思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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奈良県 自己領域と鐘の音 ~燃える伝統主義~

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

愛媛県出身は正岡子規の句であるが、奈良県を題材としたものでもある。奈良県と言えば平城京。後に京都府は長岡京、平安京遷都となった歴史にある。なるほど、光のどけき春 が歌われた古今集が平安時代とあらば、奈良県は 光のどけき春 に毒されること少なかった地域と言える。

子規 と 光のどけき春 は対照的である。それは日常意識から覚醒イメージへの推移に認められるもので、子規が日常意識の 「柿食えば」 から覚醒イメージの 「鐘が鳴るなり」 であったのに比べて、日常意識の 「光のどけき春の日に」 は覚醒イメージの 「花の散るらむ」 へ推移している。

一体、何が違うかと言えば、子規は自己領域の日常風景から、鐘の音と言う自身が意識していなかった全体的な他者の現実存在に覚醒しているのにたいして、 「光のどけき春」 の日常意識は満開なる人々が集まっている全般的な平穏無事から、個人個人の死の運命にある衰退について覚醒しているのである。

子規は過去の自分自身の近隣生活に一生懸命であったことを、法隆寺の鐘の音から悟ったのである。誰が鳴らしているか知らない鐘の音ではあるが、確かに誰かが鳴らしているのである。法隆寺についても、いつどこでどんな風に建立されたのか詳しい事情は知らないが、確かに様々な人々の活動があってなされたであろうことを思うのである。つまり、あらゆるすべての出来事の歴史的社会的広がりに気付いた句なのである。一方の光のどけき春の場合は、日常の平穏無事のイメージを固定しておいて、そのイメージの持続から外れた散る花について覚醒し、その"もののあわれ"に気付いた形である。

つまり子規は歴史学と社会学の領域を示す句だったが、光のどけき春の句は、もののあわれという自己責任や独立自尊の脅迫的な暗黙的ルールを訴えているのである。ただし、光のどけき春については少々言い過ぎた感がある。作者である紀友則の場合は、もともとルールの訴えではなかった。むしろ 「光のどけき春」 を守らなければならないルールが浸透した中での 「散る花」 についての覚醒だったのだ。しかしその鑑賞評価が広がっることに従い、脅迫的な社会的圧力となる自己責任論のルールへと後生の日本人により利用されるようになった句なのである。70年代初頭の矢吹丈の場合は最初の紀友則の心情に則った 「光のどけき春」 であったが、機能主義的社会学者たちは 光のどけき春 を利用しながら脅迫的ルールの発信元となり、自らの社会学者としての安全地帯を専門家の名という権威で囲い始めたのである。



簡単に要約するならば、奈良県とは平安時代の 「光のどけき春」 から距離を置いた、法隆寺の鐘の音に象徴される伝統主義である。

たとえば、90年 「プレゼント」、「にちようび」、「夏まつり」 の JITTERIN'JINN も、どっしりと濃厚な伝統主義と言った感じではないが、個人的領域における文化の保存蓄積を基準とした点で伝統主義の傾向あったと考えられる。「プレゼント」 の"くれた物"の羅列は、他者から影響を受けてきた文化の蓄積である伝統主義の系列に属し、戦後日本における、時代から時代へと次々と変化していく新規潮流への上書き対応とは異なるものである。また80年代以降の価値多様化による 「分衆」85 状況にたいしては、多様文化の整合性が追いつかない不連続、不流動なものの記憶蓄積を自己領域に見ている。また 「オタク」89 がパラノ(偏執)の側にあるとするならば、「プレゼント」 はスキゾ(分裂)の側に分類される傾向にある。 ([スキゾ・パラノ]は84年の流行語)

「夏祭り」 で歌われている"君がいた夏は夢の中"。それは過去の記憶の蓄積であり、もののあわれ の情緒ではない。奈良県では"空に消えてった打ち上げ花火"で もののあわれ を感じるのではなく、記憶の蓄積によって燃える伝統主義なのだ。

大多数が過去を仕舞い込む新しい時代的 光のどけき春 へ合わせていく中、JITTERIN'JINN は過去の文化蓄積に拠点を置いた伝統主義である。(色んな過去の文化を意図的に採用している点で経験主義ではない。)子規が日常意識の"柿食えば"から"鐘が鳴るなり"と社会的広がりを見たように、「プレゼント」 でも"大好きだったけど 彼女がいたなんて"と社会的広がりを見たのである。おそらく過去のプレゼントとは異なった時代的潮流の趣味へと推移した恋人作りであったと解釈するのがよいであろう。単なる恋人の入れ替わりではなく、伝統主義と時代主義のすれちがいを意味していたものである。



ほぼ同時期の福岡県出身の井上陽水の 「少年時代」91 では"夢はつまり 思い出のあとさき"と歌われているが、70年代初頭の彼のアルバム 「断絶」72 の中の 「人生が二度あれば」 は、伝統的生活か先の見えない新たな個人主義的生活かの選択状況であった。奈良県の 「プレゼント」 では同世代の中の伝統主義と新たな時代主義の分裂であったのにたいして、陽水の場合は個人的選択の断絶である。また 「プレゼント」 が過去の自己領域内の文化的蓄積を確かめていたのにたいして、同時期の 「少年時代」は、過去に抱いてた夢と思い出になった現在の夢との対比による"思い出のあとさき"である。つまり陽水の場合は伝統主義と時代主義の社会的な人々の分散化状況が問題ではなく、時代主義の人々の中へ突入した個人主義の多様化状況の方が問題とされている。

