思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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島田紳助 と ビートたけし ~世代意識変化の一試論~

2009年のオースター感謝祭にて、島田紳助は東京03にたいして挨拶ない事件を起こしたらしい。その事件に関してビートたけしは、「事件のおかげでやたらと挨拶にこられて困っちゃった」 と苦言を発し、挨拶禁止の提言によって茶化したらしい。この件について思うことには、おおよそ島田紳助の挨拶普遍化計画と、ビートたけしの多様化状況の認識のちがいにあると言えそうだ。

私が見るかぎりでは、島田紳助はかねがね 「人の笑顔を見たいために仕事をしている」 と宣伝している芸人であり、「人の笑顔を見たいがゆえの行動が、人々を幸福にするし、自分も幸福になれる」 と思っていると言うか、その宣言効果を頼りにしているのである。

多分、島田紳助は自身が芸能界に参入する際、各先輩芸人にたいしてマメに挨拶まわりをしていたのでだろう。普通の一般人の挨拶まわりの場合には、伝統的な礼儀、もしくは場を仕切る頭にたいしてのちょっとした自己アピールや人間関係を築くための処世術なのだが、島田紳助の場合は、その挨拶まわりをすることで先輩芸人の喜ぶ顔が見たいという、ちょっとした工夫を凝らした意識改革に自負を抱いている人物なのであろう。そんな考え方にある島田紳助なのだから、挨拶をせず澄まし顔でいたであろう若手芸人衆に、ついつい渇を入れたくなった訳である。

確かに島田紳助自身の人生経験から判断すれば、筋が通ってはいる。しかしその自身の抱く理念が社会的多様の中の一つの理念に過ぎない点を考慮するならば、ただのお山の大将に過ぎないのである。つまり 「人の笑顔を見たい」 という理念に固執していたために、それが多様社会状況の中の一部に過ぎないことについて、余裕を持って認識できなかったと思われ、自身の工夫を凝らした 「笑顔を見たいため」 が全体的社会から見て局所的であることと、伝統的理念の持続維持の理念とを混同してしまった結果と言える。



一方、多様社会状況については、彼よりも、ビートたけしの方が、よく見ている。それはタモリについて同様に言えることであり、1940年代半ばに生まれた世代の賜物であろう。まず彼ら二人にとって言えることとは、取り仕切る統制立場の座席というものは、最初から社会的に置かれたものではなく、ある具体的な人間による作為的な知識理念作用の発信状況という継続的時間内の結果と見られているだろうことにある。

日本の歴史を辿れば、敗戦によって帝国主義的な統治立場の座席は一転してなくなった。また天皇の人間宣言もなされた。そして人々がそれぞれ各人の生活を維持しようとしていた中、新たな統治形態へ落ち着いてゆく状況について、それを何気に観察して育って来た世代に属する二人なのである。統制立場の座席とは、人脈形成などを通し、なおかつ取り巻きに支えられながら知識理念を発信してゆくことによって、次第に作り上げられ持続してゆく作為的なものであって、逆にはじめに決められた統治立場の座席というものがあって、それを目指しながら互いに争って獲得するものなのではないのだ。

実際、あのタモリの余裕が、それを物語る。タモリは、上に立ちたいと思いながら努力して君臨したのではない。また自分のやりたいことをやっていたら、知らずに君臨してしまったと言うものでもない。それはビートたけしについても言えることなのだが、教師や牧師、ヤクザなどなど、さまざまな統括発信状況についての現実認識を、何の目的のためでもなく拾い集めて来た人物なのだ。 (タモリは牧師を芸人と見ていたと、伝えられている) 70年代から80年代への時代変化に、その無目的な統括発信についての現実認識態度が上手に合わさって君臨するに至ったものと思われる。

つまり二人には成功に至るまでのサクセスストーリーなどはないし、晴れ舞台もない。あえて言うならば、成功を維持しているリアルタイムの時の流れこそが、サクセスストーリーなのである。彼らは統制権の座席を獲得したのではなく、それぞれの座席を作り人々を招き入れることに統制権を見ている。

しかし島田紳助の場合は、田原総一朗が仕切った恰好の 「サンデープロジェクト」 の司会を引き受けたことからわかるとおり、設定された役割としての座席を見ることもある訳だが、しかしたけしやタモリの場合は、そうした設定された役割の椅子につくことはない。もしそうした役割の椅子に就く際には、「座ってやるよ」 と言った気持ちにあるし、統制計画側の座席づくりにたいして、軽いお茶かしトークにより監視視線も送るものなのである。ビートたけしの他番組へのお呼ばれ出演の際には、漫才ブームのおかげもあってか、その統制側の座席づくりにたいしての監視視線の仄めかしを随時行い、芸能界における大御所的進出に入り込めたのである。彼らには一般大多数に比べて、多様なる統制状況の社会観や、その統制権威の始まりに関する漠然とした一般大多数の知識状態と統制側の知識状態に関する歴史認識があり、その監視意識が随時働いているのである。

