思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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長野県 「ずく」 ~「尽くし」 語源説~

長野県の方言の 「ずく」 の語源について、それが 「尽くし」 にあるのではないかと推測しておいた。そこでは"気高き偉人の尽力"を崇めていたことからの世俗的浸透化と予想しておいた訳だが、しかしどうやらそうではなさそうである。むしろそれは、鹿肉の食用に関する"生物の尽くし"がイメージされた結果と考えた方が妥当のように思われる。

と言うのは、従来日本では仏教の不殺生戒が浸透していたと考えられ、江戸時代の長野県諏訪大社において 鹿食免 といった狩獣の免許証みたいなものが発行され始めたらしいのだ。その不殺生戒に反してまでも新たな鹿食免までに至った根拠は何かと言えば、諏訪の勘文の"業尽有情 雖放不生 故宿人身 同証仏果"にあるらしい。つまり業(生命)が尽きた有情(鳥獣)について解釈されたものなのである。

そこで問題となるのは、その 「尽きた生命」 が 「人身に尽くした」 と"尽"の二重性を含んでいたか、どうかである。恐らくは鳥獣の生命の尽きたるが人身へ尽くしたものと解釈されていただろうと仮定してよかろう。そしてその鳥獣の"尽"にたいして、人間の生命についても 「尽きた」 と 「尽くす」 の"尽"の二重性がイメージされていたとするならば、やる気がない様を 「ずくなし」 と称することとは、鳥獣の尽力を授かっていながら自らは尽力を尽くさない 「尽くしなし」 を意味していた可能性がある訳である。

芭蕉の 「更科紀行」1688 を見れば "おのおのが心ざし尽くすといへども~" の記述がある。それはまるで姨捨山に、尽力を尽くすことがなくなった老捨の意味が重なったかのようなものである。また松本の 「ものぐさ太郎」 は、今となっては 「ずくなし太郎」 と言い換えてよいものなのだ。

私の推測する 「ずく」 の 「尽くし」 語源の説とは、長野県には古くから個人の社会的尽力についての評価基準があったため、姨捨山やものぐさ太郎の話が浸透していたのであり、その評価基準を基礎として諏訪大社の鹿食免に見られる"業尽有情"の日本全国へ広まる拠点になかったと思われるのである。



その伝統的意識は決して語源についての探索に限らず、戦後の芸能界にあっても影響を残しているものである。80年代後半より活躍し始めた物真似芸人コロッケのネタには、長野県諏訪出身の美川憲一がいた。どれだけ諏訪にゆかりがあるのかは定かではないが、美川憲一は1989年のコロッケとの競演より、新たな物真似芸人にたいする絡みを見せ始め、新たな御意見番的な活躍へつなげたが、それも諏訪大社の鹿食免に関係した結果と推測できるのである。

たとえるならば、物真似のネタにされる美川本人とは鹿肉に相当する生け贄の立場にあって、物真似芸人コロッケの尽力の循環世界観の不備へ向けて監視意識を働かせた訳である。つまり古来からの諏訪に浸透していた尽力の循環世界観によって、新たなコロッケへの絡みが可能となったのである。それまでの物真似されるネタ元の本人たちは、怒ったりするか寛大さを見せるために笑う努力をしなければならない状況であったのだが、尽力循環の世界観があった美川憲一の場合は、怒るよりは監視的冷ややかな視線を送り、それを諭すように笑うといった、新たな対応を始めることが出来たのである。

物真似芸人はそれを笑って喜んでくれる人々の気持ちを考えて工夫を凝らす訳だが、ネタ元の物真似される者の気持ちまでは考えない。つまり物真似芸人と視聴観客の間で囲われた互助会の中、鹿肉扱いされるネタ元の人々という位置関係なのであって、まさに 「さそり座の女」1972 も、等しく鹿肉の女の立場からその鹿肉の尽くしを知らない男に向かって 「お気のすむまで 笑うがいいわ」 と言いながら、後で効く毒を残すのである。

不思議なもので、 「さそり座の女」 は美川憲一に回ってきて、コロッケはそれを物真似のネタにすることになった。どれが欠けても90年代の美川憲一の御意見番的活躍はなかったのだ。恐らくコロッケは80年代以降の 「さそりの女」 の雰囲気が通用しない時代風潮を感じ取りながら、その美川憲一と80年代大衆意識のズレを利用したのであり、その後そのコロッケが行ったズレの利用にたいして新たな御意見番的対応を編み出した美川憲一と言えるのだ。

美川憲一はコロッケのネタ元になることにより、彼の物真似芸に尽くした形なのだが、尽くし循環世界観にあった美川としても、当然コロッケに物真似されることによって自身の活躍が獲得できたことについて、公言を残している。



そして 「ずく」 の 「尽くし」 語源説の要とは、長野県では 「ご馳走様でした」 を避けて 「いただきました」 を用いられたことにある。そもそも 「ご馳走さま」 とはもてなし人が客のために食材を駆けずり走り回って集めてきた御苦労を意味するらしいのだが、それは【人間同士によるねぎらい】であって、 「いただきました」 の場合は人身が【鳥獣の肉の尽くし】に支えられていることの世界観に基づいた、自身がその尽くしを受けたことの表明に即した結果と思われ、かつその鳥獣の尽くしの派生として人間の各個人個人の社会的尽くしが潜んでいるものであろう。

長野県信濃に限らず、日本には 「竹取物語」 のかぐや姫がいた。かぐや姫は一種の世俗的な尽くし理念にたいする別離である。あるいは志なかばで倒れた者々の尽くしについての解釈も含んでいるだろう。尽くしを終えた者は 「尽き」 て 「月」 へ帰るのかも知れない。また先を期待した養育意識や不老不死に向けた、尽くしの全般的深遠でもあろう。そんな長かろうが短かろうが、個人個人の人生尽くしの意味が浸透していた日本文化の中、長野県では鳥獣の尽くしを介して人間の全般的尽くしへの努力から 「ずく」 が生じたと推測できるのである。

全く 「ずく」 の語源が 「尽くし」にあったかどうかの推測には、疑問が残されているかも知れない。しかし後の 「ずく」 の使用状況には 「尽くし」 にまつわる世界観が絡み合ってきただろうことは確かと言えると思われる。その一つの証とは、 「ずくなし」 と呼ぶ側としては何らかの"人々の当然尽くすべき仕事らしきイメージ"を判定基準としながらその欠如を示し、かつ未知なる尽くしを暗示させる 「ものぐさ太郎」 に重ねられて命名されるのであって、標準語の単なる個人心理学的な 「やる気のなさ」 とは若干異なったニュアンスにあるのだ。つまり長野県の 「ずく」 とは、「ずくなし」 と小突いては自身の尽くし尺度を押し付けて社会的活動の活性化を促したり、逆に人それぞれの様々な努力傾向(ずくの出し方)を冷静に分類する意識を育てるのである。



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