思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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時代という名の雨

さだまさしのプロフィールを見ると、1952年長崎県生まれとあり、広島同様、原爆が落とされた県で育ったようだ。戦後間もない昭和20年代には、広島に比べて長崎では、ご当地をテーマにした歌が作られたりした。

そんな長崎育ち(小学校まで)のさだまさしがグレープというコンビで登場してのは、1974年「精霊流し」であった。翌75年の「無縁坂」を含めて、グレープ時代の【伝統と時代】の意識の代表作と言える。

さだまさしには、「精霊流し」に認められるように伝統的死生観があった。長崎の原爆は不意なる死と強く意識されたに違いない。さだは戦後生まれだが、近親者を亡くした人々の噂を耳にしていたことだろうし、比較的不幸に見まわれることもなかった人々もいただろう。しかしそうした様々な人々の境遇がありながら、その様々な人々について人々が、共に思いながら集まりなされる精霊流しに、さだまさしの伝統的死生観の一面があるのだろう。



70年代の様子を振り返っておけば、「戦争を知らない子供たち」71では、戦争経験世代からのの言い分にたいして、新しい世代からの方針を表した。それは伝統理念の言い分を意識した新規自由の理念のようなものであり、「僕らの名前を覚えて欲しい」と匿名大衆時代の到来を示唆している。「もはや戦後ではない」56以降、伝統理念にたいする対応も徐々に多様化された日本である。恵まれた時代に生まれたと負い目を感じる者、そんな負い目なんかお構いなし、優位な立場に付かなくては意味ないと思う者など、若者世代の中でも色々多様化したことだろう。学生運動の終焉を迎えた70年代からは、さらに団塊志向が減退していく世代へと移行していくことになったと言える。

団塊志向が減退することによって、今度はリースマンの「孤独な群衆」50に象徴される【個人と匿名大衆】の意識が強化されていくことになる。湯原昌幸「雨のバラード」 71、三善英史「雨」72は、雨を通した個人と匿名大衆を表した代表作であろう。雨が匿名大衆の象徴で「名も知らぬあなたに昔の僕を見た」、「道行く人は誰一人も見向きもしない」と歌われている。

匿名大衆化を最も早くから見抜き、曲に表現しえた最初の人物は井上陽水であろう。「傘がない」72、「夕立ち」74が、雨に関する社会学的見地の70年代前半の陽水である。「人生が二度あれば」では、伝統意識に後ろ髪を引かれる状況からの時代志向が現れている。その収録LPアルバム「断絶」72のジャケットを見れば、その陽水が伝統と時代の断絶で佇んでいる中、そんな伝統意識と時代意識に挟まれることもなく学歴社会(同世代闘争)へ集中して階段を昇っていく次世代の学生が写されている。

伝統理念から離れた匿名大衆社会での社会学としては「氷の世界」73、「夕立ち」74が傑出している。その後、これらに匹敵するのはB'zの「BAD COMMUNICATION」89くらいだろう。Mr.Childrenの「名もなき詩」96も該当しそうだが、どちらかと言えば心理学的見地が強く、社会学的見地が若干薄らいでいる感じである。



話はさだまさしに戻る。「精霊流し」は、70年代からの大衆的な伝統離反傾向である新しいカモメの時代に、伝統的死生観を残した。陽水は断絶から新しい社会学へと移行し始めたが、彼の場合は独自の伝統意識にあり、新しい時代対応は陽水とは異なって社会学的見地を基調とはしていない。さだまさしの新規時代対応とは「雨やどり」77に始まり、それは"時代という名の雨にさらされる伝統から新しき傘への雨宿り"と喩えられるものである。

同じ頃、太田裕美の「雨だれ」74、「九月の雨」77があるが、こちらは背中に伝統を感じずに、もはや若者同世代の中の雨である。さだまさしの場合は形は違えど、先の70年代初頭の「雨のバラード」や「雨」、陽水の「傘がない」、「夕立ち」の側の、伝統と時代の狭間から生じた最後の雨であろう。

さだまさしの新規時代対応の基礎は、おおよそ【人々の様々な認識による風景】からなされた。伝統的「精霊流し」、「無縁坂」の反響は時代的歌謡界とかなり離れていたと自ら自覚していたことだろう。大多数は伝統理念よりは新規同世代同士の戯れを好むのである。伝統理念強かった彼からすれば、新規大衆文化とは「精霊流し」で言う「何にも知らずにはしゃぎ回る小さな弟」と見ることになったであろう。伝統理念を感じる者と感じない者とでは、時代的風潮にたいする対応は異なるし、関心の示し方も異なる。人間観察とは、単なる人間観察力というような先天的能力ではなく、他者とは異なる関心や意識による、他者を理解しようとする関心である。

「雨やどり」の「口から虫歯がキラリン」、「靴下に穴がポカリン」とは、まるでそれぞれの人に潜むうっかり加減に、互いに他者のうっかり加減を見ている象徴のようだ。さだ自身の伝統側から見た新規世代のうっかり加減と、新規世代から見たさだ自身の伝統理念のうっかり加減を見渡した結果かも知れないし、実際、人々各人の自信たっぷりの関心集中とそのうっかり加減のすれ違いを感じる時代風潮が重なったのであろう。

さだまさしは「無縁坂」で"運"を持ち出し、「雨やどり」では"神"と"偶然"を持ち込んだ。人それぞれのうっかりが混じり合って織りなす"運"や"偶然"を表せたのは、【伝統と時代】と【人々の様々な認識による風景】が合わさった結果である。そして周囲からは理解されない笑われてしまう不思議な力も覗かせている点にも注意したい。

同年の山口百恵に提供した「秋桜」77、そして自ら歌う「関白宣言」、「親父の一番長い日」79などは、70年代前半の小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」72、かぐや姫「妹」74を継いだ形となったが、さだまさしの場合は【人々の様々な認識による風景】のテーマが根底にあった分、それぞれの立場をよく見ていたことを意味する。「関白宣言」は、さだ自身の主張ではなく、伝統的親父についての風刺的嘲笑と自己弁護の混在で、伝統知らずへの置き手紙である。80年にはグレープ時代の伝統理念への回帰として「防人の詩」を残した。「道化師のソネット」80は、さだ自身が意図しているかは別問題として、伝統知らずが進行した笑顔時代でのピエロ化である。

井上陽水は70年代前半に、時代的な社会内個人の社会学的作風を試みたのに比べて、さだまさしは70年代後半に、伝統的立場から見たそれぞれの認識の時代的風景を残したと言える。



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  1. 2010/06/23(水) 22:14:48|
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