思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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えふりこき 秋田県

「踊る大捜査線」の室井慎次役、柳葉敏郎は秋田県出身である。役柄は現場捜査側と対立する傾向にあって、頑固な考えを内に秘めた感じである。

さて、その柳葉敏郎の経歴には、80年代の一世風靡セピアが含まれている。一世風靡セピアとは、「前略、道の上から」84のように、テレビ至上主義傾向への当てつけを理念に含めた活動にあった。よく注意してもらいたいのだが、それはテレビ出演への対抗ではなく、テレビ至上主義的な意識への対抗意識である。その対抗意識は次第に薄れた感もあろうが、なお残されている意識であって、「踊る大捜査線」の役柄にも投影されている。テレビ至上主義意識とは、一般社会の職業と自身のメディア活動の職業を区別しておいて、自身で自身の職業役割の理念を設定宣伝する意識である。しかしそのテレビ至上主義意識に疑問を持つ場合には、"一般社会の中の一部分を占めるにすぎないテレビメディアでの職業"という伝統的な理念が働く。柳葉敏郎には、いかりや長介と同様に、その理念が比較的働いている芸能人と私が考えているのだが、その要因の一つに、彼が秋田県出身であることが挙げられそうなのだ。



たとえば秋田県には「えふりこき」という「見栄っ張り」を意味する方言があるらしい。それは簡単な言えば、"ええ(よい)ふり(格好)をこく(する)"を、コンパクトにまとめた言葉である。しかし一方の全国区では「ツッパリ」75とか「ぶりっこ」81の対比流行語にあった。実のところ日本語には、人々が周辺社会にたいして示す態度について、「張り・振り」の立脚観点が伝統的に深く関わっているのであって、一般的に、張りには硬派的、振りには軟派的の意味が含まれている感じである。

その全国区の「ツッ張り」の場合は、男女の双方に用いられていたが、「振りっこ」の場合は女子についてのみ使われていた。しかし秋田県の「え振りこき」の場合は、おそらく日常的に男女の双方に用いられるものだと思われる。しかも標準語の「見栄っ張り」を意味する点で、「張り」よりは「振り」の方を、より全般的評価尺度としている特殊な文化圏にあると言える。

つまり男子の側にも「ぶっている」の監視評価がなされる秋田県である。女子の側もただ男子の側から「ぶっている」ことの監視評価がなされるだけではなくて、逆に男子の側を監視評価できる権利が与えられているのだ。秋田県出身の藤あや子は、ただ男性側から色っぽいと見られるために創意工夫されたものではない。口に出しては言わないが、男性側を監視評価しうる文化背景が、彼女の様相を支えているのである。おそらく秋田美人とは、女性側にも監視評価の権利が与えられていることが、一つの要素に含まれて成り立つものかも知れない。

そして女の監視視線の象徴としては、稲荷神社に付き物である狐なんかが重なっていることだろう。出どころは鳥取県なのかも知れないのだが、秋田県にも「髪剃り狐」という民話があるらしい。狐とは、単に人間を化かし困らせるイタズラな獣ではなく、人間に潜む猜疑心などを試し戒める神の使いのような監視役でもある。

要するに秋田県の女性には、狐としての監視評価のような「え振りこき」が与えられているため、男性側はその評価圧力なたいして工夫が求められるのである。柳葉敏郎の欽チャンの番組における「良い先生」83の役、そして「踊る大捜査線」の役柄を含め、それは秋田文化で養われ、かつ持続されたものであろう。人々が下す「良い」についての賞賛評価と格好付け卑下評価の双方に、随時工夫を凝らせざる負えない秋田県なのである。

さて秋田県出身てある因幡晃の「わかって下さい」76を聞けば、全く貧乏くさい歌詞である。しかしそれは言葉や歌詞の狭苦しさについて知り尽くした、壮大性計画をしない結果でもある。「涙で文字が滲んでいたなら わかって下さい」と歌うが、実際は涙で文字が滲んでしまえば書き直す。涙で気持ちを伝えようとすることは全く頭にないし、それが間抜けだということも知った上での歌詞なのだ。あえてそれを歌詞にすることで、人々の暮らす風景に誰もが言葉にしない気持ちを映し見るのである。井上陽水の「心もよう」73で歌われた、「あなたにとって 見飽きた文字が 季節の中に 埋もれてしまう」から、因幡晃は季節の中に埋もれてしまった文字を、あえて貧乏くさく歌うのである。彼のサングラスは、さすが秋田文化の「えふりこき」の評価に晒されてきたこともあって、時代的格好付けとは離れた特質にあった。それは歌詞が気持ちを伝えるものではなく、まるで眩しい時代の光によって情景に埋もれた声なき声を示しているかのようなものだろう。その点さだまさしの「精霊流し」74や「無縁坂」75は歌詞に気持ちを入れすぎた。おそらくさだまさしの軽快さへの転換となる「雨やどり」77には、「わかって下さい」の影響があったであろう。実際、再度伝統理念の方へ向いた際の「防人の詩」79では、「わかって下さい」の影響が感じられる。

