思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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天才とバカの間を計る紙一重





人は互いの1パーセントさえも理解できずに死んで行き、それぞれ自分の99パーセント以上を知らずに死んで行く。

そして私は、それを絵にすることができる。

もし万が一、この意味の1パーセント以上を理解できるやつがいたとしたら、きっとそいつも絵にすることができる。




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  1. 2015/03/11(水) 00:00:00|
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裸のもぐら叩き ~地下室は楽し~



もぐら叩きは、一部を叩いて、残りを従わせる。

もぐら叩きは、一部を叩いて、それを見せたい。



さあ、仲間の叩かれもぐらを軽蔑するふりをしながら、連携してもぐら叩きから情報を引き出せ!

すっかりもぐら叩きが裸になったら、今度はもぐら叩きが叩かれる時。



しかしそれも可哀想だから、地下で仲良く噂話も、たまには顔でも出して、もぐら叩きさんに仕事を与えてあげましょう。

昔元気なもぐら叩きも、今や中身と一致しない御神輿状態。

日本功労階級、只今、もぐら叩き出身者で白アリ状態。

ご苦労様、置物状態のもぐら叩き。

現役報酬ではない功労報酬なのに、現役面演出。

そのくせ、ケチくさいつぶやきだけは、一人前。

(全く熱くなるとこ、ズレてんねん!)

もぐもぐ。

東京キッド



もぐらの学校 ♪


もぐらの学校は 地下の中

誰が叩かれ 生徒か

誰があやかり 生徒か

みんなで先生 眺めてる





ドストエフスキーの『地下室の手記』でも読むかな …………


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  1. 2012/07/07(土) 19:44:06|
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天才が辿りつく天才論

天才とは、「天才」 という言葉の影響を洞察し、それを利用する人々である。

そして彼らは、ある天才論にやがて辿りつくだろう。



人は皆、天才である。

さもなくば、誰もが天才ではない。



結論。

天才とは、阿呆な天才評論家の仮面劇に歴史を発見した人々である。



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  1. 2011/08/26(金) 21:00:02|
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もしあなたが天才であったならば

現在の我々の知識からすれば、天動説より地動説の方が正しいことと知っている。しかし昔のヨーロッパでは天動説が権威ある常識であった。そこで天才なる人物の気持ちを少し垣間見るためにも、タイムマシーンに乗って過去へと飛び降りると言った、そんな想定をしてみたいと思う。

さっそく我々はタイムマシーンへと乗り込んで過去へと向かい飛び降りた。そこはちょうど一人の地動説者が天動説者たちによって囲まれては、嘲笑されている場面である。地動説者を囲んだ人々は、「地球が回るから目が回る!」と言いながら、自ら体を回転させては転んだふりをして嘲り笑っているのである。さて地動説を知っているあなたは、この場面に出くわして、一体どうような行動を選択するだろうか?

あなたはしばらく過去で暮らさなければならない身なので、嘲笑している人々を不愉快にさせては大変と思い、まずは仲間に入れてもらうことを優先させ、一緒に嘲ることを考えるだろうか? それとも、天動説者が仕切っているエリート階級の状況調査については後々考えるとして、将来の自らの科学者の地位獲得を密かに期待しつつ、地動説側の弁護を試みるだろうか? じっくりと、大多数が知らないことを知っていることが、どんなものかを、是非ここで想像してもらいたい。

みんなと等しく自分も知らないで黙っていることと、みんなと異なり自分は知っていて黙っていることとは大きく違うのである。この違いが理解できるのは、みんなが知らないことを知っていて語らない者の側なのである。(時には知っている者同士のライバル心から、自らの地位獲得のために知らないふりをしては大多数を味方とし、ひとまずは相手を困らせる状況へと追い込む行動に加わる場合もある)

もっとよく観察してみるならば、天動説を信じている青年エリートさんたちも、たいへん熱心に勉学に励み、良かれと思ってはそれを人々に説明して生計を立てているようである。そして身の安全のため天動説と地動説の問題には関心のないふりをすることを選択したあなたも、しばらく暮らしている間に人々から知識豊富な人物と認められ、知り合いからその天動説の勉強会に誘われ出向くこととなった。

