思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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阿久悠の周辺3

(2からの続き)

ピンクレディーの「カメレオンアーミー」までの十曲を考察するにあたり、それを前期と後期の五曲に分けて話を進めようと思う。
その前にピンクレディーの全般的傾向について触れておきたいと思うが、ピンクレディーの曲には曲名や歌詞にテーマが直接に現れてはいない。と言うよりは、あまりにも複合的にテーマが絡まっている。そのため一曲ごとに一つのテーマを当てはめるのには無理がある点を断っておきたい。おおよその見取図を示しておくならば、一連の時代的に連続したテーマの推移があり、曲ごとに様々なテーマが着せられているようなものと喩えられるでしょう。

まず前期の五曲に共通するのは、すべて女性から見た恋の周辺状況がテーマされている。内訳を見てゆくと、はじめの二曲「ペッパー警部」、「S.O.S」では、恋をするに当たっての【注意事項】がテーマにあり、恋に関する両親や教師などからの監視や干渉や男の危険性が注意事項に挙げられている。しかし作詞家の意図から考えて見れば、それは別に生活指導を目的としている訳ではない。むしろ、注意事項がなされている社会的状況を、出来事として見させることの方にある。実際の曲のヒットによる人々の受け取る理念と、作詞家の抱く理念とは、かなりかけ離れていることがあるものだ。せいぜい阿久悠が直接的に自らの意図を記したことは言えば、「昔の人が言うことみたいだと、ぼんやり聞いてたら、駄目よ」の部分くらいに限られるだろう。注意事項を守れとは言わないが、注意事項が言われることについては意味があるよ、と言ったところだろう。
実際のところ、「S.O.S」は、阿久悠自らの社会観を如実に顕わにしている作品と、私は考えている。何故、阿久悠は70年代に、あれだけ多彩なヒット作品を生み出しえたのか。様々な見方をする様々な人々の存在に気付いていなければ、到底不可能なことである。阿久悠にとって男が狼なのかどうかは、どうでもよいことである。「男は狼なのよ」と語られている現実の方が関心事なのであり、恐らく、ヒットの際にはその台詞が話題に挙がっている状況にこそ、相当の関心を寄せていたに違いない。石野真子の「狼なんか怖くない」78はその一つの現れであり、再びその曲の影響を観察していたのだろう。

残りの三曲になると、今度は恋の実践からテーマを広げてゆく。
自己紹介で始まる「カルメン77」。はじめは経験のなさに恥じらい戸惑うところだが、無邪気で純情すぎると言われていると、自ら自己紹介をするカルメン。フラメンコ好きのカルメンは、やっばりカルメンだ。やがてカルメンは突然変わり、危険な女と言われることになる訳だが、それは男側にたいする楽観性への警告、あるいは女側への恐縮させるテクニックの勧めかも知れない。いずれにせよ、カルメンが危険な女と言われるようになった理由が隠れたテーマとして続いてゆく。
「渚のシンドバッド」になると、カルメンのような危険な女に成長するまでの過程の、ある一部をテーマにしていると思われる。「ここかと思えば、またまたあちら、浮気な人ね」と頭を叩きながら歌われているが、それは今の私は馬鹿ねとばかりに、浮気男の行動が一体何であるのかと観察しながら考えている状況のようだ。それから早技やテクニックの裏に潜むシンドバッドの心理学的効果の計算を見抜いたことを知らせたいが如く、「あなた、シンドバッド」と指さす。カルメンも、最後には様々な男のなすテクニックを知り尽くし、逆手にとるほどになったのだろう。近頃噂のカルメンは「危険な女」と言われていると、自己紹介をしていた。二人とも恋の経験を通して、人間を見る目を養う女性と前提とされている点で類似している。
「ウォンテッド」(77.9.5)では人間を見る目、社会を見る目が暗に強調されている。謎の運転手、アラブの大富豪、ニヒルな渡り鳥などと逃亡者の変装に実社会の様々の仮面変装、建前の様子を示唆する。そして逃亡者については半年前のキャンディーズ「やさしい悪魔」(77.3.1)と重ねて考えておける。カルメンは虜にしてみますと意気込んでいたが、ウォンテッドの女は逆に虜になってしまい、心を奪われ逃げられてしまった。その逃亡者とは、やさしい悪魔の化身のような者で、彼には人間を見る目が有ったから虜にされてしまったのである。キャンディーズは虜になった振りをしながら、逆手にとり彼を射止めることに成功したが、それはやさしすぎる悪魔であったからにすぎない。しかしピンクレディーはカルメンのようにその悪魔を虜にしたい願望に突き進む。ウォンテッドの女はやがて人間を見る目を養い、指名手配することになったのだろう。そうカルメン、シンドバッドの恋人と同じくウォンテッドの女も人間を見る目を養ったのである。ただ「カルメン77」「渚のシンドバッド」では養う過程がテーマであったが、「ウォンテッド」では養った後の登場となり、過去の状況説明から始まる形を採っているのである。
あと「私はいちころでダウンよ、もうあなたにあなたに溺れる」、「好きよ、好きよ、こんなに好きよ、あなたなしに居られないほどよ」と歌われる箇所ついては、恋の始まりがなければ人間を見る目が養われないために恋の推奨がなされる一方、人間を見る目を養うことは危ない人と警戒されたり腹黒いと見なされる傾向があるが、それは悪意でなされる訳ではなく、恋と似たようなことであると示唆されているのだと思う。と言うのも、「ウォンテッド」には制作者側からのメディア社会批判が感じられ、「サウスポー」では「熱い勝負は恋の気分よ」とされている。

(4へ続く)

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  1. 2010/02/26(金) 08:13:24|
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