思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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70年代 光のどけき春の日に

70年代は、カモメの時代であった。学生紛争や連合赤軍、三島由紀夫の自決を終焉に、次第に各個人個人の社会従属化が主要なる共有理念へと移り始めた時期である。特に 「翼を下さい」71 は、そのの鳥を個人に重ねた初期の普及理念であろう。

そんな70年代の飛ぶ鳥やカモメの個人主義的社会従属化の理念に並行していたのは、 "旅立ち" である。チューリップの 「心の旅」73 では、旅立ちを優先させる別れが強く打ち出され始め、 「木綿のハンカチーフ」76 では、故郷と都会の対比によって旅立ちよる結果的別離となった。

そこで70年代後半にデビューするのが 「旅立ち」77 の松山千春であるが、それは70年代前半の伊勢正三と比すること、【光のどけき春の日】を中心課題に添えるのがよく、それは 「古今集」 以来、日本文化に根ざした物の見方なのである。


ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花のちるらむ


光のどけき春の日とは、簡単に言って、人々が暮らす場ののどかなる平穏風景である。 「岬めぐり」74 では、光のどけき春の日の中にいる自身の恋心が散った様と、そして再び光のどけき春の日の中へ向かう心情を示した。学園紛争や連合赤軍は、善かれと思って団結していた訳だが、もはや光のどけき春の日を自集団による改革後の未来社会像に見たにすぎず、全般的人々の抱く光のどけき春の日と隔たっていたために終焉したのであろう。 「神田川」73 の "あなたのやさしさ" も、恐いながらも守らなければならない光のどけき春の日の風景だった。いや、その光のどけき春の日を守らなければならないとした衝動が、同時に恐さを呼び起こしたものである。

もう一つ伊勢正三と松山千春を比較するにあたって触れておきたいことがあるのだが、それは70年代までの、男性歌手が女心を歌う形式が多くあった点である。クールファイブの 「長崎は今日も雨だった」69、「そして神戸」72、「中之島ブルース」75、「東京砂漠」76に、殿さまキングス「なみだの操」73、中条きよし「うそ」74、細川たかし「心のこり」75などがあったが、おそらくはバーブ佐竹「女心の唄」65のヒットから始まった傾向だと思う。その終焉については「よせばいいのに」79と松山千春の「恋」80の頃と思うが、それは松任谷由美や中島みゆきなどの女性シンガーソングライターの台頭、あるいは「別れても好きな人」80のようなデュエットソングの時代へ流れたことがその終焉の要因があろう。しかし日本以外でも、男性歌手がしかも男性コーラス付きで女心を歌うスタイルが流行したことはあるのだろうか? 大変興味深いところだ。

男性歌手が女心を歌うこととは、何を意味するのだろう? 一つには、男に振り回される女心を歌うことは、暗喩として社会に振り回される男心を示す。しかし重要なのは女心を計算している男を前提としているのである。聞き手の男性側は、その女心を計算していることの文化的共有状況を、そして聞き手の女性側は、女心を計算する男心自体を見ていることの文化的共有状況を感じるのである。

歌詞とは自分の気持ちを乗せて他者へ伝えるものなのではない。歌手とはその歌詞の気持ちを伝えようとするのではなく、社会観なり世界観を間接的ではあるが歌詞に含めて伝えるものなのである。気持ちを伝えるのが歌詞であると言えるは、あらかじめ世界観を抱いていることで生じる気持ちという点が重要な条件なのであって、ただ自分の気持ちを歌詞で表現しようとする手法とは、極めて特殊な個人主義的な世界観に限定された一つの形態に過ぎないのである。



さて伊勢正三と松山千春には女性の立場から見た歌詞の曲があるが、男性の立場からの曲も含めてそれぞれ次のように比較したい。


「旅立ち」77 「海岸通り」75

「銀の雨」77 「22才の別れ」74

「時のいたずら」77 「なごり雪」74

「季節の中で」78 「ささやかなこの人生」76

( 「なごり雪」75、「海岸通り」79については女性シンガー、イルカによってリリースされている)



まず松山千春の場合は、「岬めぐり」 の社会内個人である光のどけき春の内の散った花から、散った花々の集まりの場へ移行させる形で始まったと思われる。と言うのは、まるで何かに急かし追い立てられるかのようなギターの音色が似ているのであるが、一方では、光のどけき春の風景を守ろうとしながらも、散る花々が新たな個人主義的な時代変化のために舞うのである。 「岬めぐり」 では、散った花は幸せそうな人々たちの光のどけき春の風景と共に、悲しみを深く胸に沈めた。しかし「旅立ち」の場合には、散る花々は涙じゃないと否定し、笑顔を見せてと光のどけき春の風景を守り、それぞれの道の旅立ちのために散る花々である。 「岬めぐり」 では光のどけき春はそのまま持続する社会であったが、 「旅立ち」 では光のどけき春を持続させるために、花々は笑顔になるよう努力しなければならない状況なのである。比べること 「海岸通り」 は、その守らなければならない光のどけき春のための "泣いたりしない" ではなく、 "小さくなって行く" 風景であって、 "まるで昨日と同じ波" に光のどけき春が象徴されるのである。千春は意図的な張りという態度に、正三は人々の日常生活にと、それぞれに光のどけき春を示している。

