思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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ジョン.レノン ~あれから30年~

ジョン・レノンが亡くなって、30年経った。ジョンは中学時代のおいらにとって、最高のアイドルさ。久保田早紀の 「異邦人」 や井上陽水の 「傘がない」 にも、何か近いものを感じていたりもした、そんなおいらだったね。もしジョンがいなければ、今のおいらも、もっと普通の生活をする人間になっていたんじゃないかと、思ったりするかな。ホンマ。

しかしおいらのこと、ジョン・レノン崇拝者だと勘違いしないでくれよ。有名人を崇拝するほど、 「自分だけがジョンを知ってるんだぞ」 気分にないぜ。まあ、ある程度はジョンについて知っていると言った自負なんかがあるんだろうけど、 「本当の真実を知っている者に観察されている」 と言った、そんな意識を持って、自分なりの知識状態と自覚しているからね。

そもそもジョンの 「神」 と言う曲自体が、そんな知識状態の立ち位置を示していたんだろう? ソクラテスの 「無知の知」 や、ロックやヒュームの懐疑的認識論にも近いよね。まあ、ジョンがいなければ、ボブ・ディランなんか知らずにいられたおいらさ。ジョンは "God is concept" と歌ったが、ボブ・ディランを知って有神論的な現実解釈へ進んだ訳さ。

要は様々な知識状態にある人々がいる中、そこで効果のある知識の使方にコソ泥意識が働いていることへの風刺や新たな立ち位置が 「神」 や 「イマジン」 で示されていた訳で、そこから生じる有神論と言ったところかな? 「今やキリストより有名だ」 は、全体を見ない、大多数へ効果あるキリスト教知識への、もっとさまよう者の存在の訴えだったと思うね。

全くジョン・レノンに限らず著名なる有名人について崇拝的に語る阿呆は、誰に向かって語っているのか、そろそろ考えた方がいいかもね? 有名な人物について語ると言うことは、賞賛的であれ侮蔑的であれ、誰に向けて語るかが重要なことなんだよ。まあ~、結局たいていの場合は、近所や身内での自己趣味の箔付けで、まるで有名人はただの道具なんだろうな、彼らにとっては。問題は、その有名人について本当に知っている者が、いつでも自分が人へ語っている場面を見つめていると言った、そんな意識があるかないかにあるのさ。



本当に知っている者の視線を知らない崇拝馬鹿と崇拝者批判馬鹿の会話が、この世の中の大半で、奇妙な知識闘争舞台が花盛り。彼らは、その視線を互いに感じながら話すのではなく、その視線を知らないことには触れてはならないと言うルールの中で、睨み合い。いや、コソ泥意識のぶつかり合い。有名人について語るのは、その語ること自体に自身のステータス確保につながるから仕方がない。それから、おいらは決して 「有名人について語るな」 と言っている訳ではなくて、本当に知っている者の視線を意識しながら、自らの意見を示せと言うことだから、くれぐれも、勘違いしないで欲しいね。


GOD


まるでおいらは、天才を理解したことで失敗し、人々の無知を知るのに成功した、そんな気分だ。



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  1. 2010/12/07(火) 13:23:02|
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