思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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心理学者 アンネ・フランク

今回、赤染晶子が芥川賞受賞した作品「乙女の密告」とは、アンネ・フランクの戦中日記を題材に含めたものらしい。また直木賞受賞の中島京子の「小さいおうち」も、戦中の女中が題材にしているらしいから、現代社会に詳しい心理学者や社会学者気分に頼る作品とはならず、戦中の特定女性の立場から現代社会の様相を省みる形となったと言ったところだろうか。よい機会だから、芥川賞受賞作「乙女の密告」とは関係なく、アンネ・フランクについて述べて置きたいと思う。



アンネ・フランクは1929年6月12日に生まれ、日記は1944年8月1日で終わっている。その後ベルゼン収容所で生涯を閉じたらしい。戦後、父オットーの手もあって1947年公刊、世界的に広く読まれるに至った。戦争によって匿名なる数々の人々が死んだ中、アンネ・フラクも終戦を待たずに死んだ。やがて広まった「アンネの日記」を読むことが許されたのは、当たり前なことだが、生き残った人々と以降に生まれた人々に限る。奇妙なことに、私も日本語訳の「アンネの日記」を読むに至った。そして私を含めて読者は、それぞれの感想を持つのだろう。

しかし問題は、アンネ・フランクの死後に「アンネの日記」が読まれていることである。もし著者アンネが戦争を乗り切った後、自らの手で出版となったのであれば、おそらく異なった形に編集されていたであろう。また戦争を乗り切った人物の日記であったならば、我々も今日とは異なった感想を持ったであろうし、あるいは著者アンネが様々な取材を受けることによって、現在とは異なった関心に彩られることになったと思う。

「アンネの日記」とは、もはや一少女の独白を超えたところにある書物だ。それは父オットーが亡き娘の1943年6月13日、そして1944年5月5日と7日の日記を読んだことにある。アンネはその自らが記した日記を父オットーが読む姿を見ることはなく死んだ。オットー自身は自らの子供時代とは違う、亡き娘アンネを見たであろう。亡きアンネによる「アンネの日記」であるがゆえに、独特の意味合いを持ち、様々な解釈をする我々の状況の特質さえも知らす形になっている。現在の保守主義的な立場の人々から「アンネの日記」に関する評論を聞かせて貰えれば、それなりの現行の政治評論家の状況も少しは明るみになることだろう。

間抜けな現代心理学者やこれから心理学を学ぼうとしている人々は、一度は「アンネの日記」を読んだ方がよい。アンネの言葉を借りれば、現代心理学には「私が欲しいのは取り巻きではなく、友人」(1944.3.7)とする態度が見られず、周囲からの様々な性格判断('43.1.30、'44.8.1)の状況さえも充分に考慮されていない。アンネの態度の場合には、ショーペンハウアーの天才論に近い見方があると言ってよい。

それに比べ現代の心理学者のみなさんは、父オットーのような社会秩序のための暗黙的な伝統理念を頼りとする学者的態度によってか、迷惑者退治的な大多数を聞き手に扱う傾向にあり、自身に危害が及ばず、大多数から必要とされる立場を保ちながら説明することに一生懸命であって、アンネのような意志を持った他者衝突の経験から理論を構築したものは、ほとんど皆無なのだ。多分「アンネの日記」を読む際にも、反抗期にありがちな心理としてアンネの精神分析結果を人々に説明することに関心を置く方々であろう。彼ら心理学者に、亡き娘の日記を読んだ父オットーの姿が見えるのは、ざっと現状の心理学状況を見渡した限り、はるかかなたの未来のことと思われる。いつまでも経っても「私説明する人、彼ら説明される人」気分だから仕方あるまい。まるで【生き残っている人の、生き残っている人による、生き残っている人のための心理学】で、しかもその生き残っている人を、勝ち組と負け組とに上手に振り分けする社会的世話焼き構造が仕組まれており、まさに自らが生き残っている間は続いて欲しいと願う、時代消費型の理論なのである。

