思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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奈良県 自己領域と鐘の音 ~燃える伝統主義~

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

愛媛県出身は正岡子規の句であるが、奈良県を題材としたものでもある。奈良県と言えば平城京。後に京都府は長岡京、平安京遷都となった歴史にある。なるほど、光のどけき春 が歌われた古今集が平安時代とあらば、奈良県は 光のどけき春 に毒されること少なかった地域と言える。

子規 と 光のどけき春 は対照的である。それは日常意識から覚醒イメージへの推移に認められるもので、子規が日常意識の 「柿食えば」 から覚醒イメージの 「鐘が鳴るなり」 であったのに比べて、日常意識の 「光のどけき春の日に」 は覚醒イメージの 「花の散るらむ」 へ推移している。

一体、何が違うかと言えば、子規は自己領域の日常風景から、鐘の音と言う自身が意識していなかった全体的な他者の現実存在に覚醒しているのにたいして、 「光のどけき春」 の日常意識は満開なる人々が集まっている全般的な平穏無事から、個人個人の死の運命にある衰退について覚醒しているのである。

子規は過去の自分自身の近隣生活に一生懸命であったことを、法隆寺の鐘の音から悟ったのである。誰が鳴らしているか知らない鐘の音ではあるが、確かに誰かが鳴らしているのである。法隆寺についても、いつどこでどんな風に建立されたのか詳しい事情は知らないが、確かに様々な人々の活動があってなされたであろうことを思うのである。つまり、あらゆるすべての出来事の歴史的社会的広がりに気付いた句なのである。一方の光のどけき春の場合は、日常の平穏無事のイメージを固定しておいて、そのイメージの持続から外れた散る花について覚醒し、その"もののあわれ"に気付いた形である。

つまり子規は歴史学と社会学の領域を示す句だったが、光のどけき春の句は、もののあわれという自己責任や独立自尊の脅迫的な暗黙的ルールを訴えているのである。ただし、光のどけき春については少々言い過ぎた感がある。作者である紀友則の場合は、もともとルールの訴えではなかった。むしろ 「光のどけき春」 を守らなければならないルールが浸透した中での 「散る花」 についての覚醒だったのだ。しかしその鑑賞評価が広がっることに従い、脅迫的な社会的圧力となる自己責任論のルールへと後生の日本人により利用されるようになった句なのである。70年代初頭の矢吹丈の場合は最初の紀友則の心情に則った 「光のどけき春」 であったが、機能主義的社会学者たちは 光のどけき春 を利用しながら脅迫的ルールの発信元となり、自らの社会学者としての安全地帯を専門家の名という権威で囲い始めたのである。



簡単に要約するならば、奈良県とは平安時代の 「光のどけき春」 から距離を置いた、法隆寺の鐘の音に象徴される伝統主義である。

たとえば、90年 「プレゼント」、「にちようび」、「夏まつり」 の JITTERIN'JINN も、どっしりと濃厚な伝統主義と言った感じではないが、個人的領域における文化の保存蓄積を基準とした点で伝統主義の傾向あったと考えられる。「プレゼント」 の"くれた物"の羅列は、他者から影響を受けてきた文化の蓄積である伝統主義の系列に属し、戦後日本における、時代から時代へと次々と変化していく新規潮流への上書き対応とは異なるものである。また80年代以降の価値多様化による 「分衆」85 状況にたいしては、多様文化の整合性が追いつかない不連続、不流動なものの記憶蓄積を自己領域に見ている。また 「オタク」89 がパラノ(偏執)の側にあるとするならば、「プレゼント」 はスキゾ(分裂)の側に分類される傾向にある。 ([スキゾ・パラノ]は84年の流行語)

「夏祭り」 で歌われている"君がいた夏は夢の中"。それは過去の記憶の蓄積であり、もののあわれ の情緒ではない。奈良県では"空に消えてった打ち上げ花火"で もののあわれ を感じるのではなく、記憶の蓄積によって燃える伝統主義なのだ。

大多数が過去を仕舞い込む新しい時代的 光のどけき春 へ合わせていく中、JITTERIN'JINN は過去の文化蓄積に拠点を置いた伝統主義である。(色んな過去の文化を意図的に採用している点で経験主義ではない。)子規が日常意識の"柿食えば"から"鐘が鳴るなり"と社会的広がりを見たように、「プレゼント」 でも"大好きだったけど 彼女がいたなんて"と社会的広がりを見たのである。おそらく過去のプレゼントとは異なった時代的潮流の趣味へと推移した恋人作りであったと解釈するのがよいであろう。単なる恋人の入れ替わりではなく、伝統主義と時代主義のすれちがいを意味していたものである。