またテレビの影響力についても、彼ら二人の場合は、全体的社会の一部の権威としての認識があるのだ。新たにテレビが登場した状況をリアルタイムで目にして来た二人にとっては、新たな統制権威と他の伝統的な統制権威とを、一般大多数の反応との関わりにおいて同一平面上で見ることが出来たのだ。おそらく60年代のクレイジーキャッツと学園紛争についても、それぞれを異なった分野の出来事ではなく、自然と同一平面上の異なった形態として認識解釈していた二人なのである。また80年代のニューアカデミックの考え方と合わさり、自らの 「オールマイティ」 から 「専門バカ」 のお茶かしによって、現在までの長き君臨維持につながった。

しかし1950年代以降の島田紳助の属する世代は、テレビに晴れ舞台の様相を見てしまう傾向になった。それぞれ各人がそれぞれの職業に従属していくことについての理念が強く働くようになった世代であり、どの統制権威がどのような効果を発するかについての分類についてはよく考えるが、しかし一般的な統制権威と一般大多数の関係についての多様な統制権威の社会的に広がっている配分状況に関する持続的な現実観察が減退したのである。

紳助世代以降は、それぞれ各人が目指す晴れ舞台、つまりそれぞれの目標を設定してそれぞれが頑張るのである。晴れ舞台に立つこととは、自身が憧れ目標にしたこともあってか、今後新しく来る若者世代に憧られ、目標とされることを想像して頑張ることも意味する。しかしたけしとタモリの場合はちがう。むしろ晴れ舞台なんかは、ただ統制権威側が計画した座席設定であり、その計画意識を監視するのである。

すれば、あのテレフォンショッキングの晴れ舞台は笑える。タモリにとっては、晴れ舞台意識なんかは、そもそもない。むしろ自身の晴れ舞台設定側の統制権威の力を眺めているのであって、その統制意識がゲストや観客などに監視されていないことを毎日確認できるのである。またさほど晴れ舞台に興味がないゲストからしても、晴れ舞台イメージを壊すことになるから喜ばなければならなくなるのであり、見どころ沢山なのだ。もしタモリの代役を他の者が務めるのならば、晴れ舞台の司会進行の座席と考えてしまったり、あるいは自分の司会進行が出過ぎないようにと、ゲストの魅力引き出しに目標を置いてしまうだろう。

たとえるならば、タモリとたけしは学校権威を社会内の一部と軽く見ていたのだ。しかし紳助が学校権威を軽く見ているとしても、社会内の一部としてではない。学校権威内の様々な対応をとる生徒間同士の張り合いなのだ。ツッパリスタイルや権威にたいする対応の仕方についてのアドバイスを売りにしていたのが、その証拠である。紳助にとって権威とは社会秩序の象徴であり、その発信元の座席に人々が入れ替わるものなのである。つまり自身の活躍は権威の座席の獲得であり、その代理人として励むのである。

だからオールスター感謝祭における紳助からすれば、その感謝祭における雰囲気秩序の一定基準があったと言える。実際、行事的な企画の司会進行については、たけしやタモリの場合、卓越した社会観の隠し持ちによる才能主義のゆえイヤミが現れてしまうが、紳助の方が一般的な光のどけき春の配慮がよく行き届いている。彼が先輩としてネプチューン名倉潤、くりーむしちゅー上田晋也を評価している点は、その一指針をあらわしていよう。しかし全般的な社会における多様性の認識については充分に意識が及ばず、権威を移譲された学校の教師のような気持ちになってしまったのであり、全体的社会認識の側からたけしの茶化しが入ったと言ったところであろう。

やはり 「おれたちひょうきん族」のとおり、紳助はベストテンの司会のような設定された座席に則った自己工夫が似合い、同世代の明石家さんまの方が、座席設定の作為性にたいする監視が利いているためか、タケチャンマンとブラックデビルの共演に適したのだろう。



おそらくビートたけしの統制権威にたいする監視意識は、母親サキに原型を持つのかも知れない。たけし自身が語る、母親の統制権威をこっそりかわそうとしたところが、見れば母親に先をこされていた自分という、そんな適わない意識である。つまりこの世は監視意識の競争なのであり、あらゆる社会の統制権威のしくみを観察監視することになったのである。すれば急進的左翼思想や学生紛争などには、全般的な人々の統制状況にたいする監視意識には至らず、局所的な監視によって団結した改革志向だったと見なせる。



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  1. 2010/12/11(土) 10:51:34|
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