「木綿のハンカチーフ」75、「春なのに」83、斉藤由貴の「卒業」85 の別離状況にしても、伝統主義と時代主義の分化状況はなかった。それは"光のどけき春"の風景を基準とした"散る花"から、次の"光のどけき春"への始まりに向かうために過去の記憶の思い出の仕舞い込みであって、「プレゼント」 の"さよならをしてあげるわ"の場合は、各人が個性化を目指す時代状況で生じる個人主義的な自尊心でもあるだろうが、くれた物の羅列であることからして、記憶蓄積の伝統主義にたいする、時代的な"光のどけき春"を基準とした上書き志向とのズレを示している。



こうして JITTERIN'JINN に奈良県の燃える伝統主義の傾向を前提としたが、それは自己領域における文化の連続的蓄積にあるものである。そうした伝統主義的立場からすれば、当然のように全国的な時代変化にたいしては距離感が生じることになろう。奈美悦子や井筒和幸、西川のりお、高市早苗などの発言には、何やら伝統主義を頼りとした気分からなのか、時代潮流への説教らしき雰囲気が若干感じられる。TOKIO の城島茂については、もはや周りから茶化されても、そっと微笑む伝統主義の役割が板についた感じでもある。八嶋智人と堂本剛については、伝統主義に育ちながら新たな時代潮流へ進出しようと自己努力を強いられた感じである。十朱幸代、笛吹雅子、吹石一恵などにも何か奈良県の伝統主義が働いているのだろうか、妙な落ち着きがある。

そして今日の奈良県性について忘れてはならないのは、僕らの せんとくん である。今となってはちょっとした人気者だが、初登場の2008年には 「気持ち悪い」 のブーイングに囲まれた せんとくん であった。流石は、せんとくん。そんなブーイングや白紙撤回の圧力なんかに顔色を変えることなくを押しのけたぞ。やったね!

しかし一体、何が気持ち悪かったのだろう?それは多分、あの子供らしからぬ姿勢のよさやら指使い、そして物怖じしないこちらを覗くような横目使いにあったと思われる。

せんとくんの視線が向いている先について言えば、それは時代に合わせて行く現代の大衆潮流にたいしてである。きっと自分の時代潮流に取り残されまいと周囲に合わせて余裕計画している姿を、何やら冷静沈着に見つめられているようで気持ち悪かったに違いない。今や自身の時代追従的な余裕計画よりも、周囲の評価に動じない せんとくん の余裕もありかと、馴染んで来たのだろう。あれだけのブーイングにさらされても全く動じなかったのは、仏教や先祖代々の文化に守られていたからであり、「現代人が下す評価なんかには諂ったりはしないぞ」 だ。

せんとくんとは、やっぱり現代を改革する平城京ルネサンス(再生)と考えざるおえない。きっと平安京の光のどけき春の日が今日の日本を駄目にしたと立ち上がったのだろう。もし せんとくん が柿をかじっている姿を見かけたら、それは 「法隆寺の鐘の音を忘れたか」 という説教なのかも知れない。



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  1. 2011/01/30(日) 14:37:49|
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有名人に見る 方言と県民性の関係 ~言葉の裏側にあるもの~

ざっと無礼ながらも好き勝手に、有名著名人を参考にして幾つかの県民性とやらを考えてみた訳だが、その目論見とは、そもそも県民性の解釈を充実させることが中心課題だったのではない。実際のところ特定少数の有名著名人から多種多様な全般的人々の県民性について理解するのには、かなり無理があることくらいは充分に自覚していたつもりである。

そもそも肝心な点とは、簡単に言ってしまえば、方言という地域の特質にある。確かに特定の限定された地域と一言で言っても、そこには様々な個性的な人々が暮らしている訳だが、しかしその地域に特有な¨共有"された方言の使用状況から、それぞれの地域においてそれぞれの言葉の影響を受けている個人個人の様子が思い浮かぶのである。つまり、ある地域内には色々な人々がいるとしても、ある言葉の"共有使用"によって、その地域に広く浸透している共有された特質があると言える。

たとえば日本人と欧米人の単純な比較による国民性と言うものを考えて見れば、そこで引き出された日本人論やらにも、日本人にも色々な人々がいるにも拘わらず、おおよその日本人の傾向に納得したりもする。それと同じように様々な人々がいるにも拘わらず、おおよその県民性なるものも考えられるという理屈が成立する訳である。

しかし、有名著名人から推測する県民性理論では、上記の理屈とは肝心な点で異なっているのである。と言うのも、全国規模での有名著名人を扱うのは、それぞれ各地の県民たちが集結した全国区の中で、特定の県民性が有名になるような運命にあったと前提して考察されるからである。つまり、ある分野の、ある志向が、ある県民性に偏って生じた上で、それが全国区へと輩出され有名になっていくと考察されるのである。そしてその考察の際には、ただ県民性の突出した長所の発芽とか、ただ先見性のあった養成所の充実に求めるのではなく、その地域における共有された方言に含まれているだろう、特有な物の見方に重点をおいてなされるのである。

