思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

日本人への提言

政治家のみなさん。早急にテレビ放映の際の、政治に関するナレーション状況の画面顔出し義務化をした方がいいですよ。おそらく眼鏡をかけた澄まし顔が、すぐに出てくることになりますが。また実現不可でも、議論に持ち込むだけでも、意味がありますね。

出来れば、与党からの公な要請による司会者の討論番組の確保ですかね。どれだけ一般国民が民放報道にうんざりしているかわかりませんが。まあ~、詳しいことはわかりませんが、NHKか何かで日曜日に三十分なり一時間の枠を取れればいいんですけど、何かいい方法はないものですかね?マスコミ批判側の論客を多めに配置し、民放番組で政治発言している人々を数人招く形でね。出演要請して拒否された場合は、その旨を随時お知らせすることは欠かしてはいけませんよ。報道に関する討論ですから、要請した部分の収録ビデオの提出は民放番組の義務ですね。討論に招いて人々は民放番組でいくらでも批判できますから、少々きついことを言ってもいいでしょうね。橋下徹さんや東国原さんあたりに期待したいが、難しいですかね?

少なくとも収録ビデオの提出か、自らのビデオ収録の予算確保をして、マスコミが政治を語るように、収録ビデオを使って民放の報道状況について語れる枠(政治家でなく、与党の要請による司会者)を確保することです。お馬鹿な評論家も評論される必要性を国民に訴えましょう。

評論家とは、評論家同士の出番確保の闘争に、日夜一生懸命。逆に評論家を評論をする機関の設立に向けて、今日の自らの出番確保の同業者間闘争にならざる負えない現状に不満を感じている方々がいる中、どれだけ支持していただける方々が得られるか?あるいは同業同士の闘争には今や苦心することのない安泰気分で不満など全くなく、今日の自らの「私解説する人、あなた解説される人」的な評論活動に御満悦な人々ばかりなのか?その辺をよく見計らう心の準備も、設立提案する前には必要でしょうかね。しかし民放に嫌われてしまうと大変ですから、司会の引き受けてはいなくなるか、受けても今後のことを考えれば充分に切り込めないから意味ないかもね。

まあ~、お呼びした評論家の経歴実績の詳細ばかり説明させておかないで、お呼ばれ評論家をお招きしている、番組制作側の評論家選定している最高責任者の経歴実績の情報公開義務化くらいは、進めてもいいんじゃないかなぁ~~~ テレビ局やら番組が評論家選定しているかのように演出しているから、おかしくなるんだよね。局側は誰がお呼びしているを公表し、一般人もその依頼や選定している人物のお好みを評論できるようにしたいね! 「あの人が評論家を選ぶ番組が見た~い!」、「あいつが選ぶ評論家って、みんな……みたいな奴ばかりじゃん?」ってなれば、ただの政治家品定め的報道から、少しはマスコミの選定状況にも目を向けられるようになるため、まともになるんじゃないの?って言うのも、直接的な一般視聴者は当てにならず、実際は見る目があるコメンテーターや政治家が現れて、上手に茶化せる題材になって欲しいわずかな期待だけだ。最高責任者を置かないままだと、いつまで経ってもマスコミとか番組の名に甘ったれた自集団の庇い合いになるから、やはり選定人にズームインは、作っておきたいですね?官僚や公務員もそうなんですが、人事の発信元が肝心なんですよ!集団的とぼけ具合を改革するには。

それから政治家は、マスコミ批判なんかをしているようではダメですよ。ちゃんと評論家の一人一人の態度や性格を茶化しながら解説すること。批判するならマスコミではなく、もう少し局所的にすること。奴らは 「マスコミを批判した」 と自分の側を大きく宣伝するから、ちゃんと"宣伝した個人"をよく見ることですよ。少しずつ、視聴者の一定数に喜ばれる茶化しに気を配って行くことを忘れてはいけませんね。



あと戦後の意識史みたいな歴史の授業を取り入れるのが、よいでしょう。現在活躍の人々に支障がありますから、その辺は色々議論してもらい、少なくとも70年代から80年代の意識変化に多くを割いてもらいたい。あといじめの心理社会学も取り入れるとよいでしょうが、現在の著名な方々では頼りないから、遠い将来に任せた方がいいかもね。意味合いが専門家自身の立場の箔付けが強くなりますから。



それと老人ホームに、文化史の専門家を置いて聞き取りなどで会話の場面を作ったり、好きそうな老人がいたら資料まとめの係にするのもいいかもね。余生を自由に暮らすなんて阿呆だよ。彼らは若かりし頃、老人の話を聞いてこなかったのかね?そうだったね。人は聞きたいことしか聞きませんね。ただ話し手自身の思い出だけ聞かされるのは苦痛なのはわかるけど、時代の意識変化から心理学と言うか、人間の仕組みって言うのがわかるんだけどな。まあ、それには専門家の補助が必要になるかな?ちがう時代を生きた若者と老人の意識のちがいの接点を結び付けるには。なんだかんだ言っても、人間の性格って言うものは、かなり物の見方と関係しているんだよね。難しい話になるから、結局、ものわかりがよい卓越した集まりがニーズを確保するのを待つことになるのでしょう。



そして、さまよう天才は、次のさまよう天才のために、種を蒔け。人々に理解されようとするのではなく、さまよう次の天才のため、そして通り過ぎる人々、噂をする人々についての見方を残してゆけ。もしどうでもいいようなことがもてはやされているのに苛つくのならば、他のどうでもいいことをもてはやす側に入って盛り上げろ。もてはやされる側が何を感じているかがわかるだろう。私は過去のさまよい人の実を拾い、また新たな種を落としておいたが、それは過去の種蒔き人と同じこと。喩えれば、芥川や太宰の自殺はが自殺の危険性を残すため、また人々の噂状況が示されなければならなかったようなものだ。もし自身が理解されないのならば、理解できない人々同士も理解し合っていないことが見えるだろう。彼らは、あなたが理解される可能性を見て怯え、それを阻止するために噂を広げようとするだろう。噂に怯える人々へ向かって。

そして、あらかじめ自身に向けられる非難を計算してなのか、人々に見せる自分と人々を見つめる自分とはちがうことを訴える、まるで腹話術の人形のような視線と声で。自分で自分の操りを眺めるが、操り眺めている自分が見えない。いつまで経っても、操る腹話術の効果を身内で相談し合う人々である。

そう言う訳で、種蒔きを終えたなら、素知らぬ顔で自らも通り過ぎるのがよい。自分の仕事ではなく、他人が蒔いた種かのごとく。アルチュール・ランボーは 「我は他者なり」 と言って、通り過ぎた。

さあ、僕らも腹話術の練習だ!



振り向かないで! 多様性の人数配分を狙いすます 一歩置き自尊心の みなさん!

もう みなさんの背中以外から 話すことは なくなりました

もし 腹話術人形の背後に影さえなく あなたの背中から他の声が聞こえましたら 彼らは 名もなき 私の知り合いです



blowin' in the wind



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
スポンサーサイト
  1. 2010/11/05(金) 00:42:19|
  2. 他人事天国
  3. | トラックバック:0

トラックバック

トラックバック URL
http://gold1513.blog48.fc2.com/tb.php/197-795a20fa
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。