思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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鳥取県 「~から」と「~で」

鳥取県では、標準語において場所を表す「~で」の意味で、「~から」という助詞が使われているらしい。例えば「駅でそばを食べる」という意味で、「駅からそばを食べる」と表現できるのだろう。このテレビが普及している時代にもかかわらず、他県の人と実際に接することによって、やっとその用法が鳥取県独自のことであると認識され始めたらしいから不思議である。標準語の感覚からすれば、場所に関する「東京から」と「東京で」では、始点を表す「~から」と、状況や場を表す「~で」に明確な区別がなされているのだが、一方の鳥取県では場所の「~から」には、「~で」と区別された始点の意味だけではなく、場についての意味が重複しているのである。

そこで意味の重複について少し調べてみると、それは標準語の「~で」の中にも伺える。「~で」には"手段、原因"の意味と"場所、状況"の意味があるが、その実際の使用状況では、自然と助詞「~で」に付く名詞からどちらの意味なのか判定しやすい仕組みとなっている。ただ「自宅で椅子を作った」は通常、自宅という場所で椅子作りの作業をした意味になるが、特例としては、自宅の一部を取り壊し、それを材料にした椅子作りの意味にもなりうるが、それは会話の流れが話され理解される語り方であろう。大体の場合は、その助詞「~で」に付けられる名詞によって誰もがどの意味かを判別できるため、助詞の意味重複が可能となっているのである。

そこで鳥取県の「~から」の、始点と場の意味の重複が問題となる。場を表す「~で」があるのだから、その"場の意味"をすべて「~で」に移してしまえばよいのに、それを行っていないのである。全く鳥取県民は面倒くさいので区別化をしなかったのであろうか?

反対に、何故標準語では始点と場の意味が区別されているについてから探ってみよう。

まず標準語で二つの意味が二つの助詞に振り分けられ、区別されるに至ったのは、「~から」に"始点の意味"だけを限定させる必要性があったからだと言える。始点があると言うことは、同時に終点や方向性の領域を前提に含ませることを意味し、始点という部分と、他の終点なり方向の部分が想定されているのである。つまり、全体を部分部分に分割して考える見方なのである。そして「~で」へ追いやった"場を表す意味"とは、逆に「~で」で"場という全体"を表し、その全体的場の中での部分的出来事が文章化されるのである。

要するに標準語は、「~から」に【場所についての始点】の意味を限定化させたのである。それは部分部分の様々な関係で全体を説明しようとする見方の優位化を意味する。また全体の場を表す「~で」には、部分部分が相互作用する全体的舞台という意味を優位化させることにもなったのである。

実際のところ、その"始点"と"場"の区別とは、派生的に空間的場所について【部分的始点】と【全体的場】といった"部分"と"全体"の違いを必然的に含んでいる。始点の「~から」には、「~まで」「~へ」「~に」といった他の部分への移行が必然的に意味付けられているのである。つまり標準語の「~から」では、部分部分を見ることに限定化されているのだが、鳥取県では、部分と全体の両方の見方が混在しているのである。

おそらく鳥取県文化は部分部分に焦点をあててから、その部分部分によって全体を構成させることに重き価値を置かなかったために、「~から」の始点と場の二つ意味が保存されたのである。近代的である、空間的と同時に時間的な部分部分の計画的連結である段取りや手順についての物の見方に、島根県社会では価値の共有化を行わなかったのである。それも、海を渡るために因幡の白兎が施した、ワニを利用した段取り的計画は、全体的に見れば予期せぬ危険を招くと心得た結果なのかも知れない。

しかし個人的利益のため、人々をワニと見なした白兎的な段取り思考を訓練する者も、中には現れよう。「ゲゲゲの鬼太郎」と「名探偵コナン」の原作者は鳥取県にゆかりがあるが、鼠男や犯人にその白兎的な段取り思考の象徴が表現され、監視役に鬼太郎や目玉親父、そしてコナン君が当てられている感じがする。

では標準語のような始点の「~から」と場の「~で」の区別化を行わなかった鳥取県は、何故、区別化をしなかったのであろうか?ただのんびり周囲の標準語の動向に気づかなかった訳ではない。鳥取県は鳥取県に特有の見方を保存しようとしていたと思われる。

