思考の社会学 〜心理学革命〜
「寛容」の社会学
2010/03/17 00:35

早期に市民革命をなした両国、イギリス自由観とフランス自由観は大きく異なっていた。勿論のこと、その自由観には、各々ほかの様々な領域における知識、解釈なども絡み合っており、それぞれの自由観な対応した形で相違が生じていると考えてよい。
17世紀には「我思うゆえに我あり」の大陸合理論のデカルト、「白紙からの知識形成」のイギリス経験論のロックが現れたが、それは人それぞれが自らの宗派なり、自らの主張のみに懸命であったため、争いが絶えなかった状況に由来する。デカルトもロックもその意見衝突の混乱解決を視野に入れ、それぞれの意見を記した。デカルトは論理的説明に主眼をおいたが、ロックは経験による知識形成の洗い直しを示した。イギリスではすでに、F.ベーコンが誤謬や偏見の要因に関するイドラ論を記していたのに続き、誤謬、偏見は付き物であり、それを順次経験論的知識を提示しながら改めていく方向にある。
そこで問題になるのはイギリスにおけるロックの言った"寛容"である。意見の多様性の中、議論の際に求められる態度であり、自己主張にたいする聞き上手のような理念である。その寛容の理念が広く共有化されてゆくと、自己主張ばかりする人には寛容の欠如という非難が与えられてゆくことになる。また自らの寛容に自尊心を持ち始めることにもつながってゆくこととなる。
王政廃止後、再び王政復古のなされる契機となったブレダ宣言とは、国王が議会へ示した寛容表明のようなものであり、クロムウェル独裁との比較からか議会は受け入れた。またジェームス二世のプロテスタント排除の親カトリック的傾向は、寛容とは反するものであり、比較的即位に賛成だったトーリー党さえも名誉革命を支持する形となった。(王政復古と名誉革命の際に王位についたのが、オランダに関係した人物であった点は大変興味深い)まさにロックが寛容にふれたのは清教徒革命や名誉革命の後である点で、すでにイギリス文化に定着しつつあった理念であった。しかしロックは寛容理念については共有してはいるが、実際に起きた革命についての見解は、他の問題へ展開を広げている。
またジェームス二世が発した信仰の自由宣言1687について言えば、それは理念と社会との関係を人々の意識に投射された大きな事件である。単純なフランス自由観からすれば解放と寛容の声明のように考えてがちになってしまうものだが、その理念は親カトリック派へ向かうものであり、やがてはジェームス二世にたいする反対多数となり、名誉革命につながった。イギリス自由観とは、まさに結果を見て判断する自由である。信仰の自由という理念の社会的結果を見て判断し、その信仰に寛容の有無を見る。名誉革命とはジェームス二世の理念に"無寛容"の名を突きつけた事件である。
こうしてイギリスの事情を見れば、百年後のフランス革命にたいするイギリス保守派の見解が想像できよう。イギリスはイギリス自由観によってイギリス文化を築き、その文化に影響される人々であり、フランスはフランス自由観によってフランス文化を築き、その文化な影響される人々である。そして自国文化に影響された考え方で他国文化を解釈しているのである。そうした思考や知識を抱いている人々の相互関係を考察しうるのが【知識社会学】の今後であろう。たいていの国民性についての考察は性格論的(情熱的、開放的、親密的など)に論じられるが、実際は知識文化に影響された人々の集まりであるがゆえ、知識論的に考察されなければならない。むしろ性格論的考察自体が無意識な文化に影響された解釈として知識社会学の研究対象となる。

さて日本における自由観はフランス的自由観にあるが、その時代経緯はいかなるものであったか。それは80年代の漫才ブームに始まる伝統保守についての茶かし進出に課題がある。伝統保守側は俗悪番組のアンケートを採るか、「今の若い者は〜」と言うしかなかった。"伝統と自由の社会的対立"の理念が普及していなかったために、そうならざる負えなかった日本である。日本の伝統保守はある面で寛容であったのかも知れないが、イギリスのような"伝統にたいする態度"を監視、評価する寛容ではなかった。個々人の保守的独立自尊理念で、若者世代の個々人を評価するだけであり、「オジン、オバン」を発明した後、80年代からはその保守理念からの評価をかわし、茶化す方法を覚え、かつそれを武器に進出する部隊が発生したのだ。(もはやそれは伝統になったのか?いや伝統として扱い、次世代を恐縮させることに用いるのに心がけるだろう)
フランスでは、18世紀後半にヴォルテールが「我々はすべて弱さと過ちからできている。我々の愚行を互いに許し合うこと」を"寛容"と解しているようだ(中央公論社 世界の名著33 参照) が、イギリスの寛容とは、"様々な意見を持っている人々について考慮していること"を示すことである。その考慮をする人々の場を作り出すための寛容であり、個々人を許したり自分が許してもらうための前もっての寛容ではない。フランス自由観の日本は、まさに許し合うことに理想社会を求め、意見の多様性にたいする寛容を理解しない。いや内輪の意見多様性で寛容の雰囲気を作り、部外者に恐縮を与える舞台を設定しさえている。特にテレビ界では80年代に伝統を茶化しかわし始めた世代から、次第に若い世代が進出してくるに従い、顕著なあからさまな舞台設定を見せてくれる。と言っても「あからさま」とわかる人は、そうはいないし、「あからさま」とわかる人がいても手が届かないだろうといった視線を持ち始めている者も現れだしている。

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