思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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起こり得ないことは起きない

さて「人間の仕組み」について簡単に言っておきますと、それは「神の創造」と「神の全知」を前提した概念となっています。もしどちらか一方に絞りたいのであるならば、「神の全知」の側だけでも、充分でしょう。

まず、[今・ここ]から未来に向かう自由意志か、必然意志かの[人間の仕組み]という問題を除外されます。あくまでも【すでに起きたこと】には理由があるのか、ないのか、あるいは【すでに起きたこと】を知っている何か(神)の存在を信じるか否かが、第1ポイントです。

さて我々は、【人間の言ったこと、したこと】について、それぞれ各人が解釈していますが、同時に我々人間が解釈する程度は知れていることも、おそらく何となくですが、誰しも感じている事柄でしょう。そこで、もらすことなくすべてを知っている[全知の神]を前提とした上で、その我々が解釈している曖昧な内容とは別に【人間の言うことや、することには理由があり、仕組みがある】という事柄を信じることが、すなわち「人間の仕組み」を信じることの意味となっています。

たとえば、我々が日常で出会うAさん、Bさん、Cさんがいるとしましょう。Aさんについての解釈はBさんとCさんとで違っていることを、度々、我々は耳にするでしょう。しかし全知の神を前提とするならば、当然、全知の神はAさんのことを知り尽くしていると信じることになります。しかし大切なのは、ここからです。BさんとCさんが下しているAさんについての解釈は異なっているのですが、全知の神は[BさんがAさんのことをどのように解釈さている]か、[CさんがAさんのことをどのように解釈している]かも知り尽くしていると、信じることになるのです。

そのAさんの解釈が異なっていることでBさんとCさんは言い争うかも知れません。またお互い解釈が異なっていると認めてそれなりの生活をするかも知れません。どちらの対応を取ろうと、それも全知の神は知り尽くしているでしょう。またそのAさん、Bさん、Cさんの様子を解釈している我々自身のことも全知の神は知り尽くしていると考えなければなりません。私が思っている「人間の仕組み」とは、各個人個人の仕組みのみではなく、他者を見つめている個人の社会的参加の相互作用も含まれます。

そうすれば「人間の仕組み」を信じるとは、Aさんの気持ちや心を信じるのではなく、【Aさん自身も知らないAさんの仕組み】です。ただAさんばかり見ていてもAさんの仕組みは、わかって行きません。AさんがBさんやCさんがどのように見ているかを理解しようとしなければ、進まないのです。また、ただAさんの意見ばかりを聞くのではなく、Aさんの意見へ反論することも必要です。それはAさんと意見を共有しようとするため、あるいはお互いを高めるためだけではありません。反論をすることで生じるAさんの反応にAさんの仕組みを見ること、そしてAさんからの反応にたいする自身の反応に、自分自身も知らない自身の仕組みを見ようとすることにあります。また繰り返しとなりますが、その仕組みを全知の神は知り尽くしていること、そして自らがその仕組みの解明を試していることも、全知の神が知り尽くしているであろう意識となります。

そこで[神の創造]を加えるならば、【起こり得ないことは起きない】、【起きたことは、すでに起こり得る仕組みの中にある】と意識されることになります。

なので私の立場からしますと、人体に関する科学的、生物学的解釈とは、現在大多数が支持している解釈に過ぎません。むしろその解釈が今普及している仕組みの方を眺めています。私の信じている[人間の仕組み]の解釈方法とは、あらゆる人間の思考方法を考察する必要があり、現在の科学的思考には偏狭さを感じています。

余計に難しい話になってしまった感じですが、私としましては、何だか自説披露に御満悦状態です……(汗)



さて、もし全知の神を信じることになるならば、 「全知の神がいようが、いまいが、たいして変わることはない」と言う意見を聞いた場合、その言っている人の仕組みと、その言葉の社会的影響、そしてそれを聞く自分自身の仕組みを探求してゆくことになります。また、たとえ全知の神がいないとしても、[全知の神]を前提とするならば、先ほどのAさん、Bさん、Cさんの例で示したような、新たな解釈方法が得られる仕組みになっています。



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  1. 2010/07/25(日) 09:18:09|
  2. 哲学
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  4. | コメント:10
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コメント

招き猫の手さん、
私の質問に付き合ってくださってありがとうございます!

