思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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解答例




解答例

「相手二人の見ている持ち札は、どちらもQである」


解説

あなたに見えるカードはK二枚とJ一枚で、見えないカードはQ二枚とJ一枚である。

そこで「あなたの見えない額のカードがQ」と仮定する。すると残りのQ一枚は、相手のどちらかの見ている持ち札であり、さほど阿呆ではないその持ち手にはQ二枚が見えているのだから、それ以外はすべて男カードであるため「私の額のカードは男カードである」 と即答しうる。しかし相手は即答できずに悩み考えているのだから、あなたの額のカードはQではなく、残り一枚のJである。よって相手二人の持ち札は共にQと推定できる。

(この問題は「さほど阿呆ではない」にたいして、「Q二枚を目にしたならば、悩み考え込むことなく、残りがJかKの男カードと判断しうること」が前提とされている。そのため純粋なる論理的問題ではない。あくまでもフィクション、舞台的前提を含んだ問題となっています。)



後記

さて以上の解答をする際に、我々が思い描くこととは何であろうか?

まず「相手の二人が何を見て、何を考えているか」という立場に立たなければ、上記の解答を引き出せない形となっており、カードの配置を見て推測するところの他者の存在が考慮されているか否かが、試されている。

次に「自らの額のカードが男カードである」ことと「相手の手持ちカードが共にQである」ことの選択にも、設問者からの問いかけが隠されている。

例えば自分自身だけの恩赦ではなく三人一緒の恩赦を選択する場合、ただ人道的倫理観の意味としての「自分自身だけではない他者の恩赦も思う」選択なのか、三人の内で解答しうる立場が自分自身だけであったと理解した上での選択なのか、あるいはさらに、他者の悩み考えていた反応により引き出せた点にも思いをはせた選択なのかと、その選択の動機根拠が試されている。

(実際、相手の二人には答えられる立場にない点を確認しておきたい。

相手二人にとって、見える三枚は共にJQK一枚ずつ。自らの額のカードを「Qか、それともKか」とそれぞれ仮定推測してみても、どちらの場合も他の相手二人からQ二枚を同時に確認することが出来ないため、自分の頭上カードの男女の判定に役立たない仕組みになっている。

要するに、明確に答えられる立場にあったのは解答者のあなたの立場だけであって、設問者の問いかけ自体が、予め解答者のみを試すためのものであった可能性を思わなくてはならない。)

もし仮に三人一緒の恩赦を選択したあなたに対して、相手の二人から感謝されたならば、あなたは何と返答するだろう?

自らが相手を救ったと思いつつも謙虚に「いやいや、当然のことをしたまでです」と答えるのか、「いや、二人には解答する立場は与えられず、たまたま私にその立場が与えられただけです」と社会的役割分担の図式を伝えるのか。あるいは「設問者が我々三人に映る景色やその思考を予め計算し、今回は私が試されたにすぎない」と伝えるのか。

いずれにせよ、解答者の洞察力を試す設問者の存在なんかにも、少しは気を配って欲しい。
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  1. 2010/02/20(土) 08:16:51|
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