思考の社会学 〜心理学革命〜
二宮金次郎の銅像 〜心理学者の安楽椅子〜
2011/07/25 20:37

心理学者とは、人の心理について色々な説明を聞かせて、自らの安楽椅子を獲得した人々である。それは古くは二宮金次郎の銅像に象徴される、まるで日本の伝統的なケチくさい指導者と似ているのだ。

ケチくさい指導者とは二宮金次郎のことではない。それは二宮金次郎の銅像を指差して説教していた奴らである。彼らは学問が出来る奴らが現れると自らの指導権が奪われる可能性があるので、金次郎の銅像を指差しながら 「おまえはまだ仕事を知らないから適当ではない」 と説教し、逆に仕事が出来る奴が現れると 「おまえはまだ学問を知らないから適当ではない」 と説教するのだ。

もちろん当の説教者を見れば、どちらも中途半端な奴なのだが、誰も指摘しえなかったのだから笑える。つまり二宮金次郎の銅像を各所に作り始めた指導者階級たちから今の心理学者のような囲い込み自己格上げ法が使われ始めたのだ。

そうした階級固定化のコツとは、理想像もしくは優等生サンプルを作り、自らは指差し解説に徹すること、そして自らの安楽椅子を暴露する者を締め出すことの両立である。全く金次郎の銅像を指差して文武両道の両立を説きながら、彼ら指導者自身はこっそり褒め貶しの人物選別を、自身の安楽椅子維持の観点から決定していたのである。

全く自己啓発風の本を見ても、事情はさほど変わらない。彼らは二宮金次郎の代わりに 「自己実現ができている人」 を作成し賞賛するふりをするが、それは自身の安楽椅子を暴露する者が現れた時に、「彼は自己実現が出来ていない人で、他者のあら探ししかしません」 と信者たちに説くためである。

金次郎の銅像も自己啓発論も、自らの評価発信の立場を保つ理論の普及によって、人々に欠如を示しすために特定個人を褒め称えた。また彼ら自身が評価対象に含まれることのないよう、暴露者が排除できる形に人々を評価するように工夫した。

つまり問題は、【人物評価発信地の説明責任がノーマークである】ことなのだ。人の心理が人物評価に影響されているのが現実であるにもかかわらず、その現実に触れず心理学を説いている者が学者面で居座っているのだ。

とぼけた心理学理論が普及し、その普及の中で人々が争い、コツを得た安楽獲得階級が下手くそな努力階級にコツを教えずに、叩くことで背中合わせの団結に向かう。全く心理学者からすれば、自らが問題解決を指導するための事件が生じてくれるのだから、誠に有り難い。こんなに美味しい仕事にありつけたから人物評価の心理学やら社会学を公表する必要がない訳である。

現代日本とは、国内の人物評価の隠れたルールのもと、言論の自由で御闘争。海外の人物評価の心理学の発達、もしくは人物評価の公共的公表化による文化的発展が起こるまでは、このまま素知らぬふりを通し続ける日本人だろう。

ノルウェーの事件は、世界的に波及するかもね。日本も他人事ではないと思うよ、よくわからないけど。ほんにお馬鹿な心理学者たちは、今までのように犯罪者の思い込みや陶酔がごとく御解説するだろうけど、大きな原因はとぼけた心理学者の居座り上手の覗き見的な安楽椅子の主張にあったりしてね。まあ〜、事件が起こると喜びを感じるようになってしまった心理学者だから、危機感はないだろうがね。

ヘ・ヘ・ヘ、もしお馬鹿な心理学界への仲間入りに苦悩している若き心理学者がいるならば、詳しく研究順序を指導してやってもいいかな? (超上から目線。つまり上から目線なんかどうでもよくなった目線ね!)





きっとおまえなら、裏切り者の名を受けるデビルマンになれる。



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