結構、私には難しい話のようです><

     

例にある「Aさんについての解釈」というのは、
Aさんという人間についての、BかCの解釈でしょうか、
Aさんの意見についての、BかCの解釈でしょうか、




「人間の仕組み」とは各個人個人の仕組みと、他者を見つめている個人の社会的参加の相互作用。

「人間の仕組み」とは【Aさん自身も知らないAさんの仕組み】


私は「仕組み」という言葉にひっかかって、理解を妨げているようです><



  1. 2010/07/25(日) 18:17:02 |
  2. URL |
  3. mikaela5 #-
  4. [ 編集 ]

mikaela5さん へ

人とは、全くお話することのない話題なので、私ももう少し工夫が必要なのを実感します! しかし懲りることは、ありません。質問批判ががあれば、それに答えるのみ? 的に頑張っています。

まず前半はBさんとCさんが抱いている、「Aさんがどういう人物か」という解釈が異なっている点を問題でした。たとえは、Bさんは「Aさんは自分の意見を言えるたくましい、よい人」と解釈し、Cさんは「Aさんは自分の意見ばかり言って、人の意見を吟味しない傲慢な人」と解釈しているような状況みたいな感じです。しかしBさんやCさんがどのように解釈しようが、本当のAさんを全知の神は知っていると言うことです。またBさんがそのように解釈せざる負えないこと、Cさんがそのように解釈せざる負えないことと見なされなければならず、全知の神が知っている事柄に含まれているということを意味します。

すると「人間の仕組み」とは、人間の機械的法則みたいなものを意味します。そして人間が考えていることや解釈していることも、その法則に従っていることも意味します。

肝心な点は、知識、思考、思想、解釈などは、けっして人間の創意工夫ではなく、「卵から鶏への仕組みと鶏が卵を生む仕組みを、同時に用意した」と何ら変わらない、神がはじめに用意した「人間の仕組み」からはみ出た事柄ではない結果であると、考えられるのです。
  1. 2010/07/26(月) 01:34:43 |
  2. URL |
  3. 招き猫の手 #-
  4. [ 編集 ]

続き

それから、個人個人の人間についての解釈、Aさんとはどういう人か?、Bさんとはどういう人か?、Cさんとはどういう人か?と言った関心だけではなく、Aさんを知るのには、BさんやCさんをAさん独自の見方で解釈し、かつその独自の見方を頼りに行動している点、またその行動をBさんやCさんたちも独自に解釈し反応するのであり、その反応にたいしてまた反応するAさんです。

この説明は、難しいです。もっと実際の心理学や社会学の例を理解しなければ説明不能です。
それからさんとはどういう人か?【Aさん自身も知らないAさんの仕組み】とは、誰もが【自分自身も知らない自分の仕組み】によって作られていること、あるいは【人間自身が知らない人間の仕組み】を描くことが「全知の神」を信じることと関係している感じです。そうですね、ソクラテスの【無知の知】から「全知の神」へつながりそうな領域と思います。
  1. 2010/07/26(月) 01:56:01 |
  2. URL |
  3. 招き猫の手 #-
  4. [ 編集 ]

丁寧な説明ありがとうございます!

 私も、似たような考えをしたことがあります。同じかどうか分かりませんfが。

私の考えていたことは、
まあ、自由意志がないとうことなんですが、 機械論的な考えなのでしょうか、
たくさんのビリヤードのボールが宇宙の中でぶつかり合っている状態であるという考えです。

最初の一打が打たれた時には、すでに結果は決まっている。
今、8番の球がこの場所で、4番の球に向かっているのは、
数秒前に、8番に出会った3番に45度の角度でぶつかったからだ。というのと同じで、
そのことは、思考や会話についてもいえて、
Aさんの言動は、他者の言動と、常に作用反作用の関係にある。
という考えです。       (これは科学的思考というより、科学といっていい気がしますが、、)

もしそうであって、
最初の一打を打ったのが神だとして、
その行方を神が知っているかどうかは、今のところ私には分かりません。
「神の全知」について、私はまだ哲学できてません><。

このような考えをもって、 完全ではないのですが、なんとなく理解できた気がしていますが、
どうでしょうか?