何度も繰り返すとおり、その地域には様々な個性的人々がいる訳だが、ある方言が使用されていることによって、他の異なった地域では生じにくい、何らの特質を持った一定数の人々を発生させる作用を想定できるのだ。田舎者が上京して来る大都会。その大都会は様々な田舎者の集まりで、様々な見方で大都会を見ているのである。必ずしも都会文化が優れている訳ではなく、中には、とある田舎者によって都会文化のうっかり加減が発見されるものなのである。

有名著名人に見る県民性理論とは、メジャー化現象に一般的日本文化とのズレから生じた県民性の特有なる見解を求めるものなのだ。ただしそれは県民性の長所の結果としてではなく、一般的な日本文化の意識から評価された結果としてである。つまり県民性の元となっている地域的な物の見方と同時に、全般的な日本の主要な物の見方についても気を使う必要があり、さらに時代的変化を合わせることによって、その様々な県民性の勢いの入れ替わる時代状況が各県民性の特質を理解するための手がかりになっている。



こうして有名著名人から考察される県民性理論とは、それぞれの全般的な県民性を考察すると言うよりは、日本文化へ関わることができる限定的な県民性であり、その有名な著名人を輩出する背景にこそ、全般的な県民性が広がっているのがわかると思う。その背景の一つが方言に象徴されるのであって、言葉の社会学的側面が見え隠れするのである。

すれば言葉の裏側とは、本音や本心などではない。言葉の裏側とは、周辺の人々との生活によって【無自覚に作られている物の見方】なのである。言葉の裏側に本心を見ようとする解釈とは、実は個人個人が【道具として言葉を扱う意識性】を前提とした結果に過ぎず、極めて狭く囲われた個人心理学の領域にも拘わらず、万能専門家気分で広く説得するようなものなのだ。またその自らが本心と眺めているものも、無自覚に言葉を使って来た習慣によって生じた結果なのであるが、現在の自身の巧みな言語使用への努力に忙しいためか、自覚されることはない。

最後にたとえておくならば、言葉を用いる我々とは、[湯気を出すやかん]である。互いがそれぞれの湯気である言葉を出してはお互いを見つめ合い、各人が自身のお湯と言う本心を見つめているのである。社会的に熱を加えられている やかん であることに気付かないまま……





しかし思い返せば、もともとブログを始めたのは現代心理学や精神医学理論のオトボケ性の暴露のためだったが、次第に現代日本の批評に寄って来た感じがする。若干不服を感じる記述もあっただろうが、それらは彼らの社会的影響を熟考した当てつけであって、彼らの隠し持つ人生から築かれた社会観にたいして、それでも柔らか目に仕上げたものだと、私が隠し持つ社会観についての配慮もお願いしたい。わからない連中を観客に仕立てたオトボケ発言による土俵上げバトルにしたい気持ちはわかりますが、そのルール自体を問題とした結果とお考え下さい。しかし収入確保の助け合い人脈による仕事で言っている方々に比べて、私の場合は、趣味的意見なので、やっぱり私の方が悪いと思います。どうも、すみません。(モジモジ) まあ~こちらとしては、様々な考えがそれぞれ密接につながっている状況を紹介できたと言うことで、よしとポジティブに思い込んでおきます。

しかし今や、阿呆な精神科医もテレビ出演による言論の自由に進化した時代です。各種学会やら政治家など、精神科医の資格の問題性に気づかないのですかねぇ~。当人たちからすれば、一般の場での言論の自由気分なんだろうが、学会やら専門家同士の充分な議論を通さない資格の乱用に見えるんだけど。詳しい事情を知らない素人が口出しする話ではなかったね。コソコソ検察官は捕まっちゃうけど、コソコソ精神科医は安全みたい、って感じでいいなぁ~。これからも、おいしい旬な職業かもね。トンデモ精神科医とか言う、ドラマも登場だから、間違いないぞ。

いやはや、何か細かい領域に一生懸命になっているように思われる方々も居られようが、全般的な政治意識や社会意識に繋がっている事柄でもあるんだよね。まあ~、わかってはもらえないばかりか、「何言ってるか、わかんねぇ~」 って感じで複雑系と名付けられながら笑い物になるのがオチだね。って言うか、そういう笑い声が現在の日本の状態を支えているのが見えちゃうだよね。

へ・へ・へ、東大や京大など大学のやってることも大したことないね。ちゃんと専門学科で人脈があるならば、とぼけた精神科医的進出を批判するなり茶化す協力体制は出来ないのかねぇ~。まあ、そんな知識の程度が集まった人脈と言うことだ。むしろ自分も負けずに、オトボケ進出にあやかろうと個人個人が狙いを定めていたりしてね。そりゃあ~、笑顔も弾み、笑う門に福も来るわな。せいぜい、天下り官僚にように、自分だけは逃げきれるように祈ることだね。

精神ケアの人材不足を訴えるのも結構だが、オトボケ精神科医の批判なり再教育した方がいいんじゃない?私には間抜けな精神科医が野放しだから、精神ケアが人々が増産されているように見えるよ。

これりゃあ~、もう全国ペンギンチック化 自由競争社会だね。って言うか、昨日今日、始まったことじゃないけど。オトボケ成功哲学、脳科学者、精神科医のケツ拭き役は、もう御免かな?裏をかえせば、著名なる心理学者になるにはケツ拭かせ上手のカリスマが必修条件である時代で、舌を出して笑わなければならないと言うことね。そう。知らん顔したまま突っ立っている匿名大衆を眺めながら。