ほぼ同時期の福岡県出身の井上陽水の 「少年時代」91 では"夢はつまり 思い出のあとさき"と歌われているが、70年代初頭の彼のアルバム 「断絶」72 の中の 「人生が二度あれば」 は、伝統的生活か先の見えない新たな個人主義的生活かの選択状況であった。奈良県の 「プレゼント」 では同世代の中の伝統主義と新たな時代主義の分裂であったのにたいして、陽水の場合は個人的選択の断絶である。また 「プレゼント」 が過去の自己領域内の文化的蓄積を確かめていたのにたいして、同時期の 「少年時代」は、過去に抱いてた夢と思い出になった現在の夢との対比による"思い出のあとさき"である。つまり陽水の場合は伝統主義と時代主義の社会的な人々の分散化状況が問題ではなく、時代主義の人々の中へ突入した個人主義の多様化状況の方が問題とされている。

「木綿のハンカチーフ」75、「春なのに」83、斉藤由貴の「卒業」85 の別離状況にしても、伝統主義と時代主義の分化状況はなかった。それは"光のどけき春"の風景を基準とした"散る花"から、次の"光のどけき春"への始まりに向かうために過去の記憶の思い出の仕舞い込みであって、「プレゼント」 の"さよならをしてあげるわ"の場合は、各人が個性化を目指す時代状況で生じる個人主義的な自尊心でもあるだろうが、くれた物の羅列であることからして、記憶蓄積の伝統主義にたいする、時代的な"光のどけき春"を基準とした上書き志向とのズレを示している。



こうして JITTERIN'JINN に奈良県の燃える伝統主義の傾向を前提としたが、それは自己領域における文化の連続的蓄積にあるものである。そうした伝統主義的立場からすれば、当然のように全国的な時代変化にたいしては距離感が生じることになろう。奈美悦子や井筒和幸、西川のりお、高市早苗などの発言には、何やら伝統主義を頼りとした気分からなのか、時代潮流への説教らしき雰囲気が若干感じられる。TOKIO の城島茂については、もはや周りから茶化されても、そっと微笑む伝統主義の役割が板についた感じでもある。八嶋智人と堂本剛については、伝統主義に育ちながら新たな時代潮流へ進出しようと自己努力を強いられた感じである。十朱幸代、笛吹雅子、吹石一恵などにも何か奈良県の伝統主義が働いているのだろうか、妙な落ち着きがある。

そして今日の奈良県性について忘れてはならないのは、僕らの せんとくん である。今となってはちょっとした人気者だが、初登場の2008年には 「気持ち悪い」 のブーイングに囲まれた せんとくん であった。流石は、せんとくん。そんなブーイングや白紙撤回の圧力なんかに顔色を変えることなくを押しのけたぞ。やったね!

しかし一体、何が気持ち悪かったのだろう?それは多分、あの子供らしからぬ姿勢のよさやら指使い、そして物怖じしないこちらを覗くような横目使いにあったと思われる。

せんとくんの視線が向いている先について言えば、それは時代に合わせて行く現代の大衆潮流にたいしてである。きっと自分の時代潮流に取り残されまいと周囲に合わせて余裕計画している姿を、何やら冷静沈着に見つめられているようで気持ち悪かったに違いない。今や自身の時代追従的な余裕計画よりも、周囲の評価に動じない せんとくん の余裕もありかと、馴染んで来たのだろう。あれだけのブーイングにさらされても全く動じなかったのは、仏教や先祖代々の文化に守られていたからであり、「現代人が下す評価なんかには諂ったりはしないぞ」 だ。

せんとくんとは、やっぱり現代を改革する平城京ルネサンス(再生)と考えざるおえない。きっと平安京の光のどけき春の日が今日の日本を駄目にしたと立ち上がったのだろう。もし せんとくん が柿をかじっている姿を見かけたら、それは 「法隆寺の鐘の音を忘れたか」 という説教なのかも知れない。



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  1. 2011/01/30(日) 14:37:49|
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