思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

方言 「だで~」

「だで~」という、田舎の雰囲気、漂う言葉がある。それは標準語で言うところの「だから~」の意味に相当するのだが、そこには物の見方に、微妙なちがいが見え隠れしている。全国的に見ても、その使用地域がどのような範囲に及んでいたかも合わせて、とても気になる事柄でもあり、奥深い御言葉である。

そこで方言の「だで~」の立場に立って標準語の「だから~」を聞くと、一体どんな雰囲気を持ったいるように感じるかと言えば、それは教育ママゴン(昭和世代向けの御言葉)のような諭し言葉、あるいは言い聞かせ言葉に聞こえるのである。それは「AだからBである」といった論理的な当然の帰結を訴えているのだが、その当然の帰結が、その説明を訴えている話し手の個人の中にすっぽりと納まった感じがするのだ。その帰結やら説明にたいして反対意見がなされた場合、話し手は我々が理解していないと思っているのか、たいてい「だから~」の訴えが再び返ってくる結果となる。こちらの考えていることについては、その「だから~」の中には映っていないないのがわかるばかりで、我々としては視線合わせの同意確認のもと、深刻顔を演出するか苦笑いするしかなくなる。

「だで~」の場合は、こじんまりとした小さい集団なのだが、その集団内の習慣的経験から、「Aの状況ならばBをせざるおえない」の意味で語られるのである。反対意見が出た場合には、一応まずはみんな腕を組んで悩むのである。そこから色々提案が出て、その反対意見のケースを注意しながらも、そうなった場合は仕方がないと納得するか、その場合のフォローにあたる新しい役付けが任命されたりするのである。

「だで~」の「で」とは、「どこどこで」の場所や状況の、ある限定された場合を示すもので、聞き手はその話し手の描いている情景を見なければならないのである。そして反対意見とは、その限定された情景に映っていない情景を差し示すように求められるのである。気難しかったり、凝り固まった考えの人がいる場合には、そのような人物に説明することは無理だという情景までを踏まえて、Bという帰結を調整してゆくのである。



「だで~」では、「で」の一字にその描いている前提された情景を見なければならず、みんながその前提情景を共有しているこを示そうとしている。一方「だから~」の場合の「から」の【二字】には、何となくAの前提条件帰結Bへ向かうABの【二点間推移の当然性】が示されている感じがする。「故郷から東京へ向かう」といった場合の、東京という目的を描いて進む方向性のみが主題とされる、そんな「から」という二字の感じがするのだ。

たとえば「猫は動物で、人間は動物である」、「だから、猫は人間である」 と示されれば、その考え方の間違いを我々は諭そうとするだろう。しかし「猫は動物で、人間は動物である」、「だで、猫は人間である」と示された場合、我々は諭す気さえ起こらないだろう。たとえ諭そうと努力してみても、何をこちらが言いたいのか不思議そうに眺められるだけである。彼には「猫が人間ではない」ことの説明などには興味がない。彼が注意しているのは、ただ「猫が人間でない」ことで生じる不都合と、そして一緒にその対策を練ることを待っているのである。



場所についての助詞、"場所の始点"「~から」と"動作の場"「~で」がある。場所が関係している「~から」は、鳥取県のように両者の意味の混在含有されることによって、さらにその後の漠然とした現実的波及性を思い描ける形になっていたが、しかし論理的な推移「だから~」は、論理内の一方向への当然性である。また「だで~」は「~で」と同じく、"動作の場"について、それを話し手と聞き手とで共有しようとするのであるが、話し手の示した"動作の場"にたいしては、聞き手は考慮されていない「~から」の波及性を提案しうるし、話し手もそういう提案をだしてもらうために、もともと「だで~」と言っているのである。

現代の力学的社会観では、個々人の力を合わせて社会を構成しようとする社会観にあるが、自身の意見発言の仕方も、それぞれ各人の論理推移を主張する「だから~」に偏っている。生活の多様化が進み過ぎて、「だで~」のようなそれぞれの人々が見る、それぞれの「~で」の情景や状況認識が前提とされなくなっているのである。

全く田舎的響きと小集団的情景の「~だで」と嘲笑した結果が、今日のこの日本である。そんな田舎の響きを嘲笑した白兎的知識人やメディア界では、ろくな外交戦略など漸進的に発展できないだろう。せいぜい日本の群集をワニ扱いすることの方に発展していく知識人やメディア界なのである。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
スポンサーサイト
  1. 2010/06/21(月) 22:14:10|
  2. 方言論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<韓国語の疑問 | ホーム | 鳥取県 「~から」と「~で」>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://gold1513.blog48.fc2.com/tb.php/111-b799c9d8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。