全くおいらの場合は、ホトトギスになれる器にはないし、だっこちゃんウッチャー か うなぎ犬ウッチャー の個人的なマニアック趣味までが限界だね。もはや、シルシルミシルのナレーションを理解できた若者の、人脈形成に未来を期待するしかない感じだ。だから通りすがりのみんなも、その時までは辺りの動向をよく見て、うまくやれよ!自分だけは餌食にされないようにちゅ~か、餌食にされる人を周囲と合わせて笑えるようにね。

とにもかくにも、明日も、それぞれの集団が、それぞれの正当化発言を振り撒く御計画でスケジュールがいっぱい。各人、自分が所属する集団のために、頑張らなければならない。頑張らせ上手の能力がある人、あるいはその指定席にありつけた人は別だか。

さあ~、前向き、前向き……



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  1. 2011/01/25(火) 18:54:14|
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熊本県 もっこす観察力 ~個人技への自尊心~

熊本県の特質を表す 「肥後もっこす」 と言うものは、誰が名付けたか青森県の 「津軽じょっぱり」 や高知県の 「土佐いごっそう」 と共に、日本三大頑固の一つに数えられているものらしい。

青森県と言えば、太宰治、淡谷のり子、ナンシー関のように 「独りでも行く」 という気迫やら世界観やらで世の人々を見つめた頑固さが感じられ、まるで津軽三味線の音に、琵琶法師の祇園精舎の鐘の音に包まれた個人個人の内に潜む観照を見てしまった結果のように思えるものだ。

しかし熊本県には津軽のように凡人性や俗物性についてのご意見番的批評は発展せず、津軽の 「独りでも行く」 よりも、むしろ周囲の人々の仕方なく流されてしまうことの苦境感情から期待されるであろう、そんな周囲に流されない不動性なのである。たとえば天草四郎とは、現状の封建的な理屈によって流されてしまう人々の苦境感情から、キリスト教的理念によって周囲の圧力に流されない個人個人による社会理想像を期待した結果と考えられる。つまり流されてしまう追従勢力にたいしての追従を拒む不動性が もっこす であって、両者の二分化状況を眺めながら解釈する文化にあると言える。

すれば天草四郎によるキリスト教への回心は、社会状況を離れたキリスト教への心酔ではない。現行社会体制にたいする改新社会像が伴った回心であったと見なければならないだろう。また明治の熊本バンド同志社英学校への参加にしても、個人的な宗教的信仰、あるいはキリスト教の宣教師的普及ではない、キリスト教と社会観が合わさった現行社会改革の視座があった結果である。

そんな自身の不動性を基準とした現状社会についての熊本県的な観察力は、現在活躍している上田晋也にも認めてよいだろう。隣の鹿児島県出身の長渕剛を敬愛する上田にとっては、おそらく長渕の 「とんぼ」88 の"知らん顔したまま そのまま突っ立っている東京"に、現状社会における流されている人々と自分自身を感じているのだろう。彼の素早いツッコミは、ある種の周囲に流されない自己視座の不動的立ち位置の経験から生じたものである。比べること、似たような素早いツッコミにある兵庫県出身の名倉潤の場合は、どちらかと言えば、もっと学園祭的な司会進行役の庶民派の傾向にある。

上田晋也と有田哲平のコンビ性については、熊本県の個人技的傾向が現れてもいる。とんねるず、ダウンタウン、爆笑問題などは、ゲストに気を使わせながら自らのコンビ自身の安全地帯を作る秘技を用いて勢力を広げてきたが、しかし くり~むしちゅ~ の場合は、上田の肥後もっこすのために、ゲストとコンビの並列化を保ってきている。騒ぎ立て三大コンビの場合は、片方がゲストに無礼作戦を仕掛けて、まるで第三者のような雰囲気で横から絡んだり、さもなくばゲストに許してやって下さいと示しながら、その示すこと自体を続けることで自己舞台の常識化につなげてきたのである。たとえるならば、「そんなことは言うんじゃありませよん。失礼でしょ!」 というパターンをあらかじめ設定して置きながら、ゲストにたいしてその失礼を子供に言わせておいて、意図的な微笑みを見せる母親みたいな方法を繰り返してきたのだ。それは 「笑っていいとも」 のテレフォンショッキングにおける、タモリと観客席に挟まれたゲストという構図や、芸能レポーターと全般的視聴者に挟まれた芸能人という構図を参考とし応用発展させた、部分的な選抜多数を利用する全般的常識化の効果であった。

80年代の漫才ブームから生じた意識変化についてわからない人々には難しいかも知れないが、上田晋也のゲストいじりにはコンビ体制を守るためのゲストいじりはないし、そのゲストいじりによるコンビの安全地帯確保の秘技で微笑むような真似はしない。彼の場合は騒ぎ立て三大コンビとちがって、彼自身の個人的な理念からいじるのであって、相方を味方につけた囲い込みによるいじりはない。上田が長渕ファンを自称するのはもっともであり、長渕も彼に影響を与えれたことに快く思っていることだろう。



