思考の社会学 〜心理学革命〜
ドイツ 知識論的解釈
2010/04/16 22:05




かつて「イデオロギー」という言葉は、敵のある考え方について、それが非現実的で独善的理論といった意味で広く使われていた。そのような意味での「イデオロギー」という言葉の由来は、知識社会学者マンハイムの「イデオロギーとユートピア」によれば、ナポレオンが専制主義的野心をもつと攻撃した学者たちに向け罵って言った「イデオローグ」が始まりとされている。イデオローグ、イデオロギーの語源は、遡ることギリシャ語に行き着き、古くはプラトンのイデア論、16世紀イギリスのF.ベーコンのイドラ論なども同じ語源に相当し、現在の日本語にある「アイディア」、「アイドル」も同様である。

それはそうと知識社会学の祖とされるマンハイムに言及すると、彼自らが「イデオロギーとユートピア」を著したとおり、知識社会学の分野自体がイデオロギーが深く関わっているのである。敵方の考え方にイデオロギーを見ると同時に、自らの考え方についてもイデオロギーを見る全体的イデオロギー論の立場が、言わば知識社会学である。

遡ることカントが「純粋理性批判」を著してからというもの、ドイツ思想界では理性論及び観念論が共有理念として浸透していった。英語の理性 reason と合理主義 rationalism とはラテン語に由来する同系列語であることから、日本語においても"合理主義"を"理性主義"と解して、カントの「純粋理性批判」が登場した事情を想像しておきたい。

"合理主義"と言うと、単純に非合理性が対置されてしまい、合理性を唱える人々の中でも様々な主張がなされている対比が浮かび上がってこない。しかし"理性主義"と呼べば、カントが合理的な理性の使い方についての吟味を行った状況が多少なりとも感じやすくなるだろう。また観念論idealismがイデオロギーideologyと同系列の語彙であることから察して、マンハイムの知識社会学の登場がドイツ思想界における土壌に根ざしているのが実感される。

要するに、知識社会学構築の基礎である"知識所持の現実"についての意識が、まずドイツ思想界共有されたのは、カントの理性論が広まったからである。階級と意識形態の関係を示したマルクス・エンゲルスの「ドイツ・イデオロギー」が1845年で、資本主義社会とその精神の関係を示したヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神」の1905年という経緯を辿った。そしてマンハイムの「イデオロギーとユートピア」、1929年にいたる。ディルタイの世界観学やフッサールの現象学などを含めて【知識所持の現実】を意識したドイツ思想界によって、【知識論的】な解釈図式による社会学が推進させたのである。

一方、【知識論的】解釈にたいするものとは、【性格論的】あるいは【性質論的】解釈である。性格論的解釈とは、自らの知識所持の現実は全く研究対象とされることがない。知識とは、それ自体解釈されるものではなく、一方的に現実を解釈するための道具とみなす立場にある。その論述内容が、性格をあらわす概念で埋め尽くされている点で、性格論的解釈と称されるに値するのである。確かに知識論的解釈を促進させたドイツ思想圏ではあったが、他方で性格論的解釈も台頭して現在の状況にいたっている。その代表は共に1921年のクレッチュマー「体型と性格」とユングの「心理学的類型」である。人それぞれの現実からそれを分類し、それぞれの特徴を記した心理学である。彼らは"知識を抱いている人間"の影響し合う現実を見なかった。彼らは人々の素朴な意識形態に向かって様々な人間についての解説をし、新たな人間観を普及したのである。最初の国際精神分析学界が開かれたのは1908年であるから、20世紀以降は性格論的理論の進出を許してきたと考えてよい。

しかし光量子仮説ではあったが、アインシュタインがノーベル物理学賞を受賞したのが1921年。特殊相対性理論ができた過程を幾らかでもよいから理解できれば、性格論的心理学のとぼけ加減なんぞは、今頃の心理学界においては、すでにお笑い草になっていてもよい感じがする。まあ、そうならなかったのが現実であるから、いずれお笑い草が常識となった際には、その心理学界の状況と一般社会の意識形態なり知識形態の歴史的考察もなされるのだろう。T・S・クーンの「科学革命の構造」が1962年だから、もう50年近くになる。学界にいる人々には知識の統合力がないのか、あるいは知識の統合力ある人物を認める才がないのか、私にはよくわからない。

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