例えば、標準語で「広島で原爆が落ちた」と言うところを、鳥取県では「広島から原爆が落ちた」と表現しうるのである。あるいは「東京でサリン事件が起きた」を「東京からサリン事件が起きた」と表現しうる。鳥取県ではあらゆる出来事は、その後のあらゆる全体的場所への波及性を漠然と感じているのだろう。時間は止まることがないことを、鳥取県では言語で共有化されているのである。「~から」に場の意味と始点の意味が重複されていることは、場の出来事に、その後の時間経過に生じる波及性についての物の見方が含まれているのである。標準語では全体的と見なしている場を、鳥取県では空間的にも時間的にも、ある一部分の場と見なし、周辺への波及する影響を漠然ながらも感じとるのであろう。

標準語の特徴である【部分的始点の「~から」】と【全体的場の「~で」】という区分の明確化の場合は、個々の力で全体を創造変革する力学的社会観にあるが、全体にたいしてはメカニック構造を見ない。一方の鳥取県では、起きた出来事とは、その後の漠然とした人間の認識を超えた空間的かつ時間的な波及性(全体的メカニック)を感じるのである。またその始点と見なされた出来事も、過去のあらゆる所からの波及性の影響を受けたものと感じうるのである。「ゲゲゲの鬼太郎」のような妖怪物、隣島根県を拠点とし活躍した小泉八雲の怪談物などは、我々の現実理解や現実観を超えた、漠然とした目に見えない過去からの波及性を象徴するものかも知れない。

鳥取県の「~から」に認められる"始点"と"場"の二重意味の同居は、時間経過の波及性の見方を保存している。その時間経過の波及性の見方を保存共有化しているものとしては、他に朝鮮韓国語の助詞にも認められる。韓国語と日本語とは、品詞の位置関係、文構成の点で非常に類似した言語であるが、韓国語の助詞には空間的、時間的に独特の意味合いがありそうである。

まず韓国語「~エソ」は、鳥取県の「~から」と同じく、場所の"始点"と動作が行われる"場"の双方の意味を含んでおり、日本語の標準語のような"場所の始点"と"動作の場"の意味分担の区別化がなされていない。自らの文化を「恨の文化」と自称する韓国では、過去の他者から受けた様々な波及的影響の心的蓄積について、それを「恨が残る」と表現するのも、その助詞「~エソ」と関連する時間的経過の周辺波及を強く見ることに一因があろう。

そこで全くの私の推測になるが、日本語の始点を意味する「~から」に対応する韓国語には、「~エソ」と「~プト」があり、その前者の「~エソ」は時間的経過の波及性を含む助詞で、後者の「~プト」は順番や単なる始点の意味である助詞と思われる。「~エソ」には場所についての"始点"と"動作の場"が同居されている点で、その波及性の含有が伺え、「~プト」には時間的意味が強く空間的意味がほとんどない点で波及性の皆無を感じるのである。また両方が合わさった「~エソプト」と言う日本語にはない助詞の形もある韓国語である。通常「~プト」は場所の始点に用いられないが、「~エソプト」で場所の始点に用いられる事情からすれば場所の時間的始点の強調を意味しているであろうから、「~エソ」の【漠然とした得体の知らない波及性を持ってはいる始点】にたいして、それは【今後の原因となる始点】の強調の意味合いを示しているのかも知れない気がする。

もうそう考えうるのならば、韓国のドラマや映画で記憶喪失が多用されているのは、「~プト」の、今に至った原因としての始点の喪失をテーマしていることになろう。次第に記憶の回復、つまり「~プト」が回復され、同時に過去からの波及の結果としの現在を確かめる「~エソ」によって、様々な人の現在に至った経過を認識するのである。

英語を見れば始点「~から」は、空間的にも時間的にも強固に意味集約された「from~」である。また動作の場「~で」は,「in~」「at~」「on~」など分散化されている。一応"始点"と"場"の混在はなく区別化されているので日本語の標準語と等しい。ただ英語文化は宇宙のような広い"場"にもメカニック構造を見るが、日本文化は"始点"や"動作"で構成される事柄にのみメカニック構造を見ている点で異なっている。



こうして、標準語の場所についての【始点】の「~から」と【動作の場】「~で」の意味分担の区別化は、力学的社会観を強固させ支える形になった物の見方であると言える。その力学的社会観では、まるで白兎的知識の気分で匿名他者をワニのように扱うかのような人物が、特に80年代以降のマスメディアに見受けられるようになった。我々は鳥取県的用法から様々な出来事に様々な波及的影響があること、そして現在が過去の様々の波及的影響の結果であることを学び始めた方がよいと思われる。



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  1. 2010/06/20(日) 16:07:37|
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