同じくお笑い界としては、モノマネ芸人のコロッケも熊本県出身だが、特に彼の場合は70年代の光のどけき春に向かって自分をアピールしている歌手の様子を真似ていたと言えるものであって、周囲に流されまいとする もっこす の不動性から観察工夫された結果と思われる。


なるほど、「肥後もっこす」 が男性に限って当てはまるものたいして、女性については 「火の国の女」 と呼ばれるほどらしい。それは熊本県出身の石川さゆり 「天城越え」86 の燃える山に代表されてよいものなのだろう。同じく日本三大頑固に属する青森県の 「津軽海峡 冬景色」77 が彼女の持ち歌になったことも不思議である。熊本県女性は頑固な男性社会の動向を見て燃えると考えざる負えない。

八代亜紀が唄う 「舟唄」79 を含めて 「天城越え」 には、嫉妬や虚栄心よりは見ていることの自尊心に燃えている感じである。それは彼が他の女性へ流れていったことにたいして、自身の卓見の自尊心から、自分の元へ呼び戻そうとするような情熱であって、独りの取り残された女性の嫉妬心や待ち焦がれではないのだ。つまり慎ましき女性の嫉妬心を歌うよりも、その慎ましさをいいことに流れ行く状況へ向けた監視的な自尊心なのである。熊本県の燃える女性とは、たとえ嫉妬心を歌うにしても、独りの女心というより、嫉妬が渦巻いている社会を歌う。

そのように考えれば、「365歩のマーチ」68 の水前寺清子や 「気分爽快」94 の森高千里も、彼女らと同じ熊本県的特質にあると言える。その自身の社会観を駆使して人々に呼び掛けるあたりは、やはり 「舟唄」 や 「天城越え」 と同じ社会観の前提にあろう。おそらく彼女らは自身の化粧に虚栄心はない。むしろ自身が見ていることに自尊心を持っているのであって、人々が化粧に注視している様子を見て演じる。

また宮崎美子の 「今の君はピカピカに光って」80 の曲に合わせれた、人目を気にしながらジーパンを脱いで水着になる光景の演技も、自身が隠れていることに注視している視聴者の状況を想定してなされた演技であって、何か自身が隠れていることの社会的位置が、日常的にしっかりと位置づけられていた結果と思われる。熊本県女性は素顔を隠すための化粧ではなく、隠れた社会観から工夫される素顔と化粧なのである。

よくわからないが熊本県出身の女性芸能人を見る限り、気遣いに自尊心を持つよりは、社会観の方に自尊心を持った気遣いにあるためだろうか、過度の出しゃばりや過度の上品に偏ることが少ない感じである。

あと男女問わずに感じるのは、各個人個人が持つ社会観に自尊心が絡む傾向があり、自身や身内の自己工夫に役立つに留まり、その共有化への意志に不足した個人技が強くなっている感じがする。



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  1. 2011/01/24(月) 19:12:49|
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群馬県 「世話ねぇ」 ~自分に正直な観察力~

群馬県の特徴については、"自分に正直な観察力"ということにしてみた。それはあだち充原作のテレビアニメ 「タッチ」85 の登場人物、上杉達也に代表される特質であるが、中でも特に注目しておきたい場面とは、有名な双子の兄弟である和也の死において発せられた、「綺麗な顔してるだろう?嘘みたいだろう?死んでるんだぜ」 の達也の台詞にある。そこには何か自分に正直な観察力みたいなものが認められるのだ。ただしその達也の台詞の内容自体に自分にたいする正直さが現れているといった意味ではなく、その台詞が言えた背景に達也の自分にたいする正直さがあるのである。達也は自分の思っている気持ちの領域と同じく、自分でもわからない気持ちの領域があることを達観しているかのようであり、そこに自分にたいする正直さと外部の観察力が認められる感じである。



ところで日本における80年代から始まったであろう大きな時代変化について振り返ってみれば、「笑っていいとも」 のタモリ抜擢、「おれたちひょうきん族」 のビートたけしや明石家さんまの抜擢などに貢献したとされるフジテレビのプロデューサー横澤彪、コピーライター糸井重里、「タッチ」 のあだち充など、群馬県出身者の活躍が目立っている。また総理大臣の中曽根康弘(82~87)も群馬県出身であることからして、不思議な因果である。

さらに遡ること70年代の場合は、 "光のどけき春の日" が浸透していた時代と考えられるのだが、そうした事情から察すること、逆に群馬県文化ではそれほど光のどけき春に深く信頼をおいていた訳ではなく、その苦境が社会的に広がっている状況の方をマークした文化なのかと推測できそうである。

光のどけき春とは、簡単に言ってしまえば、みんなが集まる和やかな風景の象徴である。70年以降から新たな個人主義的な理念が浸透していく中、結果的に各個人個人の苦境も生じることとなり、各人が伝統的な社会的つながりである【光のどけき春】の邪魔にならないよう、個人的苦境については【散る一片の花びら】として考えていた訳である。たとえばヒット曲 「ふれあい」74 に見られるような、"人は皆ひとりでは 生きてゆけないものだから"と言い聞かせては、各人が光のどけき春を支えていたのだ。

しかし【ひとりでは生きてゆけない】の表現とは現実認識が卓越した結果として生じたものではなく、むしろ現実社会の認識が伴った表現は【ひとりで生きていない】の方である。にもかかわらず、それを優れた現実認識の目覚めかのように思ってしまった時代なのである。

おそらくは"自分に正直な観察力"がある群馬県の場合には、その"ひとりでは生きてゆけない"に深くのめり込むことがなかったと思われる。たとえば萩原朔太郎の 「群集の中を求めて歩く」1923 では、"どこまでも どこまでも この群集の浪の中を もられて行きたい"と自分の気持ちについて表現されているのであって、"ひとりでは生きてゆけない"といった教訓的反省による社会学的なスローガンではない。一体、斎藤佑樹投手は仲間を持っているらしいが、どちらの意味だろうか?

