思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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90年代 等身大

86
仮面舞踏会
87
夢をあきらめないで
88
とんぼ
91
しゃぼん玉
どんなときも
92
決戦は金曜日
君がいるだけで
離したくはない
93
裸足の女神
僕がどんなに君を好きか君は知らない
94
innocent world
言えないよ
空と君のあいだ
95
TOMORROW
96
名もなき詩
BELOVED


70年代後半もしくは80年代頃に広まっていた「ツッパリ」「ぶりっ子」。それは日本語に備わっている「張り」と「振り」による態度に関する解釈図式に則った名称である。
頑張る、威張る、張り切る、見栄っ張り。振る舞う、大人振る、知ったか振り、知らん振りなど色々挙げられる。一般的に「張り」に緊張、外界に対抗する自己表明、「振り」に対応、外界への自己効果の雰囲気が漂うが、本音と建前と区別から見れば、それぞれ建前の張り出しと建前の振りかざしと喩えれるかも知れない。
そんな様々の態度志向が交錯し、評価し合うことの疲れからか、次第に「等身大」「自然体」「自分らしさ」「あるがまま」などが台頭し出す訳だが、それ以前に建前による疲れの指摘やアドバイスがなされていたようだ。

少年隊「仮面舞踏会」86
SHYな言い訳、仮面で【隠して】
棄てな【棄てな、まじなプライドは】今は
田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」88
悩み事を【隠す】の、案外下手だね
Ahもっと【もっと素直になれ】、心の中身を空にして

ご覧のように両者ともに、前者では本音の【隠し方】が指摘され、後者では【建前の破棄】がアドバイスされる形を見せているのがわかるだろう。
しかしこのアドバイス形式自体に、もう80年代以降の特徴が感じられる。もう世代間同士での闘争などはしない、アドバイスする人、アドバイスされる人という形式が確立された世代内闘争の時代である。(世代間闘争は、校内暴力などに限る。)ノンポリは当たり前、アドバイスする側につこうと人脈形成やら舞台設定とかが価値観多様化を利用しながら進められた。
そんな中、歌謡界での「自分らしさ」の初期段階の作品としては岡村孝子「夢をあきらめないで」87を挙げておきたい。そこでは「負けないように、悔やまぬように、あなたらしく輝いてね」と歌われている。もともとは「自分らしく生きる」という理念はなかったはずであるが、ここでは様々な道を人それぞれ歩む状況を描いて、他者への期待として「あなたらしく」が使われているにすぎない。年長者が周りの意見に思い悩む年少者に「おまえはおまえらしく生きればいいんだ」と励ますかのように、それは他者へ向けて言われる「自分らしく」だった。
「自分らしく」とは、そもそも現在の状態を「自分らしくない」と解釈さる状態が前提とされなければならない。それ以前は、今、ここにいるのは、誰が何と言おうと自分であるという、無意識だが、そう前提されるのていたにちがいない。恐らく「自分らしくない」とは、他者が抱く価値観に自分が振り回されて苦痛に感じる状態であり、「自分らしい」とは、他者の価値観に苛つき振り回されることなく、自分の価値観で自分が納得いく状態にいることと思われる。そして価値多様化の時代、他者の価値観に振り回されず立ち振る舞っていられる人物について、「自分らしく」生きていると解釈し、次第に各人の目標理念へと広まったものと思う。

「しゃぼん玉」91「もっと俺は俺でありますように」
「どんなときも」91「どんなときも、どんなときも、僕が僕であるために」
「決戦は金曜日」92「私らしくあるために繰り返した」
「innocent world」94「入り組んでる関係の中で、いつも帳尻合わせるけど、ああ僕は僕のままで、ゆずれぬ夢を抱えて、どこまでも歩き続けてゆくよ、いいだろう?mr.myself」
「TOMORROW」95「自分をそのまま信じていてね、明日は来るよ、どんな時も」
「名もなき詩」96「あるがままの心で生きられぬ弱さを、誰かのせいにして過ごしてる、知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で、もがいてるなら」
「BELOVED」96「自分らしく生きてゆくのに、あなたがそばにいてくれたら」

特筆できるものには、長渕剛の「とんぼ」88がある。「俺は俺であり続けたい、そう願った」「それでもおめおめと生きぬく俺を恥じらう」と歌われる。ここでは、自分のスタイルを崩してまでの社会や時代潮流への順応にたいして恥を感じる訳であるが、その恥は単なる守るべき自らのスタイルが崩れることだけにある訳ではない。「だけど俺はこの街を愛し、そしてこの街を憎んだ」と街に社会構造や時代潮流が象徴されている。自らがなす順応のためのスタイル変更とは、根拠もなく「時代」の名のみで順応させようとする側に手を貸すことと等しいと解されるのだろう。東京に自らの夢を描き、その街の無情、無関心にに憤りながらも生きてきた。しかし安易な順応のためのスタイル変更は、今後夢を求めてやって来る若い世代にたいする裏切りと感じるのであり、時代の変わり目にいる社会内の構成員としての自分の役割が、若き自分が見て憧れた先の人々を通して描かれている。時代変化には社会の様々な役割が交錯し合う構造の変化も伴う訳だが、自らのスタイル変更によって、より大衆的順応を強いる時代潮流の社会構造へ加担する自分を感じるのである。
この点に関し、「等身大」「自然体」理念には、もはや時代に参加、加担している自分の社会的影響については、反映されていない。それは「ツッパリ」「ぶりっ子」からの脱却、あるいは「強がり」からの脱却といった、個々人のなす社会的態度の変化に限られた新しき理念の普及に留まる。

「君がいるだけで」92「自分の弱さもしらないくせに、強がりの汽車を走らせていた」
「離したくはない」92「いつも強がる涙さえ、こぼれそうさ」
「もう恋なんかしないなんて」92「もし君に一つだけ強がりを言えるなら」
「裸足の女神」93「はかないだけの強がりと見えるなら、いっそ誰かに抱きつけばいい」
「僕がどんなに君を好きか君は知らない」93「どんなにTRUE LOVE強くっても」
「言えないよ」94「ひとりばっちの夜がくると、強がりまで振り出しさ」
「空と君のあいだ」94「君がすさんだ瞳で、強がるのがとても痛い」

強がりが、効果なき自己理念への固執と感じられると同時に、新たな目標理念として「等身大」「自然体」も広まったのだろう。
しかしミスチルの「自分らしさの檻」「mr.myself」とは名文句だ。これから来るであろう常識的な社会観、人間観に疑問を持つ若者世代の礎になるよう、ぜひ期待したい。

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  1. 2010/02/23(火) 01:46:22|
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