  1. 2010/07/26(月) 06:36:22 |
  2. URL |
  3. mikaela5 #-
  4. [ 編集 ]

05

追伸    


やはり、前提を乗り越えないと、
理屈として理解できたとしても、
自分とはあまり関係のない話になってしまってます><。


私に、前提のダーウィンの進化論を理解できない、といわれたら、
私にはどうすることもできないです>< 
私にいたっては、自分で実証していないダーウィンの進化論を、科学的に実証され、今の所不便がないということを
信用しているにすぎないですから。  自分で実証できている部分はすくないですし、
ビッグバーンどころか、月が存在しているのかさえも、、
わかっていることは、自分を中心に太陽が回っているという現実ぐらいですw

  1. 2010/07/26(月) 07:09:00 |
  2. URL |
  3. mikaela5 #-
  4. [ 編集 ]

mikaela5さんへ

私の場合、「機械論的必然としての神」とは、それは【起きたことすべての必然】を簡単に説明するためのスローガンに限るものです。そこで、mikael5さんと私の見方のちがいについて、もう少し話を進めたいと思います。

まずビリヤードの喩えからしますと、ビリヤードが行われる空間も神が用意したと考える必要があります。どうでしようか? "神様とは空間の中にいて人々や物々の動きを眺めている"のか、それとも"空間の外から神様は物事を見ている"か、ちょっと考えてみると面白いです。

私の考える神様とは、空間の外から見る神様です。最初の始動させた力についても含めて言うならば、空間や玉を用意してから後になって始動力が加えられたものではなく、むしろ[空間、玉、力]を同時に用意してしたと考えたいものです。もし"力を後から加えた"と考えた場合には、普遍個体の運動論になってしまいます。つまり神を一つの普遍個体と無意識に前提しながら、この全世界を力で始動させと考えてしまい、我々の日常生活のような各個人が力を出して頑張っている様子と重ねているような印象を感じます。つまり神が、我々と同じように外界他者に向けて力を加えている物の見方と重ねながら解釈しているかのように、私には思えてしまいます。それは時間の方が神を包んでいるかのようにも思えます。

むしろ私は、始めに[空間、玉、力]を用意して、後に神様が時間を流したと感じます。おそらく個体は普遍的であるのに比べて、力が生起消滅するものであるがために、同等に扱うことに違和感を感じるかも知れませんが、"あらゆるすべての起きた出来事を神が全知している点"を強調するのであるならば、[空間、玉、力]の包括性が必要とされるでしょう。また人間の個人個人をビリヤードの玉一つ一つに重ねて見るならば、神は玉に相当する人間たちの働きを監視評価しているだけではなく、人間に【神自らが空間や力などすべてを用意したことさえも知らせるために】、[空間、玉、力]の仕組みを計算したと考えなければならないからです。つまりそのすべての仕組みを用意し、それから時間を流し始めたため、そのすでに用意された仕組みの中で、力が生じたり物が動き始めたと考えられます。

まあ一つの冗談ですが、すべての仕組みを作って時間を流した神様も、ずっと全世界を見ているのも大変ですから、ひょっとしたら時間を止めて休憩なんかしている可能性も考えられます。もし時間が止まったとしても、それを意識できない我々ですから、ないとは言えない訳です。

確かにmikaela5さんの示されたビリヤードの喩えは全存在の必然性を意味している点では私も賛成します。しかし実証的な科学知識の捉え方や、形而上学的な思考使用について、若干、私と異なっているのだろうと思います。

まず私の場合には、進化論的な思考には疑問を持っています。進化論とは、[進化した]と名付けられた新しい状態を説明するために、様々な外的要因を説明したり、内的構造の変革を説明します。しかし私は、その新たな状態である[進化の状態]には、【もともとそのような状態になりうる仕組みが始めからあった】から生じ得たものと、考えます。

[突然変異]などありません。[突然]とは"人間の側から必然性が説明できない"という意味しかないように、私には聞こえます。科学者は人々に説明するために[突然]と言い、人々の間で楽しい会話が出来る程度のものです。種から芽が出始める時に、何故「進化」と言わないのでしょうか?毎年毎年繰り返され、見慣れたからに過ぎません。私たちは、種から芽になる仕組みを、進化と呼ばれる飛躍がわからないと同じくらい、全く知っていません。芽が出る外的要因や発育速度など、ある程度の必要とされる知識で満足しているので気が付かないのでしょう。種から芽になるその時間間隔へ、長い人類の歴史的経過を縮小させてみれば、まだ一度も芽を見たことがなかった状況で。はじめて芽が出たのを発見した科学者が、種が進化して芽が誕生さたと言うようなものです。

突然変異は、今までに予想されない、ある限られた個体に限って起きた変異であろう。何が要因かはわからないが、その「突然変異」と呼ばれる状態とは、【突然変異となる様々な条件であったから、突然変異となった】のであり、そのような【突然変異となる条件であったのにも関わらず、突然変異にならなかった】ことの方が、神様も認める突然変異であろう。つまり[突然変異]とは、思考的な「正常状態」や「必然要因」との比較から名付けられたものに過ぎず、なんら内部の構造について追求した結果ではありません。