いずれにせよ、"ひとりでは生きてゆけない"とは70年代に新たに生じた個人主義的志向の結果を反省した一つの教訓理念であって、他のまだ続けている個人主義的志向の人々への当てつけとして、まるで彼らが 「ひとりで生きていける」 と思っているかのように解釈説明する考え方であったのだ。それは社会学で言うところの機能主義の立場と隣接した考え方でもある。

そうした70年代の"光のどけき春"については、やがて 「みんなが守るべき社会秩序だ」 と社会学的な解釈に結びつけようとし始めた時期であろう。しかしそんな権威主義的な教育論者への傾向にたいしては、80年の活躍状況から考えてみて、単純に追従しなかった群馬県民と想像しておきたい。

実際のところ、群馬県の方言には標準語の"大丈夫"を意味する 「世話ねぇ」 がある。それは相手側から心配された際に 「お世話の必要はありませんので大丈夫ですよ」 の意味なのか、それとも相手側を心配して 「何か手伝うお世話がありませんか?」 と尋ねるものなのか、あるいは強がった 「おいらには手助けの必要はないぜ」 なのか、詳しい事情はよくわからないのだが、いずれの意味の場合も各人が求めたい手伝けの"必要性"に注目した表現なのである。比べること標準語の 「大丈夫」 とは、"光のどけき春"を基準にした平穏無事にあるかないかの問いかけと返答なのであり、群馬県の"各人の必要性"よりは"平穏無事の有無"を強調した表現のため、平穏無事にある者の平穏無事のから外れた者への同情が主題となってしまうものである。すなわち、「小さな親切、大きなお世話」78 や 「同情するなら金をくれ」94 と言いたくなってしまう標準語文化と言える。

要するに、群馬県の 「世話ねぇ」 とは 「小さな親切の世話は必要ありません」、「同情の世話より、お金の世話が必要です」 なのであり、標準語の 「大きなお世話」 や 「金をくれ」 の表現に、何か必要性に関する社会的に共有された関心の不足を感じとれる群馬県文化と言ってよく、たとえるならば 「期待される人間像」65 のような"必要とされる自分"よりは 「人々が期待している人間像」 の情報収集に努める"人々が求めている必要"に関心を示す意識が備わった群馬県と言えそうだ。



80年代からの西武百貨店のキャッチコピー 「じぶん、新発見。」80 や 「不思議、大好き。」81 「おいしい生活。」82 などで活躍した糸井重里とは、そんな70年代の"光のどけき春"の教育煽動化にたいして【マイナー擁護としての説得力があるつぶやき】を発したと考えられる。光のどけき春にたいして各個人が大丈夫を演出しなければならなくなった、言ってみれば"毎日毎日 鉄板の上で焼かれて嫌になった たいやきくん"(「およげ!たいやきくん」76)の苦心が広がった70年代の時代状況から、自分に正直で観察力に長けた群馬県出身の糸井によって、ほんわかした柔らかいつぶやきによって自己領域の主張がなされたのである。

糸井は"光のどけき春"を壊そうとしたのではなく、そこから外れた側のたいやきくんの苦心をつぶやいたのであるが、その彼のつぶやき的なマイナー擁護も90年代以降には 「MY REVOLUTION」85 からの自分磨きを主張する自己メジャー化の系統へと移行することとなった。糸井はメジャー勢力を伝統と見ながらマイナー側の新規参入の場所作りを目指したような感じなのだが、その後の自己のメジャー化という新たな勢力の場合は、従来の現行メジャー勢力に伝統を見ず、ただ自己発展を目指す 「自己啓発ブーム」90 となってしまったのである。

なるほど、ナンシー関は糸井重里について "80年代を捨てきれない大人になったヘンタイよいこ"(95年)とはよく言ったものだが、しかし彼女が解釈した 「よいこ」 とは、コロッケの物真似芸に等しく観客に見せるための消しゴム版画としてなのである。ナンシー関の好みとは、ビートたけしやダウンタウンのような伝統お茶かし(彼女自身は常識茶化しと見ていただろう)であり、それが笑いの評価尺度であった。糸井自身が意図していた"よいこ性"とは、実は伝統風景を守りながら行うマイナーなヘンタイ擁護にあったのだが、彼女はただ自らの評価尺度である伝統茶かし度のモノサシから、糸井自身の用語である"よいこ"で風刺したに過ぎなかったのだ。

おそらく、そんなナンシー自身の評価尺度の無自覚が、同じ群馬県出身の中山秀征嫌いに繋がっていたのであろう。90年代の糸井重里については笑いの沸点が低い点を茶化せば、見識ある読者の支持も獲得できた。しかし中山秀征については、上手な茶かし文句によってその支持を獲得するまでの洞察が得られなかったのである。いくら中山秀征の笑いの沸点が低いと茶かして見たところで、中山自身の顔色は変わることなく、取り巻きも楽しそうに進むのである。

