思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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情けは人の為ならず ~社会的循環と自己努力~

「情けは人の為ならず」 とは、【人のためにではなく、巡り巡る自分のためである】が原意らしい。ところが【情けをかけると人を頼る癖がついてしまって、かえって人のためにならない】といった意味に捕らえている人もいるようである。

その意味について考えてみるならば、両者ともに独立自尊の理念に彩られている訳だが、違いとしては後者には何か"自身の成長を個人的苦労による成果"と訴えるかのような自立観となっている。一万円札の肖像が聖徳太子から福沢諭吉へ変身したのが1984年であった当時、新しき福沢諭吉さんにとってはいい感じの自立観だったかも知れないが、古き聖徳太子さんから見れば弱ったもんだと少々困惑気味といったところだったろう。

遡ること、中村正直訳によるスマイルズの 「西国立志編」1871、福沢諭吉の 「学問ノススメ」1872 がベストセラーとなった明治維新直後の日本であった。特にイギリスの著作を訳した 「西国立志編」については、「天は自ら助くる者を助く」 的な自助論に偏ったものであって、今日の日本で言うところの自己責任や自己努力の推奨に受け継がれ、その結果、わざわざ 「前向き、前向き」 と人前で連呼すること自体が、自分を助けるための必修アイテムになるまでに進化成長した。(実際は"自己啓発的な前向き"と"こっそり小集団的な話題そらし"の二極分化だが……) その自助論的考え方の普及については、もともとキリスト教にとっては無縁であったらしいが、やがて17世紀のルネサンス以降から顕著になったものかと、土居健郎の 「甘えの構造」1971 では推測されている。

つまり明治維新後の日本は、わざわざ自助論を取り上げては、それを西欧の進んだ考え方と思い込み始めたのであって、やがてもともと独立自尊の 「自分のため」 を要素に含んでいた 「情けは人の為ならず」 も、さらに立身出世的な自助論に拍車をかける形で 「情けは人の独立心育成に有害である」 へと変貌する原型を形づくり始めたのであろう。



そもそも 「人の為ならず」 とわざわざ説明していることからして、人々が 「他者の為」 と思いながら親切を施していたことへの注意喚起だったものと推測でき、「小さな親切 大きなお世話」1978、 「同情するなら 金をくれ」1994 なども、その例に属する流行語である。また日本に限ったことではないかも知れないが、古来から 「自分のため」 と 「他者のため」 のちがいが人々の間で問題の中心にあった痕跡と、その諺の存在に認めてもよかろう。あるいは 「ありがとう」 の語源を尋ねてみれば、たとえばお婆ちゃんがお茶をすすりながらお爺さんに向かい 「有り難いねぇ~」 と、人の手助けが無いことを当然する考えを基準とした、有ることの希少性を語りかける場面に、何やらか 「他者のため」 にと自らに手助けを施してくれる人などいないことを当然とする、そんな確固たる世界観が感じられたりするのである。

つまり 「ありがとう」 の言葉自体に日本文化における独立自尊の傾向が盛り込まれているのだ。思い起こさば昭和時代までは、人から手助けして貰った際には 「すみません」 と、相手の施しにたいする"お返しの未済"を表明していた日本であった。 「情けは人の為ならず」 と手助けした側は後々自分に戻ってくる御利益を想像していた訳なので、手助けして貰った側としては、そんな手助けした側の期待を膨らませておくために 「すみません」 と言っていたに過ぎない。

それが何の因果か、何故 「すみません」 と"謝っている"のかと噂されるようになり、「ありがとう」 へ移行した現在なのである。別に 「すみません」 は謝っていた訳ではない。 もともと「すみません」 とは、手助けした側が安上がりの手助けにより大きな御利益を期待している人物か、それとも世の中の循環的助け合いを意図している人物かを、そっと観察しながら適当に発する挨拶言葉だったのである。安上がりの手助けに大きな御利益を想像している奴だったならば、その後、ネズミ男タイプか桔梗屋タイプか、そっと分類しながら適当に 「それでは、また」 と相手の期待を膨らませたまま立ち去ればよいのであり、社会的助け合いを基準としている者とあらば、自分も他の人への手助けに精進する旨を気品を保っては軽く会釈をして立ち去るのが、言葉に出さない同士の礼節として共有されていたのである。

すれば高級旅館や料亭の女将とは、お客様をただもてなしている訳ではなかったと言える。そんな対面状況のやりとりではなく、 「すみません」 に象徴される社会的な各人の未済循環についての表出なのである。客側も女将の表出にたいして、それなりの自らの社会観表出をすることになるのであるが、その自身の表出にたいする女将の反応に自身の社会観表出の格づけを感じるのである。色んな客と接してきている女将を鏡として、自身の華麗さと未熟さを確認しながら味わうのである。また舞妓や芸者なども一種の妖しい社会観の表出を職業としているのであって、ただ客側の男だけが品定め役なのではなく、女側からの品定めを受けるために出向くものなのであろう。

やがて時代的意識変化のゆえ、相手の見返り期待状況を監視区別する力が衰退したため、「すみません」 がただの恐縮表明になってしまったこと、あるいは自分と相手との対面状況が主体となってしまって、社会的循環についての意識が共有されなくなってしまったことが、その 「すみません」 の謝罪的意味への変貌の原因なのかも知れない。特に車の事故保険においては、すぐ謝ってしまうことは自らの非を認めることを意味するとして回避するように宣伝されたことが大きい。その事故検証の際に、「すみません」 を謝罪の表明と解釈する方へ傾き、互いに済んでいないことを共有化した話し合いに入る際の挨拶として解釈しなかったのである。