おそらく進化論や突然変異に関する科学研究にも、新たな知識的な功績はあるでしょう。しかし、その命名の仕方によって、人々にある世界観イメージを思い込ませ、ある社会状況へ向かわせているものでもあります。その社会状況さえもわからないうちは、人間の思考パターンにも無自覚であるがゆえに、まだまだ改善の余地が残されている分野であると思います。
よって私の考え方は、[神の全知]が根本的基礎で、二番目に【起こり得ないことは起きない】、【起きたことは、すでに起こり得た仕組みがあった】とする[神の創造]です。なので要素たちが織りなす機械論的な必然性については、特に人間の個人個人の相互作用について重ねる場合には、疑問が残るのです。ただ必然性を意図するための機械論ならばいいのですが、その必然性についての解釈方針は、人間自身の[今ここ]の知識を抱いている現実が、より自覚的に意識される必要があり、実証的科学には全くありません。あるのならば、むしろそれは科学史の厳密化の方に意義があると思います。
  1. 2010/07/26(月) 13:46:03 |
  2. URL |
  3. 招き猫の手 #-
  4. [ 編集 ]

本当にありがとうございます!
分かりやすかったです。
でも、私は基本的な所で招き猫の手さんの概念の解釈をまちがっているかもしれません。
今回のご説明で、だいたい理解できたようなきがするのですが、、


始めに[空間、玉、力]を用意して、後に神様が時間を流した。
私にとって新しい発想でした。

イメージすることが無理なことなのかもしれませんが、
「空間、玉、力」そこに時間を含めてもよさそうな気がしたのですが、
 時間というものは、別なのでしょうか?
神様が時間を流すということが、なかなかイメージできないでいます。


進化論について招き猫の手さんの言われていることは、ほぼ100パーセント理解できたような気がします!
私には異論の余地はありません。
ただ、もしかしたら、ダーウィンもそのことは頭にあったかとは考えられませんか?
ないですねw。ただ私は、ダーウィンが突然変異(和訳だから違うのでしょうけど)と名づけたことを、
責めたりはしないです。たぶん、科学的な知識が中途半端な人が(私みたいに)、今の進化論と、ダーウィンの進化論を
一緒にするのがいけないんだと思います。
今の進化論のほうで適切な名前に変えれば、、、
そんなに適切だとは思えない名前を、適切な名前に変えるのは難しいですね。  
馬糞ウニをなぜ、馬糞ウニと名づけたのか。あんなにおいしいのに!

なんとか、ダーウィンをフォローしたいですw

ダーウィンの進化論の本の中にかかれている表現はともかく、ダーウィンのいいたいことの内容については、
信じてもよくないですか?

人は昔は猿だったということを。
  1. 2010/07/27(火) 05:11:10 |
  2. URL |
  3. mikaela5 #-
  4. [ 編集 ]

[空間・玉・力]と[時間]を一緒にしても、もちろんよいと思います。しかし、それをあえて区別する存在論モデルとしたのは、【全体と部分】や【物質と状態】についての示唆が含まれます。

たとえば、教科書の隅っこに、少しずつ形を変えていくアニメーションのようなバラバラ漫画みたいなイタズラ書きをする場面を思い描いてみましょう。(ただし、アインシュタインの唱えた【同時性の相対性】が若干、問題吟味されるのですが、ここは素朴な一意的同時性による歴史進行と考えます。)

つまり、ビリヤードにおけるそれぞれの玉の位置全体を、各時間ごとに一ページづつバラバラめくるみたいな仕組みを作ったということを意味します。それは"部分と部分の時間経過を介した因果関係による素朴な思考方法"を反省する意味で、[時間]と[空間・玉・力]の区別が役立ちます。

一秒前の私は、今の私ではありません。そしてその変化は、私だけに由来するものでもありません。おそらく影響を受け得るのは光速度の範囲と想像しても良いのかも知れないと思われますが、部分を見る場合には、【すでに起きた過去の全体から、現在の部分を見る】必要があり、また【過去の部分は、今の全体へと影響を与えている】のです。それを踏まえて、ある時間における全体的な状況を見ている神様を想定しうるのであり、その全体の一ページ一ページを穴埋めしながら、部分を考察していく研究意識が芽生えます。

