思考の社会学 〜心理学革命〜
理神論 と 三位一体説
2010/08/22 08:26

理神論とは簡単に言うならば、信仰ではなく、理性によって解釈された神についての理論である。たとえば聖書のような神の叙述とは、神がどんなものかを、理性的に思索した過程を記したものではなく、すでにイメージされた神を前提として物語に書き記された形式にあって、理神論の考察叙述の対極にあります。(ただし聖書にも、問いかけ問答によって、理神論的な側面もある)

さて理神論とは、英語では deism です。それはラテン語の「神」 deus に由来する言葉なのですが、全く「理性」とか「理論」を意味する綴りは見当たりません。信憑性のほどは確かではありませんが、一説によればフランスのパスカルによる造語のようです。やがて次第に広がってゆくこととなる合理主義(理性主義) rationalism の由来がラテン語であることからして、そのラテン語と言う共通点だけで「合理性」らしき意味合いが合わさったのか、理性で解釈する神の理論を意味する「理神論」 deism に落ち着いたものと、勝手に思っておきたい。ちなみに有神論 theism については、ギリシャ語の「神」 theos に由来し、無神論 atheism と対になった言葉で、同じギリシャ語を語源とする定立(テーゼ)と反定立(アンチテーゼ)と類似した、意見対立の状況を踏まえた形となっています。



そこで「三位一体」について話を移しますが、それはイエス・キリスト以降に生じた概念で、その三位一体説をめぐっては、宗教会議が開かれては議論がなされてもいました。ずばり先に結論だけを言っておけば、その三位一体説とは理神論的(理性的)考察を妨げる側にあり、三位一体説に反対していたアリウス派の側に理神論的な要素が準備されていたと言うことです。信仰と理性の対立が課題とされていた時代がありましたが、三位一体説の始まりについては、強引な理性の使用で体系づけしておいて、後になってから理性では捉えられない信仰の大切さを訴えたかのように、現在から見れば感じてしまうのです。

さて三位一体説の是非については後の話とすることにして、その議論がなされたと言うこと自体にも、重要な研究課題が含まれています。比較すること、古代の宗教段階では、その神についての吟味的な議論がなされることはなく、自然と優勢な考え方が定着し、少しは形を変えることはあったのでしょうが、概要はそのまま継承されてきたことと思われます。もちろん、わざわざ「正統」などと力説する必要もなかった時代でしょう。また古代宗教でも意見のちがいから、宗派の分裂が生じたことでしょうが、しかし三位一体説の場合には、広く浸透させるための動機を無意識にも潜ませながら、どちらを正統とするかと言った議論に至り、また今日の近代西欧思想への背面教師的な礎にもなったと見なせるもので、特別な意味がある解釈図式に支えられています。

ところで我々一般の日本人からすれば、三位一体説とはどんなものに映るのでしょうか? おそらくは昔の科学的知識のなかった時代の、宗教的な取り決めのようなものと思われることでしょう。また科学技術なり資本体制社会が普及した当の西欧文化圏の人々も含めた現代的な考え方からしても、三位一体説の内容などはもはや時代的かつ地域文化的な宗教上の取り決めにすぎず、その三位一体説を支持する側からなされていた正当性を訴える説明論法に感銘を受けることは少ないでしょう。

その三位一体説にたいして反対していた考え方の中には、たとえばアリウス派がありましたが、おそらく現代の人々からすれば、三位一体説のようなキリストのみに神聖を体系づける説明には論理的に見ても到底納得できる説明ではなく、むしろ「キリストに神聖があるのならば他のすべての人間にも神聖があり、他の人間に神聖がないのならばキリストにも神聖はない」と言った方が納得しやすいのが実情かと思われます。つまり三位一体説とは「人間」についての様々な形態論を阻止するような形に仕上げられているのであり、アリウス派の人間観の方がより現代の人間観に近い位置にあると言えます。

では三位一体説とアリウス派の対立点を人間観に焦点を絞って見てみましょう。すれば問題はイエス・キリストの特殊性の捉え方に集約でき、三位一体説の場合は、まさにキリストのみに神聖を体系づけられている点で、その特殊性の宗教的な流布維持を優先させたかったものだと言えます。一方のアリウス派もキリストの特殊性は認めていた訳ですが、しかし崇められる神聖としてキリストの特殊性を理論づける必要性がないばかりか、その理屈づけの強引さに疑問を投げかけていた訳です。

つまりアリウス派とは、人類の歴史的経過の一部にキリスト個人を位置づけ、その歴史的全体像を探求することの歴史学的あるいは社会学的などの学的課題を残しておこうとしたと言えます。一方の三位一体説からすれば、キリストの特殊性を出来るだけ広く長く後々まで注目をされるようにするため、当時の人々の考え方を考慮して上で、無理やりに神聖化したような感じです。

実際のところ、アリウス派の人間観の方が論理的で合理的なのですが、いくらキリストの特殊性について、その歴史的経過を合理的に考察しようと試みても、そう簡単には出来上がるものではないですし、ましてや多くの人々の関心を引く訳もなく、持続的に議論がなされうる可能性もほとんどない分野なのです。この現代に至っても、たいして合理的な説明がなされている訳でもなく、広く行き渡っている状態にもないのです。(これはキリストについての、大いなる歴史的考察の可能性を理論的に前提した上で進められる話なのだが、私はその可能性を前提としているし、準備もしている)

まさに三位一体説とは、アリウス派に比べて、全くの合理的思考の未熟状態にはありました。しかし【広く長くキリストの特殊性を意識づけること】では大いに貢献し、かつ【その未熟さ自体が後々の新たな合理的思考を目覚めさせ、人々へ説明普及させるための計画的誤謬のサンプル】としての役割を担っている理念とも言えます。

