思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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手が届かぬ領域 梨元勝

芸能レポーター梨元勝がしたこと。それは【言葉の力】と【手の届かぬ領域】の発見であった。彼は法政大学で社会学を学んでいたらしい。学生運動などが効果を発揮することがなく終焉したことについての事柄に関係していたと考えてよいだろう。

おそらく、大学体制側が維持される社会的な構造を自らの芸能レポーターという職業に、そして効果が上がらなかった学生運動をその自らの職業に不快感を持つ人々にと、それぞれ当てはめながら世の中を見ていたのである。

その自らの[言葉の力]を持つ図々しい突撃レポーター活動に不快感を持つ人々がいくら嫌悪の言葉を発しても、自身の職業が排除されない[手の届かぬ領域]の社会構造についての自らが抱いている知識によって調整していたのである。質問を受ける芸能人が抱く不快感についても事情は同じで、自身の職業の維持確保が崩されないと思えれば、いくらでも突き進めたのである。

ではその梨元勝の活動が出来たのは、他の人々と一体何が異なっていたからであろうか? それは【人々の抱く関心や不快感についての多様性】や【恐縮の心理学】についての知識であったからである。別に突撃に挑める硬い信念や性格、あるいは人間味ある人なつっこさがあった結果などではない。 (性格論的解釈ではなく、知識論的解釈の必要性がある)

まさに「恐縮です」の連呼は、恐縮の心理学を潜めていた証拠である。芸能人の恐縮を利用するために、自らのどうでもよい先手必勝「恐縮です」を行ったのである。全く今日の大物芸能人を見ても、どうでもよいことで謝罪し恐縮しておくことによって、肝心の大切な自分の領域には触れさせないようにする秘技に磨きをかけているばかりだ。

さて人々が見る芸能人とは何であろうか? 彼ら芸能人を好くファンたちがいる訳だが、しかし必ず嫌う人たちもいるのである。その嫌う人々の心理を読むことが梨元勝の卓越なる知識の技であった。(人々の抱く関心や不快感についての多様性) たとえ梨元自身のレポーター活動を嫌うファン、あるいは伝統的理念から「そこまでやるか?」的な第三者的不快感がいくら沸き上がったにせよ、自身の活動の場さえが失われなければ痛くも痒くもないのである。またその人々からの不快感を受けても、度々カメラ目線を配らせるほどの余裕を見せれるそんな自分に、自身の卓越した社会観を自覚して行ったのである。三宅裕司の笑顔も梨元勝の笑顔にかなり近いところを見れば、それは同じ社会観の現れなのだろう。萩本欽一の場合は、その人々の不愉快を利用する社会観で人脈を作るまでには至らず、自らの芸人としての評価を匿名大多数に委ねていた点で、80年中盤に衰退したのである。

一般人大多数を含め普通の芸能人の場合は、他者から不快感を向けられることは避け、あるいは不愉快を向けられた時には顔をしかめたりせざる負えない立場にあること(恐縮の心理学)を、梨元勝は密かに眺めていたのであり、かつそういう人々がいることによって、自身の職業活動の場が維持確保しうる安全指針となる社会構造を、そっと意識していたのである。簡単に言えば、人々が周囲の不快感な視線を気にしていることについての心理学的な見方を秘めていたのである。あの学生運動から不愉快の念を向けられていた大学体制側が、頑としていられたことの社会構造を自らの職業立場に重ねた形である。もはや学生運動のような暴動がない時代となっていたので、自身の職業領域の維持確保にのみ注意していれば、こと足りたのである。

梨元勝が知名度を上げたのは、76年に「アフタヌーンショー」へ加わり、しばらく経った80年頃からである。日本の知識形態も、80年の漫才ブームの頃から大きく変わって行ったが、現在も活躍しているタモリとビートたけしは、まさに梨元勝と同世代の二人であり、共に80年代から台頭し始めている。もちろん両者とも梨元勝の抱いていた社会観については理解していたと言ってよい。タモリの余裕については、自身の体制維持を中心に見ている点で梨元勝の意識とほぼ等しく、ビートたけしの場合は、まだ名を残したい野心があるためか、自身が体制側にいることの恐縮もあり、まだまだ衰えない様々なやりたい構想を残してはいる。

同じ80年代からは今も活躍する、ひと世代新しい明石家さんまと島田紳助がいるが、先の二人とは少々異なる。いつでもゲストにたいする次の質問を用意し、対面的な状況解説を必要とするところの、クラスメイトを楽しくするムードメーカーなのである。タモリとビートたけしの世代は、一応、仕切る立場としては先生から見られる学級長的な意識を残している。相手が話を終えてから自分が喋り出す間が、その世代のちがいを象徴する。さんまと紳助は、先生からの視線を感じるにしても出世した後の同窓会のノリとなる。



1940年代生まれの学級長意識、1950年代生まれの休み時間のムードメーカーあるいは学園祭執行委員から、やがて80年代後半以降の1960年代生まれの世代となると、今度はクラス単位の学芸会である。とんねるず、ダウンタウン、爆笑問題が、そのコンビ騒ぎ立て進出のビッグスリーである。コンビで学芸会の司会者が任され、その学芸会のクラス仲間の芸に絡んでは、時には部外者であるよそクラスの学芸会なんかについてもネタにして、民族主義ではないが、ナショナリズム的なクラス主義みたいな盛り上がりを見せるのである。視聴者はどのクラスの学芸会が面白いかを自ら定め、気に入らなければ他へ行って楽しめばよいと言った暗黙のルールを訴えながら、学芸会を日常化させたのである。休み時間のムードメーカーは他で遊んでいるグループがいることも意識していた訳だが、学芸会の主催コンビは、自分のクラスをまとめあげるのが仕事で、タモリ、たけし、さんま、紳助たちの世代のように独りの人間として進出することは稀である。むしろ独りの人間としてやって来る人々を少しずつ招いてはコンビ自身の箔付けに利用し始めた世代なのである。関西軍のダウンタウンはまだ保守的になっては来たが、関東軍のとんねるずと爆笑問題は、学芸会司会者役の腕前に人生を賭けたかのようだ。「みなさまのおかげでした」は「恐縮です」と同じ効果を持たせては、コンビ自身の手の届かぬ領域を守り維持させた。



おそらくテレビメディア界における【手に届かぬ領域】を発見し、行動に移した初期の人物には、梨元勝は含まれる。その状況をテレビで見たわれわれ視聴者の中からは、安全性の秘技を覗き見しては、新たな参入を試みた人々もいて、現在のテレビメディア界となった。彼はいずれなされなければならない領域に踏み込んだとは言え、しかし自らの[言葉の力]による[手の届かぬ領域]を、ただ守り続けただけであり、[手の届かぬ領域]の説明責任や公正化については全く触れようともしなかったのである。まあ今日のマスメディアのみなさんにしても、ここしばらくは、互いに[手の届かぬ領域]を守り続けるだけに貢献するのであろう。まるで天下り官僚のごとく、各人互いに「私の在命中だけは、何卒、秘技の恩寵にあやかれますように」と祈り、努力しながら………



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  1. 2010/08/23(月) 18:39:54|
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