その勉強会の雰囲気を眺めれば、その時代のエリートの卵であるみんなは好奇心で目を輝かせながら話を聞いている。しかし地動説を知っているあなたの場合は、天動説の説明に目を輝かせると言うよりかは、みんなと同じような目の輝きとなるように努力をしなければならないだろう。今後、自身が地動説を詳しく説明する機会が与えられる時のためにも、人々の天動説の信じ方について知っておくのも時にはよいと、自らに言い聞かせるのが賢い。

しかし勉強会の帰り道には、天動説の素晴らしさや地動説についての批判を、誘ってくれた友人から雄弁に聞かされだろう。全く人々が気を使わないでいられることを、あなたは独り気を使わなくてはならない立場なのだ。全く誰もが自身の生活を第一とするものであるが、そこには種類があるのを感じるのである。真実を知っているがゆえに知らないふりをしなければならず、人々の意見に合わせねばならないのである。

ところであなたは時流の大多数の天動説者と共にしながら、地動説者がどんな気持ちでいるのかを考えるであろうか? 確かに地動説は正しいのであるが、自身の身の安全を守るためにも少し時期を待って、もっと人々とうまく歩調を合わせた方がよいと、地動説者のやり方を心の中で批評するのだろうか? しかしあなたが未来から持ってきた当の地動説が、どうやって広まったかを考えるならば、そうした助言とは、まるで自分を危険から救い出してくれた際に怪我をした人に向かって、「もっと上手にやれば、怪我をしなくてもよかったですね」とアドバイスするようなものである。言論の自由の時期を待って地動説が説かれればよかったのか? では言論の自由を求め傷付いた者たちは、どうなるのか? 彼らは迫害を受けないようにする工夫に欠けた人々なのだろうか?

たとえるならば、古代ギリシャはアイスキュロスの「縛られたプロメーテウス」。天上より火を盗んだため岩山に縛り付けられたプロメーテウスをながめながら、自らは新しい火の使い方や上手な生き方の指導教室を開くことに専念するのがよいだろう。つまり未来から持ってきた様々な知識の長い歴史のプロメーテウスみたいな苦難など考えず、その自らが知っている知識で、みんなに喜ばれるように工夫して生計を立てることが賢明だろう。



再び現代社会に戻ってみるならば、ひょっとしたら[精神科医・患者]の関係が[天動説指導者・地動説者]の関係のように見えるだろう。時代的な物の見方、つまり過去へ行って見たところの、大多数の天動説者と真実を知った少数の地動説者との関係から、もっと【人々と等しく知らないでいること】、【人々と等しく知っていると思い込めること】の社会的状況について説明する必要性があるのだ。

まさに「アスペルガー症候群」とかいう個人心理学的な用語などは、天動説者的な時代的指導者気分が満載と言った代表例であろう。物理学などの科学理論の場合は、色々たいへんであったとは言え、まだ認められやすい分野であったと思う。今考えれば、アインシュタインも凄かったが、アインシュタインを認め始めた集団の凄さが感じられる。それに比べて現在の心理学の分野なんかは、まだまだ相当に間抜けな内容のまま、個人に焦点を当てた他人事で物扱いの解説者であって、もっと社会的現実を見れる人々の意見を吟味して、それを認め広めるような集団がないのは確かだろう。ただ自らの心理学者という職業領域を囲い込み、人間に詳しい気分を味わえればよいのである。時代的に広まっている天動説を人々に聞かせること自体が喜びで、充実感を感じる人々である。彼らは真理が現れるのを阻止しながら、自らの活躍を発展させる天才である。

現在の大半の精神分析や心理学は、そんな世界である。むしろ占い師の中にこそ、卓越した人物がいるのかも知れない。少数の地動説者と大多数の天動説者の知識の度合に関する社会状況を踏まえ、様々な笑顔の形態、しぐさの形態、発声の速さとトーンの形態などから、それぞれのアドバイスを生み出しているにちがいない。

また阿呆な脳科学者や遺伝学者たちは、天動説者的指導者の立場を拡張するために色々と工夫し、ある阿呆もそれを抜擢採用している。華麗なる覗き見的同士の連携プレーである。

それぞれが人々の無知を覗き見しながら、それぞれが隠し持っている自身の社会観に自尊心を持っている。まさに【それぞれの隠し持ち社会観】が要である。その隠し持ちの様子が公開されること自体が、まるでルール違反かのように、ある隠し持ち社会観の人々たちは、思い込ませようと工夫しているのである。



