弟和也の映る風景を乱さない位置にいたように、糸井重里にも光のどけき春にたいする毒はない。ただ自分に正直なマイナー進出の場所作りを目指したのであって、萩原朔太郎のように、みんなと一緒にいたい気持ちに正直なのだ。それはまるで嫉妬を知らないと言うか、それとも嫉妬の生じる理由を知っているかのような感じである。たとえば群馬県出身の布袋寅泰が作詞作曲を手掛けた今井美樹の 「PRIDE」96 に自己領域に忠実な嫉妬心のなさを認めてよいと思うし、上杉達也にも弟和也にたいする嫉妬心などはなく、むしろ双子兄弟という形でもてはやされるによって生じる外部からの嫉妬視線を避けているかのようだ。また古くから伝わる民話 「お菊ののろい」 の影響からか、嫉妬への警戒心が育った群馬県とも考えられそうである。

おそらくそうなるのも、もし自分が馬鹿にされた場合には、馬鹿にした人が自らの助け手には相当しない人物なのだと自分の頭の中で分類するに留め、彼にたいして見返してやろうと思わないからであろう。逆に言えば、群馬県民にとっては人々の嫉妬心を煽り起こしてまでも何かをしようとする人物に憧れ、そのサポート役になろうとする場合も多々あると思われる。

しかし群馬県民が自分に正直だからと言って必ずしも正直者だと思ってはいけない。自分に正直とは、嘘を言いたい時には嘘を言う、そんな正直さもあるからだ。



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  1. 2011/01/22(土) 16:08:35|
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