そして光のどけき春の反対側である散る花の側に焦点を当てたのが 「銀の雨」と「22才の別れ」である。共に夢を追う男と付いていけない女の光のどけき春への従属化で、男の夢追いに期待を残しているのである。千春は 「旅立ち」 で光のどけき春を風景には描かず、笑顔への個々人の意図的態度に置いていたためか、風景については散る側の銀の雨の方に当てられた感じである。その女性側の従属化の心情については、荒井由美の 「卒業写真」75 で "ときどき遠くで叱って" と歌われているし、岡村孝子の 「夢をあきらめないで」87 まで続いている傾向である。しかし女性自身の夢追いも推進されて行く時代であったし、夢追いについては現実知らずとされる意見も浸透していたのであるから、全般的な時代状況を考察するには注意を要する。

まさに正三も千春も、男側から言えないことを女心から言わせている面があった。その点、因幡晃の「わかって下さい」は異様である。一応、女心に言わせているのだが、それを言わせていることを隠さず、男の側の気持ちとして示している。それは本心を言葉にすることがすべてではなく、そこから洩れている何かがあることを知っているからこそ、なせる業であろう。それは本心を伝えたい個人の気持ちを思って歌っていたからではなく、本心を隠して暮らしている人々の情景を見て歌っていたからだと思う。正三と千春の場合にも、女心の描写に何らかの男側から見る他の同一要素が含まれていることだろうし、少なくとも単なる女心の代弁ではないことだけは確かである。

一方、男の立場からの歌詞となっているものには、 「なごり雪」 と 「時のいたずら」 がある。 "落ちては溶ける雪を見ていた" と "冷たい風が今、吹き抜けるだけ" と両者は、かなり異なっている。「なごり雪」 は光のどけき春への融合であるが、 「時のいたずら」 は花が散った後の秋冬物語で、光のどけき春に散るところの桜でもない。「旅立ち」、「銀の雨」、そして「時のいたずら」にいたる流れを見れば、松山千春は光のどけき春の風景は歌わない。むしろ光のどけき春を保とうとする悲哀を歌うのである。しかし伊勢正三の場合には、個人の旅立ちは強く働いてはおらず、光のどけき春を中心に添えながら各人が夢や安定を求めて多様化し離反するのである。別れについては、光のどけき春のどこかに散る行く花として絵にすることにある。 「旅立ち」 は光のどけき春を守ろうと泣いたりしないことを示していたが、 「なごり雪」 は恐くて下を向き、時が経てば思い出になることを落ちては溶ける雪に光のどけき春を見ている。

さらに 「ささやかなこの人生」 と 「季節の中で」 では、大きく見方が異なっている。光のどけき春の風景を中心とする伊勢正三は、桜が散ることを冒頭で歌い、散る花は時の流れを背中に感じることにある。巡る季節には、終わりのない物語の契機を見ているのである。しかし一方の松山千春の場合はは、巡る季節の中にいる旅立ちの鳥である。時の流れと共に積み重ねられる物語ではなく、宛のない旅立ちのごとく "何を見つけるだろう?" である。光のどけき春は、伝統的平穏無事な日常生活の象徴であり、伊勢正三はそれを見ながら新たな時代の流れを見た。一方の松山千春は飛ぶ鳥であるカモメの新たな時代に旅立ち、宛てなき巡る季節を見た。

こうして70年代前半の伊勢正三から70年代後半の松山千春へと時代が移行した日本歌謡史であるが、千春は 「恋」80 によって、男性歌手が歌う女心の傾向に終止符を打った。中島みゆき「わかれうた」77、渡辺真知子「かもめが翔んだ日」78などに認められるように、男が男自身による絵になる風景の計画を女の側が気付いてしまったため、男の側も 「カサブランカ・ダンディー」79 のようにキザな女心解釈も通用しなくなったと自覚し始めた。そんな状況になった中、千春の 「恋」 では、女がついてくるだろうと思う根拠なき男の自信にたいする、女側の離反決意が示されている。それはまるで「UFO」77の"地球の男に飽きたところよ"の流れに重なるかのようだ。 (もしかぐや姫ならば、そんな男たちも光のどけき春なので、当て付けを言うこともなく月から迎えが来るだろう。) 男性歌手が女心を歌えるのは、男が抱く女についての解釈が広く男女共に共有化されている必要がある訳だが、それに呆られ、"待たせる男と待ちくたびれる女" の状況の認識となった。石川ひとみ「まちぶせ」81、あみん「待つわ」82 で女性歌手から訴えられるが、流行語「シンデレラ・コンプレックス」82 により待つ女についての解釈議論が日常化したことによって、男性が歌う女心の歌の決定的終焉を意味する。

しかし70年代の光のどけき春は、その後どのように変化したのか? 中島みゆき作詞作曲、柏原芳恵「春なのに」83 では、光のどけき春に花が散るのを見て、溜め息が出ている。光のどけき春を見ながら散ることの不可解に包まれるのである。伊勢正三の 「ささやかなこの人生」 では "花びらが散った後の桜がとても冷たくされるように" と光のどけき春と散る花の社会学的解釈を残していたが、80年代からは社会学的解釈はわからなくなり、新たな独立自尊理念が浸透した時代であることに加え、かつ仲間同士が集まった卒業式のゆえ、光のどけき春と散る花の対比が見えなくなったのだ。いや、80年代の漫才ブームにより光のどけき春はお笑い舞台に限定され、散る花はそのネタ題材にされて行ったようなものと喩えられるだろう。中島みゆきがその光のどけき春と散る花のような社会学的解釈に近づき始めたのは、もはや80年代の多様化促進のため光のどけき春を広く共有化しえない時代だったのだが、それは 「空と君のあいだに」94 からなのである。



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