そもそも彼女の中山秀征嫌いとは、実は彼女自身が笑いの沸点が高いとダウンタウンを過大評価した結果なのだ。ナンシー関も洞察していたように、中山秀征は一定数維持される笑いの沸点が低い人々を相手に仕事をしていると言える。しかしダウンタウンが伝統茶かしによって伝統を利用したように中山秀征にも伝統茶化ではない伝統利用の工夫がある点を見逃したのである。

ナンシー関は芸人至上主義の社会学者となったため、芸人の社会学までには届かなかったのであろう。つまり 「ダウンタウンの笑いの沸点が高いから面白い」 と宣伝したかったばかりに、ダウンタウンが面白いと思っている社会状況自体を考察できず、そのため中山秀征が起用されている社会状況についても見れなかったのである。

ナンシー関は宣伝広告が常識化効果計画を振りまいているのにたいして、人々が様々な常識化効果の圧力を受ける中、各人がこっそり自己常識化発信を狙っているピンポイントをモノトーンに刻み込んだ。たいてい人々は、宣伝広告に囲まれることよって乗り遅れまいと一生懸命になるのだが、ナンシー関の消しゴム版画の場合は、その宣伝広告の常識化効果を著名な個人に集約して暴露したような形である。いや、「暴露」 とは穏やかな表現ではなかった。大阪では自ら 「どや顔」 を見せることが出来るらしいが、慎み深い標準日本人の潜めた 「どや顔」 を、本人から頼まれた訳でもなく御紹介して下さったナンシー関なのである。我々としては、一言文句と顔の表情とのちょっとしたズレに、彼らの隠し持ったつもりでいる安全地帯の見え隠れ加減を味わわなければならなかのであり、今後日本の90年代の時代意識を考察するのにナンシー関は欠かせないだろう。ついでに中山秀征について言えば、彼のテレビ出演とは、いつも旅先からの記念撮影なのである。しかも郵送も兼務して下さる場所だから有り難い。当然、一般視聴者へ向けた 「どや顔」 も現れない。おそらく彼の笑顔は、リアルタイムから外れた局外へと向いていると思う。



話は反れてしまったたが、群馬県では"光のどけき春"に過度に信頼を置かないし、乱そうとする意図も生じにくい。上杉達也が弟和也の映る風景を乱さない位置にいたように、糸井重里にも光のどけき春にたいする毒はない。ただ自分に正直なマイナー進出の場所作りを目指したのであって、萩原朔太郎のように、みんなと一緒にいたい気持ちに正直なのだ。それはまるで嫉妬を知らないと言うか、それとも嫉妬の生じる理由を知っているかのような感じである。たとえば群馬県出身の布袋寅泰が作詞作曲を手掛けた今井美樹の 「PRIDE」96 に自己領域に忠実な嫉妬心のなさを認めてよいと思うし、上杉達也にも弟和也にたいする嫉妬心などはなく、むしろ双子兄弟という形でもてはやされるによって生じる外部からの嫉妬視線を避けているかのようだ。また古くから伝わる民話 「お菊ののろい」 の影響からか、嫉妬への警戒心が育った群馬県とも考えられそうである。

おそらくそうなるのも、もし自分が馬鹿にされた場合には、馬鹿にした人が自らの助け手には相当しない人物なのだと自分の頭の中で分類するに留め、彼にたいして見返してやろうと思わないからであろう。逆に言えば、群馬県民にとっては人々の嫉妬心を煽り起こしてまでも何かをしようとする人物に憧れ、そのサポート役になろうとする場合も多々あると思われる。

しかし群馬県民が自分に正直だからと言って必ずしも正直者だと思ってはいけない。自分に正直とは、嘘を言いたい時には嘘を言う、そんな正直さもあるからだ。



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  1. 2011/01/22(土) 16:08:35|
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静岡県 空使いの鑑定人 ~狐さんがいない民主主義~

静岡県の県民性とは、女性は気が強く、男性は優柔不断の傾向にあるらしい。実際、まる子ちゃん一家をサンプルに考えてもよいのだろうか?お母様とお姉様の家庭内をしきる数々に、お婆ちゃんの言葉少なき余裕も合わせて、なるほど女系政権の証拠に挙げられるのに比べ、父ヒロシと祖父友蔵には古き父なる威厳のかけらさえ伺えない。また当のまる子ちゃんはどうかと言えば、女系政権に属しているよりは男系の駄目人間の側に共感を感じるのだろうか、友蔵を敬愛するに至り、父ヒロシについては軽蔑しながらも争えない血を感じてしまう特殊な位置関係に追い込まれている。

さくら一家の一件で静岡県民をひとくくりに語ることの御不満は別の機会にお願いするとして、静岡県の女性優位の傾向に感じられるのは、神社に潜んでいそうな白狐の不在である。やはり女性が口うるさく日常生活を仕切ってしまうと、古き神様の使いである白狐や雪女のような、控えめな身のこなしに潜む得体のわからない視線を感じることが出来なくなるのである。

