思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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死して屍、拾うものなし

渡部陽一。不思議な戦争カメラマンが現れた。NHKの「プロジェクトX」では、ある人物を中心に淡々と事実列記的なナレーションの「~だった」が、ここかしことばかりに話題となったが、渡部陽一は戦争を通して、自らが見た情景を事実列記的に語る。それは諸行無常の響きにまでは及ばぬが、確かに何かの響きを感じさせる。

振り返ること70年代には、力石徹とGパン刑事の死があった。ボクサーでなければ、あるいは刑事とならなければ、まだ生きながらえていたかも知れない。そんなことを思わされる死があった。また自らの死はともかく、身近な守るべき者への思いにも後ろ髪を引かれる子連れ狼もいた。戦争現場に向かう者、死を考えずして行うは、砂の中から針を探すより難しい。

「死して屍、拾う者なし」。渡部陽一が好きな言葉にあげているらしい。そのような半ば言い聞かせの覚悟がなければ戦争カメラマンはやっていられないと、我々は思ったりもするが、彼のしゃべりには、何やらそのような緊迫感やら使命感が感じられない。拾われぬ屍、それは戦争カメラマンに付き物ではあろう。しかし我々は通例の葬儀参列、あるいは近親者の死で、一体何を拾っているのだろうか?

死して拾われるもの。通常の我々と特異なる戦争カメラマンの、共に死して拾われるもの。それを感じている渡部陽一と、私は見た。
戦争で随時人が死んでいく。その匿名なる死の数々について詳しいことは知らない。しかしその匿名なる死を知らずも、彼は拾う。身近な人々が死んでいく中、自らがまだ生きる力をおこしている戦場の人々が、先に死んだ人の何かを拾うことを渡部陽一は知っているのだろう。自らがいつ死に巻き込まれるかわからない身ではあるが、たとえいつ、名も知れず死のうとも、人々が拾うことを彼は知っているのである。自身が匿名なる死を拾っている者は、人々が自らの匿名なる死を拾うことを感じるのであろう。

彼の事実列記的語り口、そして無常観のない諸行観に、死して拾われる何かがあるのだろう。「死して屍、拾う者なし」。それは拾われぬ屍にはなりたくはないという口から語られる場合と、死して拾われる何かを感じる口から語られる場合の二通りある。



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  1. 2010/06/19(土) 23:17:03|
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