思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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南北分裂 「列王紀」 「歴代志」

サウル(サムエル記上・10章・24節)、イシボセテ、(サムエル記下・2章・8ー10節)ダビデ(サムエル記下・5章・3節)、ソロモン(列王紀上・2章・12節、歴代志上・29章・28節)と受け継がれたイスラエル王国は、その後、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂した。そうした分裂の事情については、どうやらソロモンが他の神々の受け入れたこと(列王紀上・11章・1ー13節)などが一つの契機となっているようである。それからのイスラエル王位はひとまずソロモンの子レハベアムへそのまま継承された(列王紀上・11章・43節、歴代志下・9章・31節)訳だが、それ以前にはヤラベアムがソロモンから全12部族の内、10部族を得るだろう予言(列王紀上・11章・30ー31節)を受けている。



(ここからは、かなり旧約聖書の込み入った事柄となるため、私の知識では到底理解仕切れない領域になりそうである。幾通りかある専門知識と比べて見ても異質な見解、あるいは全くの私の誤認から生じる見解などが、相当に含まれているだろうことを、まずは断っておきたい。)



さて、ソロモンの背信に関する当時の人々の意見について旧約聖書で確認してみるならば、それはイスラエルの長老たちの[ソロモンの背信を改める保守派]と、若者たちの[ソロモンの背信を突き進める改革派]に、まず分かれていた(列王紀上・12章・6ー11節、歴代志下・10章・6ー11節)状況にあった。そして双方の意見を聞いたレハベアムは、結局のところ後者の若者改革派の意見を採用したがゆえに、ヤラベアムとの分裂(列王紀上・12章・16ー20節、歴代志下・10章・16ー19節)に至った形である。

そこで少々不思議に思えてくる事柄があるのだが、それは「イスラエルはダビデの家にそむいて今日に至った」(列王紀上・12章・19節、歴代志下・10章・19節)の表現である。全く日本語訳しか確認していないためなのだろうか、それとも何か肝心の旧約聖書についての知識が私に足りないのか、よくわからなくなる箇所なのである。

私の考えとしては、[南ユダの改革派を自らの与党と見なして、相手方の北イスラエルの野党的離反を表現している]と思いたいところなのだが、それでよいのだろうか? もしこうした解釈でよいのであるならば、アヒヤから受けたヤラベアムの正統性とソロモンの離脱性(列王紀上・11章・29ー39節)との辻褄が合わなくなってしまう感じがするのである。つまりソロモンのことで対立していたのに、いきなりダビデ家が話に出てくるので、よくわからなくなるのである。

おそらく、すでにレハベアムが王の座についていたので、南ユダから見れば「ダビデ家にそむいたイスラエル」であり、北イスラエルから見れば「ダビデ家レハベアム王を追い出したヤラベアムの王即位」なのであろう。またヤラベアム側から見れば、ダビデから離反したソロモンと見てダビデへの復帰を望んでいたのだが、旧約聖書側では、ダビデ家に強固な基準点をおき、かつすでに即位していたレハベアム王であったことに大前提をおいていたと思われる。それとも、そもそもの南北分裂の状況についての私の見解自体に何か大きな問題があるのかも知れないが、結局のところよくわからない。ここでは「イスラエルはダビデの家にそむいて今日に至った」の表現を、初めは対立を中立的に見ていたのだが、突如、南ユダ側の立場から[自らの改革を与党と見なす相手方の北イスラエルの野党的離反]を示したものと決めつけておきたい。



[試練観と歴史的展望]

以上の解釈を正当とするならば、旧約聖書とは「ヨブ記」の試練観を基調とした歴史的発展型(展望)を踏まえ、"北イスラエルの10部族側については改革にともなう試練観の不足"を見ていた南ユダ側の理念の投射と見なせよう。ダビデの方針から離れたソロモン(列王紀上・11章・6節)に加え、さらに「父ソロモンよりも離れる」(列王紀上・12章・11節、歴代志下・10章・14節)と言ったレハベアムの意味とは、背信的離反によって当然生じるであろうところの苦境に関する試練観と見なせるのである。

では何故に、わざわざソロモン以降は背信的離反をせざる負えなかったのか? それはソロモンの背信とは、個人的な没頭的享楽ではなく、外交意識の展開のため(列王紀上・10章・23ー24節、歴代志下・9章・22ー23節)であったと解釈しなければならないのだろう。サウルからのイスラエル王の建国の動機には、一つに他国の王政状況についての意識が働いていた(サムエル記上・8章・5節20節)のであって、その王政建国の外交意識がダビデ、ソロモン、レハベアムへと受け継がれていたと見なせる。王政樹立以前の初期段階としての背信では、後の苦難を考えない各人の現状没頭的な背信(士師記・21章・25節)であって、レハベアムの選択した背信の場合には、王政建国からソロモンへと引き継がれている外交意識が備わった、かつ苦難については後の展開へとつながる試練観と考えたゆえの、そんな国家的背信なのである。

なるほど、南ユダ側に割り振られた二つの部族とはユダ族とベニヤミン族であった(列王紀上・12章・21ー23節、歴代志下・11章・1ー3節)訳だが、それは南北分裂前のイスラエル王の、サウルとその子イシボセテ(ベニヤミン族については、サムエル記上・9章・1ー2節、歴代志上・8章・1ー33節)、ダビデとソロモン(ユダ族については、サムエル記下・2章・4節、歴代志上・2章・3ー14節)に由来しているのであろう。

特にダビデはベニヤミン族のサウル王とイシボセテ王とは対立していた訳で、そのサウルとイシボセテの殺害を利用する個人的利得のための背信勢たちにたいしては戒める態度をとると同時に、宿敵の死にたいしては哀悼の意も捧げている。つまりベニヤミン系から即位した王たちとは、目標理念(外交意識)を共有した試練観を持ち合わせていたダビデだったのだ。言い換えれば、「神」の目標理念がない取り巻きよりは、「神」の目標理念を一致させる敵を選んだダビデであり、試練としてのベニヤミン系との闘争から、やがて南北分裂後の南ユダ王国における結束にいたって、新たな試練へと向かうと言ったところなのだろう。

ベニヤミン系からユダ系ダビデへイスラエル王位が移った(サムエル記下・5章・3節)後も、ダビデとベニヤミン系との間にはシメイ(サムエル記下・16章・5節)、シバ(サムエル記下・20章・1節)などと争いが生じている。逆に言えば、「サムエル記」とは南北分裂の際の南ユダ王国側における両族の統合にいたるための、何らかの両族間に与えられた試練的闘争として、旧約聖書内で位置づけられている書と考えられるだろう。つまり旧約聖書では、南北分裂前後から、個人的試練観から国家的試練観への歴史的展望についての見方が変化しているものと、見なせそうである。



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  1. 2010/08/09(月) 21:40:28|
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