思考の社会学 〜心理学革命〜
「発展」と「変化」 歴史観の分岐点
2010/07/02 16:56

近代歴史学の始まりとは、おおよそ19世紀ドイツのランケと位置づけられている訳だが、一方で同時期にはヘーゲルの歴史哲学も話題になっていたドイツである。ランケは「発展」や「進歩」を通して歴史を解釈する歴史観から離れようと試みたが、ヘーゲルはその歴史観を体系化しようとしていた。

そこでヘーゲルについて簡単に言っておけば、それは哲学者として歴史学をこじんまりとした形で自らの哲学の中に包み込んでしまう方法と喩えられる。[定立テーゼ]と[反定立アンチテーゼ]の止揚される弁証法から発展段階的な歴史観を作り出し、その実際はこじんまりとした歴史観を、まるで全体を包括しうる現実観のごとく思い込んでしまったのだ。

その自らが抱いていた弁証法的歴史観自体を[定立理念]としてとらえ、以後、[反定立理念]との出会いで総合止揚されうる事柄と自覚していたのであるならば、決して充分ではないのだが、まだ視野が広がっていたであろう。ただ目立つ弁証法的止揚と思われる歴史的事柄のみを拾い上げ、全体的歴史の弁証法的発展かのように描くことに満足してしまい、他の目立たなかった理念の幾世代も潜り抜けてきた歴史的経過などが映されないのであって、全くランケがへーゲルを敬遠したのも尤もである。

ヘーゲルの発展段階的な歴史観とは、勢力があり目立つところの正統的な理念だけをいつま[定立]と名付けておいて、それが崩れ変化した際に台頭した理念については、それを[反定立]との交渉により止揚された理念と解釈すれば事足りると見なす、まるで選抜知識階級の座談会のみに限定された歴史の理論と言ったものにすぎない。その[反定立的]と呼びうる勢力が増すに至った様々の要因を説明しようとする場合にも、相当数のあらゆる角度から考察しえること、またかなり古くからの目立たない歴史経過が深く関係していることなど、ほとんどそれらに関心を示す必要性さえ感じていない。

弁証法については、あくまでも論理学の領域に留めておくべきであったろう。ヘーゲルが行ったように、歴史変化を包み込むかのように法則化するべきではなかったのだ。ヘーゲルは世界史の個々人の精神形態を拾い出しては、その時代的個人精神の段階的形態論を仕上げ、そして一般的な時代的個人の発展傾向を全般的な歴史観の根拠としてしまった。ヘーゲルは汎神論的立場で「神の自己展開が歴史」と見なしていたように感じられるが、しかし同じ汎神論の立場としても「歴史的展開が神」と言うことが出来たのである。ランケの表現を借りれば、「各々の時代は直接神に属する」という言葉を残している。

ヘーゲルは自らが歴史哲学を説いている時、その自らの歴史哲学自体が歴史上の一時点の一理念と自覚し、同時にその周囲の賛成や反対の人々の状況についても歴史上の一時点の一反応と見ながら、随時、すべての変わりゆく出来事こそに、神の内にある歴史的展開の一つと見る必要があったであろう。旧約聖書「創世記」の冒頭を見れば、神は天と地を作ったが、時を放してはいない。むしろ時の流れの中に神がいる形である。そのためヘーゲルの歴史哲学のような理論づけになってしまったことも、キリスト教文化の伝統からすれば仕方なかったと言わなければならない。いずれにせよ、ヘーゲルの歴史観には時間の流れは充分に考慮されずにいたため、自らの抱く歴史観の内容に、実際の歴史的位置付けが自覚されなかったのである。

またヘーゲルの歴史哲学の影響を受けたマルクス主義の史的唯物論の場合には、ヘーゲルによって全体的現実観のように宣伝された、実際はこじんまりとしたところの弁証法的発展の歴史観に、政治経済や階級などなどが結びつけられた理論となっている。確かに社会変革のための方法論的理論ならば、まだ認められるのだが、存在論的な立場からの全体像を差し示す歴史観としては、相手にもしたくない内容である。

要約すること、ヘーゲルとマルクスのこじんまりとした歴史観の特徴とは、【変化】と記しておけば広域な研究領域を保てたところを、わざわざ【発展】や【必然】の意味合いを含ませたことにある。フランスのコントの、実証主義に近代的発展を見る社会学や、イギリスのダーウィン主義の【進化】といい、19世紀からはこじんまりとした解釈図式の枠組みを、まるで壮大なる全体像を表しているかのごとく、自らの解釈図式を点検することのない実証主義の指導役に奉ろうとする勢力が増してきた西欧なのである。

何故、【変化】を基本として、その自ら説いていた【発展】について点検しえなかったのだろうか?一応、無機化学変化のような可逆的変化とは区別したいと言う意図もあったのであろう。しかしそれは新たな理論を普及させるためには「発展」の意味合いを含ませておいた方が、その新たな理論を支持する人々にとって心地よいからであり、新たな話題の先導役にも就きやすく、かつ時代の流れに乗り遅れまいと人々が群がってくれる傾向にあったからである。発展段階の評価表みたいものを自ら作成しながら、他者の段階を低いものと評価づけするような効果を内に秘めている理論でもある。不可逆性を示すにしても、わざわざ「発展論」とか「進化論」といった発展段階の意味を含ませる必要は必ずしもなく、もっと「不可逆性形成論」に近い用語へと工夫し、"形成された外的要因"についてのきめ細かい未知なる研究領域の余地を意識しておくべきであったのだ。また内的変化については、古い段階あるいは低い段階と比較させるための高次化した発展段階を前提として話を進めるのではなく、すでに発展段階の仕組みが昔から用意されていたものと前提し、脈々と引き継がれてきたところの生命志向の変化と見なすべきであったのだ。

たとえばコントの「神学的段階」「形而上学的段階」「実証的段階」と命名したが、そうではなく三つの段階を理念的段階のそれぞれの形態と前提し、その理念(命名された意味に限定された理念ではなく、その段階における実際の全般的な理念のこと)を抱いていた人々の社会学的かつ歴史学的考察を、ランケの「各々の時代は直接神に属する」の立場から施す必要があるのである。

進化論については、どうか。極端な喩えになるが、それはまるで「種が進化して花になった」と説明するようなもので、"植物"を見ない理論に思えてしまう。種が花になることについて考察する際、もっと人間の理性にとっては漠然として解明仕切れないのだが、ある一つの脈々と引き継がれて行く統一された植物自体の仕組みのようなものを前提とする必要がある。それは個体に限らず、代々引き継がれてゆく系統的種属の問題にも当てはまるのである。

まとめること、「発展」や「進化」とは、「時間的形態変化」についての、ある一つの解釈図式にすぎない。確かにヘーゲルの行った、理念の弁証法的発展である歴史哲学も、その解釈図式の明示化という点では、色々と後世へ影響を与えて一種の貢献を果たした。しかし安易な総括的現実観のまま、社会的学術活動満足してしまう理論づけでもあった。それを避けるためには、歴史学を学ぶ者自身が、いつも自らが歴史学を学んでいる「今・ここ」という意識と共に、歴史的時間空間の解釈図式内にも、その「今・ここ」が位置付けされ続けなければならない。



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