そんなテレビ文化が普及した現代なので、たとえ「アンネの日記」を読んでみたとて、何ら自身の心理学的な箔付けには役に立たないばかりか、庶民生活でも嘲笑か茶かし、あるいは不思議顔の対象とされてしまうだろう。しかしその人々の様相を洞察するための新たな心理学的見解は、間抜けな現代心理学よりも沢山含まれている。そもそも嘲笑や茶かしを受けない状況ならば、そこらの安上がりの心理学者たちがすでに唱えていたであろう。その嘲笑と茶化しの仕組みを洞察し、次世代の心理学を構築しうる素材と態度(譲れぬ思考)が、「アンネの日記」の中には含まれているのである。

ただしアンネ・フランクについては、ただ性格論的に解釈しようとするのではなく、もっと知識論的に解釈する必要があるだろう。アンネの抱いていた知識形態の問題点をあげて置くならば、別に彼女に限ったことではないのだが、「自立」の理念が強く働いたため、周囲の人々が何に気構えをしているのか、そして道徳的な知識を固持するに至ったかと言った、文化的環境の影響について踏み込めなかったことである。それもドイツやオランダの時代的な思考形態の状況に囲まれたための結果として、考察する必要がある領域でもある。アンネの「自立」の強調による向上心は、ある意味ニーチェの「力への意志」にも近い。ただし彼女の場合は、オランダ人の不平をこぼさない奉仕('44.1.28)と人間の本性は善('44.7.15)に基礎を置いており、自己犠牲という欺瞞や性悪説的な覗き見的保守性はない。

勿論、父オットーをはじめ、母、姉、ペーターの知識形態についても、時代的かつ文化的な思考形態の状況に囲まれての結果であって、各人同士の相互作用が関わっていると考えなくてはならない。恋やら反抗期やら、あるいは性格などと一般人との比較によるアンネの特殊性や分類の写実的説明ではなく、アンネの全般的知識形態の描写と、その周囲との関わり状況を考察する必要がある。




ユダヤ人としてのアンネ・フランクは、オランダ人に不平をこぼさない奉仕('44.1.28)の状況を見ていた。ゆえに、戦争後オランダ人になりたい('44.4.11)と思っていたのであろう。そもそも隠れ家へ至る、ナチスの迫害が進むドイツからオランダへ移り住んだのも、迫害されたフランスのユグノー教徒やイギリスの清教徒の受け入れの歴史があった、そんなオランダの移住許可のためだったらしい。

17世紀のオランダ、ユダヤ系のスピノザがいた。アンネ・フランクが、自己犠牲よりは自己意志に重点を置いていたのと同様に、自己保持を前提にした理論体系を築いていた。ただアンネは破壊本能('44.5.3)と記してはいたが、スピノザ同様に、人間の本性は善('44.7.15)とする性善説にあった。奇妙に似た部分が認められる。しかし双方には違いもあって、アンネの場合は「自立」の理念が強く性格形成を本人次第としている傾向にあるのに対して、スピノザの場合は自由意志を認めていない点で異なっている。アンネの考え方には性格形成論の環境説的追究が欠如しているため、意志の強さが全面的に表出した感じである。ただし現代心理学の普及している性格形成論を見渡しても、充分な文化的環境に踏み込んだ性格形成論はほとんど皆無だし、それはもっと知識論的に解明される必要がある分野に相当するのだ。その分野に進むのためには、現代心理学の小手先の写実主義的態度ではなく、アンネのような意志を持った態度へ一度立ち戻る必要があろう。もし「アンネの日記」を聖書にたとえておくならば、それは「ヨブ記」第32章・6-10節、21-22節にある気がする。



「わたしがまっさきに入れたのは、この日記帳です。それから、ヘアカーラーやハンカチ、教科書、櫛、古い手紙など。このあと隠れて暮らすことを考えると、およそばかげたものを詰めたものです。でも、後悔はしません。わたしにとっては、着るものよりは思い出のほうがたいせつなんですから。」



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