思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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阿久悠の周辺1

作詞家阿久悠は70年代の歌謡界に多大なる影響を残した。その多大なる影響を及ぼす舞台から離れたのは、恐らく86年の小林旭「熱き心に」と河島英五「時代おくれ」の頃が最後と思われる。一体、阿久悠氏がしたこととは、どのようなことであったのか、彼の周辺と共に考えてみたい。

まずはじめに、阿久悠の影響を考えるにあたり表舞台に上がり始めた初期段階と見なせる一つに、70年の「また逢う日まで」が挙げられる。この曲は前年に「ひとりの悲しみ」というタイトルでリリースされた後、阿久悠の新たな作詞によって広まった曲である。その変更がなされた歌詞を見ると、その詞には前年ヒットした、なかにし礼作詞、由紀さおりが歌った「手紙」の影響が感じられる。

「手紙」
二人で飾ったレースをはずし、二人で開けた窓に鍵を掛け、明日の私を気遣うことより、あなたの未来を見つめて欲しいの

「また逢う日まで」
二人でドアを閉めて、二人で名前消して、その時心は何かを話すだろう

同年の「あの素晴らしい愛をもう一度」71を見てみても、「あの時同じ花を見て、美しいと言った二人の心と心が、今はもう通わない」と、同じく過去の二人の相思相愛が回想されており、当時の時代性が伺える。また相思相愛にたいして個人主義的な自己志向も顕著になってきた時期なのであろう。それらは人々に共有されて来たと思われる【無意識な自己志向】の段階に達したもので、「ひとりの悲しみ」といった、取り残された自己状況を示す意味合いではなくなっている。
その後の歌謡状況にあたる、チューリップの「心の旅」73、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」76、イルカの「なごり雪」76の時期になると、現在の相思相愛と未来への自己実現の対置が主題となり、より自己志向が意識化された形になっている。
戻ること、先の「手紙」と阿久悠氏の類似点について言えば、「明日の私を【気遣う】ことより、あなたの未来を見つめて欲しいの」の部分、それと「また逢う日まで」の「互いに【気遣い】昨日にもどるから」がある。それは「ジョニーへの伝言」「五番街のマリー」73へと新たな展開とともに、引き渡された。
「割と元気よく出て行ったよと、お酒のついでに話してよ」と、ジョニーに自分のことで心配をかけないようにと願う。「もしも嫁に行って、今がとても幸せなら寄らずに欲しい」と、マリーについての自らが抱く心配を減らすと同時に、マリーの生活の邪魔にはなりたくないと願う。今後の二人のためにも互いに気遣うことを回避しようとしたのだが、相手に気を遣わせないための最後の気遣い、相手が幸せであることを確かめておきたい、同時にそれを相手には知られたくない気持ちが主題とされている。それは自分が愛した、あるいはまだ愛している人が幸せであって欲しい、またそれを確かめておきたいという願望が示されている。
しかし阿久悠は 「勝手にしやがれ」77に関わることとなった。「行ったきりなら幸せになるがいい、もどる気になりゃいつでもおいでよ」と、そこには別れたあとの相手にたいする願いはない、いや、願えない時代になったと悟ったかのようでもある。(実際は願いはあるが、愛というのに照れている)そんなことを願ったところで、それは全く格好がつかないものだろう、「せめて、少しは格好つけさせてくれ」「朝までふざけよう、ワンマンショーで」と、願う事柄が自分自身の立場に変わっている。同年の渡辺真知子の「迷い道」も同様、「まるで喜劇じゃないの、ひとりでいい気になって」と、醒めている相手、しらけている相手が対象とされている点で時代の特質と言える。
そう考えてみれば、前年の76年の「北の宿から」の「あなた変わりはないですか、日毎寒さがつのります。着てはもらえぬセーターを、涙こらえて編んでます」からの派生と考察できる。相手にされていないと知りながらもやらざる負えない思い、そんな思い自体さえも、同様に相手にされない状況下に入り、「勝手にしやがれ」のワンマンショー、「津軽海峡冬景色」77の、凍えそうなカモメを見つめて泣くことにもなったのだろう。
ジョニーやマリーの幸せを願ってみたところで、相手は何とも思ったりはしないのかも知れない。着てはもらえぬセーターを編んだところで、何の進展も生じない。そこで他の人との付き合いにより、どれだけ私が恋していたのかを知るであろうと願ったのが、「雨の慕情」80である。他の人との付き合いが雨という苦い経験を意味し、その経験が私のもとに連れてくると願っている。

言うまでもなく、阿久悠の分野はこれに留まらないが、しかし一般的な人々の付き合いや別れに関する分野に関しては、81年にほぼ完結されたと思われる。
その要因は一つは【歌】を歌詞の中に取り入れたことにある。「舟唄」79「歌い出すのさ、舟唄を」と、「鳥の詩」81「鳥よ、鳥よ、鳥の詩」と、最後の締めで【歌】が用いられている。それまでは様々な景色の中で歌っていたのが、80年の段階になって、その景色の中に歌っていること自体が映されることになった。つまり、今までの様々な「景色の中で歌っていた自分」を包括的に一般化したことを意味する。(「歌う」という動詞が従来自動詞だっであったのが、終盤にきて他動詞として使われるにいたったと喩えられる)
「もしもピアノが弾けたなら」81を見れば、「思いのすべてを歌にして、君に伝えることだろう」、だけど「僕にはピアノがない、君に伝える腕もない」と、もう伝えられる思いがないかのように、完結状況が暗示されている。「思いのすべて」とされている点にも注意すれば、今まで様々な状況への推移、展開とされて来たのに、思いのすべてをまとめてしまいたいと云った願望となっている。
そして完結の二つ目の要因としては、ドラマの中で歌われている点が挙げられる。生活していることと歌を歌っていることとの関係を見せることにより、より全般的な人生観がテーマになった。またそういう全般的な曲であったため、ドラマと共振する形となったのである。

若干安易かも知れないが、阿久悠のある分野における最終章とは、「鳥の詩」である。これに対応する第一章はと尋ねれば、それは「人は人と別れて、後で何を想う」と共振し、呼び出される、「その時、心は何かを話すだろう」の「また逢う日まで」としたい。

一番では、【鳥は鳥と別れて雪になる】と、最後の三番では、【春になる、秋になる】と歌われた「鳥の詩」。冬で始まり、最後に春と秋へと急いでいる。作詞家自身の別れを暗示するかのような「鳥の詩」は、この詩の終盤は秋となって締めくくられた。
二番の、【あなたを想うのは日暮れ時から、辺りが夕闇に沈む時まで】と、これからの人生において離れていった過去の人を振り返るこのできるわずかな時を示し、夜のさまよいの中でも【月になる、風になる】と象徴化された形での出現が示されている。
結局、「鳥の詩」が秋で終えたのは、次に来る冬を控えてのことなのか?。春には溶けてしまったと思っていた雪ではあるが、その雪はどうなっているのだろう……

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  1. 2010/02/25(木) 00:16:04|
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