思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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集団追従と単独改革 一粒で二度おいしい

やっぱり、グリコのように 「一粒で二度おいしい」 を見習う方がいいかもな。

あまり先を見通して、あれこれ言うことは損だ。真珠湾攻撃への全体主義を恐れて、今日の流行の理由を知ってはいけないね。ただの反逆者と言う 「非国民」 と呼ばれかねない。できるだけ特攻隊に組まれない側に属せるよう注意すること、でなければ外側人の死など考えず仲間と一緒に 「同期の桜」 を歌う方を選んだ方がよい。命令されて行く特攻隊はみんなのための犠牲と多数の理解は得られるが、誰からも命令されない特攻隊は世間知らずの自己陶酔と宣伝されるだろう。まあ、もともとは多数がそのように宣伝することにたいして戦っていた【命令されない特攻隊】で、【命令される特攻隊】が生じる原因を、その宣伝力にあると見ていたんだがね。

つまり他者を評価すると言うこととは賞賛であろうと非難であろうと、評価する側の利権のためなのである。こんなことを言うと勘違いする阿呆がいるが、 「評価をするな」 と言っている訳ではない。 「その利権の自覚と監視、そして情報公開をしろ」 と言う意味だ。まあ、その暗黙のルールで競争しているのが今の世の中なんだが、いつまでも 「言論の自由」 と言うか 「評価の自由」 とやらでステップアップの暗黙ルールを独占していないで、その暗黙ルールの情報公開をしろと言うことかな。まあ、その暗黙ルールを読み利用できるのがステップアップの権利だったね。外圧によって困窮状況が共有理解ができるようにならなければ無理な話だな。

暗黙ルールの秘訣、各人それぞれがそれぞれの形で知ってるつもりでいる口には出さない笑顔ぷりも、テレビを見てると色んな種類があって面白い。まさに人の抱くタレントの好き嫌いの秘密、ここにあり。もし私がテレビに登場することになるのであるならば、きっと笑顔評論家としてであろう。

しかし時代は急に変われない。社会的混乱へ導くと知っていても仲間と合わせることだ。真矢みきのコマーシャル集団ように。迷惑を受ける連中なんて阿呆だから、まさかこちらに原因あるなんて気付きはしない。もし気付いたとしても、こちらは大多数だから、責めきれないだろう。知識の社会的配分。肝心な処世術を極秘な知的財産とする側が、どうでもいい方の知識を大判振る舞いかのように、知らない側へ提供している。あるいはわざわざ遠回りさせるように助言するものである。太宰治の人間失格の原因とは、もともとその仕組みを知る側だったが、無駄なバレた時の恐怖のため、知る側の団体に協調できなかったことにあるようなものだ。人並みの狡さに協調できずに、卓越した狡さになってしまったのか、詳しい事情はわからない。

まあ、金持ちの子供は金持ちの子供と一緒に成長するのがよい。妙に貧乏側の立場を考えてしまえば、金持ち側からも仲間外れ、貧乏側からも仲間外れとなり、まるで太宰治のようにはぐれるだろう。さもなくば中村主水のような二重意識の影法師だ。

結論。混乱の原因側に属しながら、混乱時期になったらその救済役に割り込む、そんな評論家になるのが、一粒で二度おいしい。

ただし、その一粒を獲得するには、いつでも自己活躍にポジティブで、なおかつ 「時代」 の強調宣伝により、その一粒を隠し続ける逞しさがいる。 (むしろ 「時代」 によって正当化できることこそ時代なのにね。) 全く隠すだけの価値があるものだから、こちらが暴露しようとするもんならば、それはそれは憤怒の様の恐いこと。人々の鎮まる光景も、この上ない。まるで手慣れた狙いすましの芝居がかった憤怒が見えてしまう。また、彼のすぐさま取りどす、自身の社会観を通した独特な時間の流れを感じさせる笑顔に、モナリザも微笑み、口には出さぬ視線で、その意味を我々に教えてくれるだろう。そしてそんな光景を見て思うことには、太宰治は暴露する側に行くべきではなく、憤怒の練習をするべきだったと言うことだ。

しかしよく考えれば、その憤怒の練習をろくにしない癖に、人の暴露ばかりした奴だから、やっぱり太宰治は悪い奴だったとする憤怒の努力をした人たちが正しいと思う。また 「太宰は二度おいしい一粒を獲得できなかった恨みで綴った作家」 と宣伝する勇気も身につけたい。みんなも負けずに、部外者の努力などどうでもいいから、自身の成果を努力の結果とアピールできる仲間づくりに、前向きに頑張って欲しい。

いずれにしても、思考とは、単なる個人個人の社会参加や社会貢献のための道具なんかではない。思考とは、侵略的な主張として社会的影響を与えているものでもある。その辺を自覚していない思考ばかりだから、自覚する側としては大変だ。まあ、後から、 「言ってくれればよかったのに」と、自己余裕の計画的態度にしか興味ない阿呆がいるので、ひとつ【思考の社会学】の名で、特に心理学者や社会学者の思考の迷惑について記しておいた訳である。

それにしても、今日もゴッホの波打つ遠近法を外れた空間が、こちらを見つめるので苦しいね。

我は他者なり、彼も他者なり。

「地獄の季節」 って、あるんだな?


やさいしい人々には近寄りがたく、知識に自尊心を持つ人々、言葉の効果の狙いすます人々には、性格判断されるだけだな。様々な見解を聞き入れれば頭はよくなるが、心はさまようだけである。いい加減なちょい悪親父を演じたままで、この世を終えるに限る。どっちが配慮があって、どっちが逞しいかは、生きている人々の宣伝具合か、利用具合による。

漠然とした空気的な評価に合わせることに優れ、漠然とした空気的な評価を下すことに優れた日本人。自身の職業立場を確保するための人物評価を発案する知識人はたくさんいるが、まともな人物評価をへ導ける知識人なんかは、ほとんど皆無。グローバル化やなんかが合わさって、今日のとぼけた人物評価がどこへ向かうかを想像すらできず、互いにとぼけた人物評価を下し合っていることによって、外部からつけ込まれることについても、相当に深刻な事態になるまでは気付かないのだろう。自身が抱いている人物評価の内容に不安さえ感じないばかりか、効果のある人物評価を互いに探し回る方々で、その人物評価たちが新たな人物評価を阻止し続けるだろう。権威のある人物評価が、その文化圏の特質を維持させ、とある未来を導くだろう。

隠し立て社会観に自尊心を持つお馬鹿と やさしき日本人の心へ さようなら



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  1. 2010/11/04(木) 21:50:44|
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