同じく秋田県出身のマイペース「東京」74で歌われた「君が住む美しい都」も、声なき声の情景が象徴されたものである。その人々が誰も言葉にしない情景の中での自身の気持ちをテーマにしたことは、神の使いである狐の視線に支えられている。狐は人を化かし、そして人は「えふりこき」をする。言葉にしないことは、ある種の言葉にすることが格好悪いとして避ける「えふりこき」の結果であって、人を化かす狐にとっては、その人々のえふりこきの状況さえも監視するに容易なのである。えふりこきの監視評価に囲まれた秋田県男性にとっては、神の使いである狐の監視視線が逆に支えになるのだろう。

このことは柳葉敏郎の「踊る大捜査線」の役柄にも言えそうだ。実際の警視庁における様々の周囲からの監視や圧力を経験せずに徹し得るのは、神の使いである狐の監視を感じるためだと思われるし、また彼の実生活での個人的な笑いのツボも、その狐の視線に包まれた結果であろう。また他の秋田県出身の人々、藤あや子、平野早苗、加藤夏希にも、何か周囲とは異なった笑いのツボによる笑顔を感じてしまうのは気のせいだろうか。

加藤夏希は「銀河鉄道999」のメーテルと「エヴァンゲリオン」の綾波レイのコスプレが趣味らしい。色白の無表情気味のキャラは、加藤夏希の実際のイメージとは、随分とかけ離れている。それは「えふりこき」の様々な評価に晒される秋田県に加えて、かつ80年代以降のヒーローなき多様化の日本において、不動の心の安定を求める心理であろう。秋田文化には、おそらく狐についての格付けがある。言論の自由のもと、他者についてあれこれ言って自身の社会的立場を獲得しようとする芸能界の風潮は、秋田文化からすれば【野狐】である。加藤夏希の意識からすれば、メーテルや綾波レイに神からの使いである【天狐】が見えるのであろう。そして彼女自身は藤あや子と共に、双方に挟まれる【空狐】だ。芸能レポーターの平野早苗の場合は、天狐や空狐の存在を知りつつも自分には届かず、仕方なく野狐を相手に仕事を探した【気狐】だろう。秋田県女性はそれぞれ狐の格付けに気を配り、秋田県男性はその女性から品評される。

秋田県女性には狐のランク付け意識があると、勝手に決めつけさせてもらった。比べること、愛知県女性にはその狐のランク付け意識が感じられない。あみんは「かわいいふりして あの子」と歌われていたように「かわいこ ぶりっこ」と言った単純な評価しか期待出来ない愛知文化なのである。それは言われる側と言う側の、立場の恒常化に落ち着いてしまう評価でもある。人々が集まる場で少しは自らが狐になってみることがあろうが、随時人々の態度を監視する神聖な狐の視線を共有して感じる文化からは遠い。秋田県の「えふりこき」の場合は「振り」を「こく」であって、その「振り」の無意識性や効果計画を狙っている「こく」の方を指摘監視するのである。

では福島県女性はどうだろう。彼女たちには「会津磐梯山」のように様々な監視評価が行き交う社会的状況を見る目がある感じなのだが、しかし神の使いである狐から自らが受ける監視評価の意識に欠ける。そのため全国区に向かうとガイド役に落ち着いてしまう。深谷かほるの「ハガネの女」、伊東美咲の「民衆を導くロト6」は、結局、全国区の取り巻きに期待された仕事に傾き、全体を監視する神聖なる狐の視線を感じることが少ない。

秋田県の方言には、また「おらほ」と「おめほ」で、自分と相手の立場を区別をする。それは「おらほは、出たばかりの最新車を買ったべ」と互いに虚栄心を煽り合ったり、あるいは「おらほは、そう思うべ」と意見の社会的多様性を前提としながら当然面の緩和を穏やかに施す効果を持つ。ある面、マイペースを保つが虚栄心闘争がなされる秋田県であり、理髪店や美容院が多く、新車保有率が高く、貯蓄率が低いことがうなずける。その自己領域の優先意識や複雑化した「えふりこき」の評価圧力が関係していたのか、自殺率の高さが問題となった秋田県だが、相談対応などの対策と共に、伝統的な神の使いである狐の監視視線も、是非忘れないでいて欲しい。



花の色は うつりにけりな いたづらに
えふりこきゆく ながめせしまに



人々のえふりこきや、勤しむは日常生活の間、見向きもされずに移ろいゆくいたづら事もあること、それをきちんと見て下さるのは、やはり鳥居の向こうの狐さんであります。人々のウッカリ加減に付け込もうとする野狐もいれば、その野狐を監視する天狐もいらっしゃることでしょう。ロッテfit'sの活躍を見れば、たんぽ小町さんも前半は何事が起きたかと不思議顔でしたが、後半は一緒に踊られているようですね。奈良では、シカトしていた角ある鹿さんも、負けずとばかりに頑張っているように伺えます。

毎度のこと、寛大なる秋田県民のみなさんの御勘弁を頂戴できるものと信じて、終わりとしたい。



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