いやはや、実際に知っているかどうかが判定されない世の中、ただ周囲から 「自分だけが正しいと思い込んでる奴」 と思われることを恐れる者ばかりなので、役に立たないばかりか不愉快な御意見と感じられたことであろう。全くバカが羨ましい。肝心なところで不愉快にならないで、どうでもよいところで不機嫌になれる。誠にこの悔しさを晴らすためにも、まずは人並みの不機嫌を習得する必要がありそうだ。(ちなみに人並みの笑顔を習得するには、人並みの不機嫌面も必要だと言うことを、早く教えてあげて欲しいね。鬱病患者さんのためにも……)

しかし周囲の空気を気にするならば、あまり調子にのっているとお茶かし上手や性格判断野郎たちの視線が集まってきてしまうので、ひとまず我々凡人としては、誰もが周囲に理解されない中で努力していることについての一般的評判に身を隠しつつ、人々の評判に映る自分を確立することに細心の注意を払うのがよさそうです。

そんな訳で今宵は、「JIN -仁- 」 の大沢たかおに身を重ねながら、そっと世の中を眺める程度に留めたい。



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  1. 2011/04/17(日) 23:07:28|
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ジョン.レノン ~あれから30年~

ジョン・レノンが亡くなって、30年経った。ジョンは中学時代のおいらにとって、最高のアイドルさ。久保田早紀の 「異邦人」 や井上陽水の 「傘がない」 にも、何か近いものを感じていたりもした、そんなおいらだったね。もしジョンがいなければ、今のおいらも、もっと普通の生活をする人間になっていたんじゃないかと、思ったりするかな。ホンマ。

しかしおいらのこと、ジョン・レノン崇拝者だと勘違いしないでくれよ。有名人を崇拝するほど、 「自分だけがジョンを知ってるんだぞ」 気分にないぜ。まあ、ある程度はジョンについて知っていると言った自負なんかがあるんだろうけど、 「本当の真実を知っている者に観察されている」 と言った、そんな意識を持って、自分なりの知識状態と自覚しているからね。

そもそもジョンの 「神」 と言う曲自体が、そんな知識状態の立ち位置を示していたんだろう? ソクラテスの 「無知の知」 や、ロックやヒュームの懐疑的認識論にも近いよね。まあ、ジョンがいなければ、ボブ・ディランなんか知らずにいられたおいらさ。ジョンは "God is concept" と歌ったが、ボブ・ディランを知って有神論的な現実解釈へ進んだ訳さ。

要は様々な知識状態にある人々がいる中、そこで効果のある知識の使方にコソ泥意識が働いていることへの風刺や新たな立ち位置が 「神」 や 「イマジン」 で示されていた訳で、そこから生じる有神論と言ったところかな? 「今やキリストより有名だ」 は、全体を見ない、大多数へ効果あるキリスト教知識への、もっとさまよう者の存在の訴えだったと思うね。

全くジョン・レノンに限らず著名なる有名人について崇拝的に語る阿呆は、誰に向かって語っているのか、そろそろ考えた方がいいかもね? 有名な人物について語ると言うことは、賞賛的であれ侮蔑的であれ、誰に向けて語るかが重要なことなんだよ。まあ~、結局たいていの場合は、近所や身内での自己趣味の箔付けで、まるで有名人はただの道具なんだろうな、彼らにとっては。問題は、その有名人について本当に知っている者が、いつでも自分が人へ語っている場面を見つめていると言った、そんな意識があるかないかにあるのさ。



本当に知っている者の視線を知らない崇拝馬鹿と崇拝者批判馬鹿の会話が、この世の中の大半で、奇妙な知識闘争舞台が花盛り。彼らは、その視線を互いに感じながら話すのではなく、その視線を知らないことには触れてはならないと言うルールの中で、睨み合い。いや、コソ泥意識のぶつかり合い。有名人について語るのは、その語ること自体に自身のステータス確保につながるから仕方がない。それから、おいらは決して 「有名人について語るな」 と言っている訳ではなくて、本当に知っている者の視線を意識しながら、自らの意見を示せと言うことだから、くれぐれも、勘違いしないで欲しいね。


GOD


まるでおいらは、天才を理解したことで失敗し、人々の無知を知るのに成功した、そんな気分だ。



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  1. 2010/12/07(火) 13:23:02|
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