つまりこうした人々が三位一体説を抱いてきた歴史的現実についての考え方こそ、知識社会学や知識歴史学の真髄なのです。言うなれば、天動説や錬金術、フロギストンなど、他の科学以外のあらゆる誤謬なる知識も、知識社会学や歴史学にとって対象から外しうる知識はないのです。我々の現在抱いている豊富な量の知識とは、現代人の個人個人の進化などではありませんし、次々と子孫へと伝え文化的保存を果たす華麗なる人類"自身"が編み出した業の結果でもありません。過去の誤謬を見ては少しはましな新たな誤謬が生じる、そんな神が最初に準備した仕組みを基礎とした歴史的展開なのです。(ヘーゲルの歴史哲学を参照のこと)

三位一体説の歴史的経過を見れば、325年のニケーア宗教会議で三位一体説が正統とされ、アリウス派は異端として追放となった。それは理神論的思考、あるいは哲学的思考や形而上学的思考の追放を意味します。さらにプロティノス、ポルピュリオス、プロクロスなど(中央公論社の「世界の名著」15参照)に見られる哲学的、形而上学的活動の場も、529年のユスティニアヌス皇帝によるプラトン以来のアカデメイア学園の閉鎖で打ち切られた形となりました。全くイエス・キリストの特殊性を我々とは異なった神聖なるものと理論づけた三位一体説の興隆と見なしてよい時期でしょう。九世紀中頃からは、アラビア文化圏においてアリストテレスを主とした古代ギリシャ哲学の研究が始められ、西欧では13世紀のトマス・アクィナスを経て、やがてはルネサンスを触発させる要因にもなりました。要するにルネサンスは西欧文化内における保守伝統の改革だけではなく、外文化のアラビア興隆状況に触発された形です。

それでは三位一体説とは近代西欧思想の発芽を遅らせたものだったのでしょうか? いいえ、むしろ三位一体説は近代西欧思想の発芽を早めたものでしょう。もし三位一体説が広まらなかったならば、キリストの特殊性は早い時期に注目されなくなったでしょう。キリストの特殊性が広く強く理論づけられたことによって、キリストと人間全般との【差異性と同一性】についての疑問を忍ばせる雰囲気となって、普遍論争が生じ得たと考えられるのである。

キリストと人間全般との差異性を示す三位一体説。また[神・キリスト・聖霊]の同一性を示す三位一体説。それが次第に人間全般とキリストとの同一性についての関心、また三位に共通するとされている一体(同一性)への疑問が起こり、同一性つまり[普遍]についての唯名論と実在論の対立へとつながったと思われるのです。11世紀のアンセルムスが"信仰は理性に先行する"という立場から普遍実在論を示したとするならば、その実在論は人間全般とキリストとの「人間」についての普遍性よりは、三位一体説の「一体」を擁護する意味が働いたためだったのだろう。

唯名論 nominalism 、実在論 realism はラテン語が表されているが、それは西欧近代思想がラテン語族とゲルマン語族によるラテン思考が基礎となって促進されたことを意味する。また三位一体説を否定されながら促進させた西欧近代思想なのだが、三位一体説があったから促進できた西欧近代思想なのでもある。三位一体説が普及していたから、その「普遍」についての考え方から知識改革に乗り出す人々が意見交換をし、徐々に西欧近代思想へと向かえたのでしょう。



4世紀にはアリウス派の理神論的思考の可能性は、三位一体説の普及によって追いやられました。そして信仰と理性の対立が考察されるようになった中、17世紀にはパスカルが繊細的精神と幾何学的精神に区分しましたが、スピノザの「エチカ」では、その幾何学的精神に相当する理神論的思考で記される至り、三位一体説的な思考とは全く無縁となっています。

しかし「エチカ」にも繊細的精神は潜んでいます。定理やら証明とかで説明しつくされているため気付かない場合が多いのだが、それは単なる合理主義の風潮を利用した説得形式の結果と見た方がよいでしょう。スピノザは三位一体説の偏狭な思考に反対すると同じように、他愛主義、禁欲主義、性悪説、自由意志論など、人々の行っている思考形式に疑問を持って理論を組み立たに過ぎません。スピノザの場合は、デカルトのような合理的"演繹"ではなく、人々の行っている思考形式の状況を見た繊細的精神でまとめたものを示すために、幾何学的説明で埋め尽くした「エチカ」なのです。中でも「エチカ」第三部(特に定理19〜49)に、その繊細な精神の典型が認められるでしょう。

現代流通している心理学や社会学の内容と比較しながら、スピノザが何を見て「エチカ」に至ったかを想像すれば、わかると思います。現代の理論はたいてい「実証」の名で隠されているので表面化していませんが、スピノザよりずっととぼけた合理的思考が乱用されています。むしろスピノザの場合は「実証」でないがゆえに、逆に偏狭な合理的思考の理詰めのように分類されてしまっていますが、問題は思考形態論の有無にあります。「エチカ」が思考形態論を使用して記されているのに比べ、現代の実証理論の場合は、思考形態論は全く未熟のままに、お仲間に誉めて頂ける自らの思考形態を無意識に使用しているに過ぎないのです。

まあ、いつしか整った思考形態論が普及した際には、その現代の心理学や社会学の実情も、広く知られるようになることでしょう。また「エチカ」第三部にフェスティンガーの「認知的不協和の理論」などが組み合わることによって、広く知識社会学あるいは知識歴史学への応用も進められる時代になることでしょう。



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