実際のところ、静岡県には 「狐がついた幸助」 という昔話があって、狐さんが幸助に取り憑いて語るには、それは秋田県の髪剃り狐のような人間に向けた監視的な戒めの視線ではなく、人間に忘れないでもらいたい願い出の形にあるのだ。簡略化すれば、つまり狐さんは恐ろしい監視役ではなく、可愛い守り神なのであり、狐さんにたいして緊張関係にない静岡県と言える。

要するに、静岡県では狐と狸の騙し合いは許されない。静岡県の基本は狸同士の騙し合いでなければならず、もし狐が現れた場合には、その狸同士の騙し合いを中断してまでも狸同士は団結するのである。静岡県では狸同士の騙し合いによって互いに成長していくのがルールであり、狐さんのような鼻を高めにしたシャープな騙し方はルール違反として警告を受けるのだろう。

そんな事情は 「ちびまる子ちゃん」 の主題歌 「おどるポンポコリン」 の狸の腹鼓に認められるとおりで、和尚さんと狸さんの競演物語と解釈してもよいかも知れない。社会秩序維持のために仕切る女系勢力に、それにあたふたと自己保身の技に忙しい狸さんがいて、和尚さんの教えに即したナレーション突っ込みが散りばめられるのであろう。それが可能になるためにも、狐さん的な突っ込みが登場してはならない事情がわかる気がしてくる訳である。



さて静岡県に独特な方言には、"知らんぷり"や"とぼけっぷり"を意味する 「空を使う」 があるらしい。標準語では 「知ったか振り」 に合わせた 「知らん振り」 のように"振り"が用いられているのに比べて、静岡県では目的語の"~を"を伴った他動詞"使う"を用いているのだ。

それは本音隠しに用いられる建て前の"振り"意識を減少化させる働きを持つ。本音の前に建てられた建て前を振るのではなく、社会的な場の空間に向けて空を使うのであり、本音隠しの【砂埃の振りまき】ではなく、社会的将棋盤への【効果を狙った一手】なのである。すれば、さくら家の父ヒロシや祖父友蔵の技とは本音隠しではなく、攻め寄ってきた圧力にたいする攻防の一手一手なのだ。

お隣の愛知県を見れば、あみんの 「待つわ」82 のように"かわいい振りしてあの娘 割とやるもんだねと"と言われることに苦心をしているが、静岡県の後にピンクレディーとしてデビューすることとなる二人は、「スター誕生」 のオーディションにおいて、すでに見られるイメージを意図的に工夫していたと伝えられている。またオーディション曲には 「部屋を出てください」 という、かなりマイナーな曲を選んだのであるが、やはり静岡県女性の意思表示傾向に即した選曲と見なしてもよいのかも知れない。

愛知県では振りを指摘する人々と振りを指摘される人々に分化された状態で、秋田県では互いに 「えふりこき」 と指摘し指摘され合う間柄であるが、静岡県では 「空使い」 の狸同士の騙し合い舞台のようである。全く秋田県が"振り"についての評価基準を共有しながら神の使いである狐の監視に囲まれた雰囲気にあるのに比べて、静岡県では"振り"ではなく"使い"の方を評価基準にし、神の使いである狐の監視はないまま、それぞれが狸として行動する状態である点で対称的だ。

そして静岡県の独特な空間認識については、"せいせいする"を意味する方言 「ごせっぽい」 に認めてもよさそうである。多分、「御所っぽい」 が語源だと思われるが、そもそも 「~ぽい」 とは自身に関する事柄にではなく他者についての命名に使われる傾向にある用法なのである。自身を卑下気味に 「私は飽きっぽい性格である」 と表現する場合があるが、自己賞賛的な 「私は色っぽいです」 の場合はツッコミを期待した自惚れの演技となってしまうだろう。

つまり 「ごせっぽい」 は自分の状態を表していると言うよりは、自分の居る場所の雰囲気を表していると考えた方がよいのだ。晴れ晴れとしたような自分の気持ちを表しているのではなく、晴れ晴れとした後の風景描写のような気がする。戦後間もない静岡県出身の加藤省吾による作詞、「みかんの花咲く丘」46 を聞いてみるならば、その情景描写に重きが置かれているがわかるだろう。

静岡県は個人個人を切り離して物事を見ず、雰囲気に包まれた個人として見るのであろう。はないちもんめの遊びについて静岡県の場合は、相談することに限らず 「丸くなって」 と仲間同士の輪作りをわざわざ表現しながら 「あっかんべ」 と相手側に自分たちの秘密の空間を訴えたいのである。すれば 「ごせっぽい」 も気持ちの共感ではなく、情景の共感を求めた表現と言えそうである。



こうして見れば、静岡県は和尚さんが仕切る狸同士の楽しい空間舞台のようだ。しかし神の使いである狐さんの監視に気付かない点においては、平穏無事からはみ出した領域への前進や狐さんの影の御苦労については無関心なままとなろう。まるで清水次郎長に象徴される義理人情が狸同士のルールであり、義理人情なき狐さんを追いやってしまったような形である。

そんな狸さん達の平穏無事を見守りながらも、隠れた狐さんの不意打ちを警戒する深さを持ち合わせた人物と言えば、よくわからないが古い鶴田浩二や三國連太郎(生まれは群馬県)なのだろうと、勝手に思っておきたい。



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  1. 2011/01/19(水) 20:29:24|
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