おそらく 「すみません」 の謝罪意味化は、日本人の英語圏における I'm sorry の使用経験に由来すると思われる。つまり手助けをされた場面で 「すみません」 の意味で I'm sorry を使った際に、何を謝罪しているのかと首を傾げられた経験から、その英語圏からの解釈である 「何を謝っているのか?」 をそのまま日本語の語法に当てはめてしまったからである。そうではなく、むしろ 「いや、別に謝っている訳ではない」 と日本語の英語のちがいに注目し、英語では Thank you の場面だな~と軽く留めるべきだったのだ。

要するに欧米人が見た日本語解釈をそのまま受け入れてしまい、その受け入れ解釈が日本で幅を利かせたので衰退したのだ。 I'm sorry とは、「私は憐れむべき者だ」、「私は未熟者だ」 と、相手の上から目線を喜ばせておくものである。もっと言えば、謝罪の意味であるのは Excuse me の方であり、その直訳 「私を許しなさい」 といった命令形である 「ご免なさい」 に相当している。土居健郎 「甘えの構造」 で指摘されていたとおり、西洋では Thank you で"済む"場面でも日本では"済まない"気持ちが残っていた訳だが、日本人の言った I'm sorry には、「誰もが未熟者であります」 といった主張や共有化を含んでいた点で西洋と異なっていたのである。その違いに気付かず、ただ西洋の解釈によって日本語自体を解釈してしまった 「すみません」 である。

こうして見れば、 「すみません」 とは、初めから謝罪の意味だったのではなく、各個人の未済状態の社会的共有化の側面があったのだ。まあ~、「すみません」 とはお偉い方が使う言葉ではなく、お偉い方に向かって使うような上下関係を表す挨拶言葉みたいなもの、もしくは庶民間で使うものであった訳であった。林家三平の 「どうもすみません」 とは、すでに恐縮表明の使用となっていた時代であったために、ただ自分側だけが恐縮するのも阿呆らしいから、簡単にさらりと言っておけばいいといった、庶民感覚の共有化となった時期と見なしてよい。

そして三波春夫の 「お客様は神様です」1972 では、もはや演者と客席の対面状況の限定されてしまい、「すみません」 の未済状況の社会的循環の意味合いは完全に消されてしまった時期である。林家三平は適当に謝罪した振りをしておけばいいと訴えたが、三波春夫は適当に持ち上げておけばよいと言ったようなものだ。裏を返せば、「すみません」 が全く謝罪の意味に感じられるような時代になりつつあった状況を意味しよう。



さて本来の 「情けは人の為ならず」 の意味である 「他人のためではなく自分のため」 とは、人道主義的な正義にたいするアンチテーゼでもある。つまり人道主義的正義にたいして 「綺麗事では済まない」 と反論する立場なのだ。白樺派の人道主義にあった有島武郎は、その人道主義とアンチテーゼの狭間で 「惜しみなく愛は奪ふ」1920 を著したのだろう。 「他人のためではなく自分のため」 と合わせた 「与えるではなく奪う」 と、「愛は相手の為ならず」 と言ったようなものなのである。

その動機は"他愛"にたいする現実認識に由来する。人は自己犠牲による他愛が不可能であるという現実観であり、人道主義に自己犠牲の理念を求めている自利の側面を問題としているのである。人道主義とはみんなが各人の利を求めていることの社会状況に問題を見て、新たな他者配慮に理想を掲げている訳なのだが、その自身が求めている理想に潜む自利の面を語らずして、ただ現状の人々の自利を問題としていることに、人々は"偽善"を感じることになっているのだ。本来の 「情けは人の為ならず」 の意味や有島武郎の 「惜しみなく愛は奪ふ」 は、そうした単純な他愛主義理念に自利の普遍的現実が考慮されていない点を警告していた訳である。オランダの汎神論で有名なスピノザの 「自己保存」 も、これらと類似する他愛主義理念にたいする現実解釈の主張であった。スピノザは人々の自利形態を推奨したのではなく、現実認識が不足した自利形態の未熟と見なしていたのであるが、しかし伝統的キリスト教勢力にはその解釈は理解できず、また自利の一般人にも理解できなかったのである。その後のスピノザ解釈に関する文献を調べれば、その文献執筆側の知識形態状態が歴史学上で位置付けられるだろう。



日本の70年代に話を移せば、「翼を下さい」 を代表とする "カモメ" の流行は個人主義的な夢志向の発生を意味するが、それは従来の 「すみません」 による各人への未済意識からの脱却でもあった。つまりお互いに未済を掛け合いながらその負債処理を目標に人とのつながりを保ちながら生きてきたのだが、やがて戦後のテレビ普及など上京に憧れを抱くような個人主義的な夢によって、その未済掛け合いのしがらみから離反して行ったのである。

今や 「すみません」 から 「ありがとう」 へ移行した現在であるが、根底に他者にたいする 「それで済むと思っているのか」 的な小突き合い根性が政治評論家の発言に認められる。つまり 「済んでいない」 ことの内容を共有化するための議論ではなく、多様化された 「済んでいない」 のそれぞれの自己主張なのである。小泉総理の 「鈍感力」 とは、そんな多様化された 「済んでいない」 的小突きにたいして 「済まし顔」 を示していたのだろう。

いやはや個人的な夢も結構だが、これからは社会的未済の共有化議論と共に、小集団的な見返り循環人脈のタコツボ縦社会から、もっと広い多様化状況についての自覚を共有化し始めた方がよさそうな日本だと思われますが、そんなこと言っても何もならない日本なので、やはり各人それぞれ自身が所属するタコツボ集団を大事にしましょう。


お・し・ま・い



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  1. 2011/01/10(月) 18:51:44|
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