思考の社会学 〜心理学革命〜
「世界の名著」 〜文化論的読み方〜
2011/02/16 17:14

中央公論社から出版された 「世界の名著」 とは、分量の割には安価である。また哲学とやらにちょっと興味を抱いたことのある人ならば、一冊くらいは購入して読んでみたことがあることと思う。

さて人それぞれ関心事が異なっているので興味をそそる書物もそれぞれ異なり、またすべてを読みあさろうといった野望を持つ方はそうはいないであろうが、ここでは広い世界史的な観点から、そんな 「世界の名著」 の各書物の位置付けを行う読み方を紹介してみたいと思う。



そもそも日本で西欧ヨーロッパ思想が導入され始めたのは、明治維新の文明開化からである。それからと言うもの第一次、第二次と世界大戦となり、1945年には日本は敗戦側となった。「世界の名著」 とは、そんな敗戦後の日本の行く末のために必要とされるであろう世界的視野の普及を目指した、著名どころを厳選して日本語訳にいたった書物であろう。

しかし現状を見れば個性化の時代と言うことで、ただ日本と外国の間にただ一本の境界線を引くに留まり、各人が自身の関心領域もしくは得意分野を選択して、日本にはない外国思想の学習に役立てる程度に陥っている。なるほど協力精神により各分野の人々による連携でことを進めるのも結構だが、ご存知のとおり日本は縦割り社会で、結局は協力による統合化にはいたりづらい文化にある。まあ、そんな事情もあるのだから、大まかな統合化領域の概要を知っておくことも悪くはないと思う。



そこで何よりもはじめに注目したいのは、日本と外国という単純な一本の境界線ではない、諸外国の間についても境界線を引く必要がある。そのための一つの方法とは、西欧の主要三カ国、イギリス、フランス、ドイツの区別、つまり境界線の認識である。実際 「世界の名著」 を拾って見よう。

【イギリス】 : トマス・モア、ベーコン、ホッブズ、ロック、ヒューム、アダム・スミス、バーク、マルサス、オウエン、スペンサー、ベンサム、J・S・ミル、ダーウィン、ケインズ、トインビーなど

【フランス】 : モンテニュー、デカルト、パスカル、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソー、トックヴイル、サン・シモン、フーリエ、コント、ミシュレ、デュルケーム、ベルグソン、など

【ドイツ周辺】 : ルター、ヘルダー、ゲーテ、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ランケ、マルクス、エンゲルス、ニーチェ、ジンメル、ウェーバー、フッサール、マイネッケ、マンハイム、ハイデガー、など


以上のとおり主要三カ国のイギリス、フランス、ドイツが大半を占めている。さらに書物の内容を見て行けば、さらにヨーロッパ各国についての叙述や引用もあり、ルネサンスのイタリアなどスペインやオランダなど広い諸国事情を推察しうる題材が満載である。

そこで別の著書になるがスタンダールの 「恋愛論」 1822を合わせて読むことを勧めたいのだが、それは何と、十年間に17部しか売れなかったと言われる代物である。まあ、現在にいたっては、幸いなことに、ちょっとした名著と言えるに値する。その内容を見るならば、国民性についての違いが伺えるものであり、我々がイギリス、フランス、ドイツなどの分類を進めるのに大いに役に立つ参考文献なのである。

何千年と言う言語によるコミュニケーションの歴史を蓄積して来た現代の国民性を考えるのならば、風土や地理的条件は皆無ではないにせよ、さほど重要ではない。むしろ、その国民的な共有理念による評価をしたり評価されたりしてきたことの方が理解される必要があるのだ。

イギリスでは1649年の清教徒革命で王政廃止をなしたが、共和政の名の下のクロムウェル独裁を見たため、1660年に王政復古をなした。フランス革命の王政廃止後は一時期王政復古となったが、結局は王政側からの弾圧に対抗して1848年に永続的王政廃止となった。それはロックの経験主義的な知識論とデカルトの合理主義的な知識論のちがいと重なり合ったものである。(自由観の社会学)

我々が感じる国民性とはその国民に共有されている物の見方に関係しているのだ。ただし知識が必ず個人によって抱かれているとは言え、ひとりの国民の性格と知識の有り様を調べても意味がない。ひとりひとりの国民は、あらゆる同居する国民同士の影響を受けてきているからである。

そして、ある程度の知識共有された国民的集団とは、他国民を同じように解釈したりする訳であり、A国が解釈するB国C国、B国が解釈するA国C国、C国が解釈するA国B国と、あらゆる知識状況が見えてくるのである。たとえば日本人が解釈するイギリス、フランス、ドイツとは、日本人に特有な知識形態からなされた解釈なのである。しかしフランス人が解釈するイギリス、ドイツ人が解釈するイギリスを日本人が解釈するイギリスと比較してゆけば、イギリスばかりではなく、フランス人の考え方やドイツ人の考え方の特色もわかってくるのである。

たいていの勉強とは、自身と似た周辺他者とのコミュニケーションを目的としてなされるため、日本人であるならば、日本人の知識形態で比較的受けのよい解釈をすることになる。つまり日本人が解釈するイギリス、日本人が解釈するフランス、日本人が解釈するドイツが主要な関心なのである。イギリス人がフランスをどう見ているか、フランス人がイギリスをどう見ているかということから、自身の日本人的考え方を振り返ると共に、イギリス人の考え方やフランス人の考え方の特質が見え隠れしてくるのであろう。

「世界の名著」 は、そう言った意味で、相当量の新たな心理学や社会学のための題材が含まれているのである。国民的な物の考え方の多様性について触れたわけだが、それは精神科医と精神病患者の関係にも当てはまる事柄なのだ。精神科医は精神科医集団という限られた閉じこもった知識形態で判断解釈している。精神病患者は周辺他者との知識形態の食い違いの中にいる。しかし精神科医は自身の閉じこもった知識形態を見ないし、精神病患者と周辺他者との知識形態の差異を調べないのだ。そんな未熟な知識であるにも拘わらず精神科医という仕事が成立している社会体制がある。その社会体制が支えられている知識形態や、あるいはその社会体制に支えられてもらえる知識形態が公表されないうちは、ただ精神病患者へ群がる精神科医のパラサイト状況は変わらない。それは自身が思い描く社会貢献を囲い込んだ他者利用搾取であり続ける。

最後に断っておくが、それは別に世界史視座とか精神病という専門分野のマニアックな見解を言っているのではない。人々が暮らす日常世界の見え方にさえ関係したものであり、どれだけ各人が白々しく振る舞いながら、かつその人々の白々しさを余裕もって見守っている気分にいるかが見えてしまうのである。その自身の余裕ぶった見守り気分を、より他の人に見守られているのかを知らずに。また彼らは過去の自分の無知を反省して現在の自分の成長に酔いしれるものである。

人付き合いの要は、人が抱いているそれぞれの自己成長観を見抜くことにあります。そして結局のところ、人の揉め事の原因って、思うよりも単純なワンパターンにあるものなのです。



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