思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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ある聖書の見方

ノアの箱舟以外は滅ぼし去るとした神。根拠の一つは「心の思い図り」創世記6章5節、8章21節だ。また似ている箇所として、バベル塔も挙げられそうだ「創世記」11章4から9節。
一般的に聖書では、神を配慮しない人間の傲慢や驕慢を戒めようと描かれている。神に背けば神に謗られ、神に従えば神に受け入れられる、そんな感じで解釈されている。そして聖書を批判する側では、勝手に自らが定めた「神」で他者を戒めしめようとする選民性が指摘されているし、聖書の方にも傲慢や驕慢が感じられる。
この双方の理念対立は大変興味深い。特に聖書批判に見られる、「自らが定める理念による他者解釈」である。私が見る限り、別に聖書だけがしていることではないからだ。
ただ全世界を包括する概念「神」を使うか使わないかという問題に限定したい議論も生じうるのだろうが、世界史を見れば過去「神」の概念で闘争を繰り返したことについて考えたい。私が問題としたいのは、これから一般的な人々が穏健に進んでいくための議論方法ではなく、あらゆる出来事、実際に起きた世界史的まで出来事と同様、現在の出来事も等しく包括的に社会を解釈することにある。
要するに聖書がその時々にどのように読まれてきたかを、現在の我々が様々な本、情報をどのように読み解釈しているかと等しい領域に入って理解する必要があろう。
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  1. 2010/02/22(月) 02:59:29|
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