冗談で話をした、時間を止めた神様の休憩を想定しながら、一意的な全体を時間ごとに想像する意味で、[時間を流した]、あるいは[ページをめくり始めた]神様を想定しました。(休憩中の神様自身の時の流れについては聞かないで下さい! )時間的変化をたとえて見れば、それは【ものごとの変化】ではなく、【出来事の積み重ね】のような歴史です。それぞれ各人が変化することの集積が世界ではなく、世界が一枚一枚、「今・今・今・今……」と写真やら紙のように積み上げられていくようなものです。それは、ビリヤードの玉を、空間とや力などと包括させて、【物(物質)】から【事(状態)】と見る効果もあるでしょう。しかし一方の、[時間]を[空間・玉・力]と一緒にした存在論モデルですと、【全体と部分】や【物質の状態(事)性】が漠然となってしまい、諸行無常や万物流転、さもなくば、ページを開かないままで本のタイトルを読むような感じがします。



いやはや、進化論については、mikaela5さんの言うとおり、実際のダーウィンの理論については、私の吟味不足だと思います。実際の進化論についての様々な見解を、私は細かく調べてはいません。私の進化論についの訴えを認めているのでしたら、まだまだ、吟味する余地は広がっている進化論でしょう。

なるほど、現在の猿と人間のちがいは、一体何なんでしょうか? もともと神様が設けた相違が時間が経つに従い、目立つ大きなちがいになったのか、それとも長い歴史経過の獲得遺伝やら遺伝子組み換えなどによる変異格差の結果なのか、現代の実証的考察状況も私にはわかりませんが、興味深そうです。

そう言えば、ダーウィンの進化論の根拠とは、当時[奴隷は奴隷として生まれてきた]という古代ギリシャのアリストテレスも唱えていた考え方を覆したかったためと言われています。進化論を組み立てるには、その理論を構築する人間の思考形式をよく自覚吟味することが必要なのは確かです。進化論に限らず、単に「真実が実証された」と言った宣伝文句には注意が必要です。今まで普及していた理論の思考形式の不備、また新たな思考形式の説明がなされなければ、[実証]の意味とは、ただ大衆的思考形式を無自覚のまま喜ばせるための話題作りに過ぎないでしょう。
  1. 2010/07/27(火) 14:05:59 |
  2. URL |
  3. 招き猫の手 #-
  4. [ 編集 ]

時間についてのご説明、ありがとうございます!

こんなに説明していただけるとは、ありがたいです。
完全に理解したといったら嘘になりそうなので言いませんが、、あとは、私が理解するだけでしょう。
すこしtameが必要です。

哲学をするのは、こんなにも頭を使うものなんですね^^。
手紙は読むより、書くほうが大変です、感謝しております^^。


招き猫の手さんは、思考方法について良く考えられているのですね。
そういう、学問があるのですか?
私は、思考方法、思考形式について意識的に考えたことがありませんでした。
なので、何か、ものすごくいいものを得た感じがします。
表現もできないのですが、きっとよいものだとおもいます。


またなのですが、言葉を知らないということが新たな興味を起こします。
科学的思考、思考方法、思考形式、   
諸行無常については、過去に何度も辞書を引いて調べたことがあるはずなのですがw


ダーウィンの進化論の根拠が、[奴隷は奴隷として生まれてきた]という古代ギリシャのアリストテレスも唱えていた考え方を覆したかった、 というのは、なにかまた、おもしろいです。


最近、言葉を覚えようと、昔の哲学史の本を持ち出して読んでいました。
学生の頃は、知識は毒だとおもってたのか、単に飽きたのか、デカルトまでしか読んでなかったです。
とりあえず、ソフィーの世界は楽に読めるだろうと思って(中古で200円だったので) 買って読んだのですが、
結構しっかりとした哲学史の本でびっくりしました。完全に毒ですね、こんな本、中学生が読んではいけないと思っちゃいましたw。スピノザのエチカ、人間科学の哲学、分析哲学の意味論などの本を、会社の棚にならべたのですが、いつになったら読めるのかw  宗教についてはまったく分からないので勉強しなくてはいけないと思っています。
仕事にも活かせるはずなので。私はアニメーターをしているのですが、まさに神(紙)のような仕事ですよw
パラパラマンガの例え、分かりやすかったです♪

ありがとうございました!

  1. 2010/07/28(水) 11:03:41 |
  2. URL |
  3. mikaela5 #-
  4. [ 編集 ]

こちらもmikaela5さんに説明しようとすることで頭の整理をするいい機会となりました。

おかげでこちらは、色々気になる新たな研究課題が生じて来てしまいました。

アニメーションとは、やりがいがありそうなお仕事ですね。では私は、mikaela5さんの神(紙)の重ね技に、山田隆夫さん気分で、座布団一枚を用意しておきます。

それでは、また!
  1. 2010/07/28(水) 13:02:40 |
  2. URL |
  3. 招き猫の手 #-
  4. [ 編集 ]

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