思考の社会学 ~心理学革命~

人それぞれ、様々な個性的思考のもと、論議し生活している。我々は人々に影響を与え、影響を受け、時代が変わってきた。 そんな様々な思考が交錯することで生じる時代変化など、心理学的にまた社会学的に考察する。

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神様は ひとりぼっち




私もあれこれ旅をして来ましたが、どうやら神様はいるようだ。

しかも神様とやらは、一人らしい。

何やら人々が「神がいるとか、いないとか」と争ったり、あるいはそれぞれ各人が信じる神をもとに、宗教戦争など起こしたことも、じっと一人で眺めていたと、私は聞いている。

もちろん、「今、ここ」の状況もすべて見つめているらしいから、たいした者だと想像できる。

全く神様もそれだけの偉大な能力をお持ちであるならば、いい加減、見てばかりいないで姿を現し、僕らのいざこざをきっちりと仕切って貰いたいと思うのだが、それは無理らしい。

神様は、きっと、とても恥ずかしがり屋な女神でありましょう。しかも人間が女神様自身のことを疎かに暮らしている間は、いざこざが絶えないようにと、はじめから人間自体をそのように作って置いたと思います。

私の結論が出ました。

神様は、いくら我々があたりを探そうとも姿を見せないほどに恥ずかしがり屋で、しかも我々が知らんぷりをしていれば混乱が生じるよう巧妙に策略を凝らしたほどに寂しがり屋なのであります。




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  1. 2020/01/02(木) 03:04:05|
  2. 哲学
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思考形態の世界史




我々は世界史の知識を大なり小なり人それぞれ抱いている。しかし世界史的知識を抱いているという現実自体が、実は実際の世界史的事実に含まれているにもかかわらず、互いにそれに触れず生活しているのだ。

つまりプライベートな知識所有の実態に触れず、もはや伝統的なパブリック的教育の場に限定された知識検定の道具として、自らの知識を歴史の外に置きながら歴史を解釈する態度が身に付いた。それはまるで 「アキレスと亀」 のような自身の知識に流れている時間を知らないで、知識内で歴史をいじくり回すのとよく似ている。


そんな世界史的知識状況にたいして、ヴィーコの 「新しい学」 で、ようやく言語は歴史を説明するための道具に限らず、言語の使用自体が歴史的現実だったとして考察されるようになった。

ただし、まだまだヴィーコの場合は、歴史的現実を検証するためだけに言語の歴史を考察するに留まっていた感があり、各人の言語使用による社会的状態の恒常化という、歴史的に様々に点在する各時代各地域についての社会学的観点が弱かった。それを補い始めたのが、一つにウェーバーのプロテスタンティズムの倫理による資本主義社会の恒常化に認められる考察方法である。

やがてウェーバーが宗教社会学を目指すようになったのも、プロテスタンティズムの倫理からの全般的な世界史への拡張であろう。ここでは西欧のみを中心に扱った訳だが、一応ウェーバーの包括的世界史も念頭に置いた方法と理解していただきたい。

その代わり、知識所持の現実(知識とは必ず人間によって抱かれている)について、ウェーバーよりは、【互いに評価し合いながら進行する所属集団内の状態恒常化や変化推移の因果的連続性】を示唆できたと思う。つまりプロテスタンティズムの倫理とは集団内の互いに評価し合う評価尺度の変化であり、それが新たな資本主義へ変化した訳である。ウェーバーは経済倫理と宗教の関係に集中していた感じだが、ここではもっと広い互いに評価し合う【評価尺度】の理念的歴史へと広げ、特に古代ギリシャの【知の評価尺度】と古代ローマの【公共性の評価尺度】で比較検討を試みることになった。

現代社会の流布しているたいていの心理学や社会学とは、自らの方法や理論が歴史的に限られているにもかかわらず、その自らが人々によって評価され評価している現実には触れない理論ばかりである。そうした非公開な理論の流通実態を自覚させる意味で、ここに新しい知識歴史学が始められたのである。




ヴィーコの理念史
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ギリシャ思考形態
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旧約聖書
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ヘブライ思考とギリシャ思考
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ローマ帝国とキリスト教
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三位一体説と理神論
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ギリシャ語とラテン語
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イギリス自由観とフランス自由観
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フランス啓蒙主義とドイツ歴史学
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知識論的解釈
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「発展」 と 「変化」
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国民性の歴史学的分類
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汎神論的歴史観
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世界史の中の明治維新
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  1. 2020/01/01(水) 23:42:45|
  2. 現代思想
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心理学が人々を選別してきた歴史 ~心理学者たちの麻薬散布が世の中をダメにした~



分析利権のフロイト・チルドレンたち

前向き教が行った心理学指導権の獲得

心理学者が大切にしている旨味のツボ

心理学散布という社会現象

心理学で獲得維持される指導権

品質よりも自己君臨が大事

犯罪解説による自己利権の隠蔽工作

心理学資格へのぶら下がり

ライ麦畑の精神科医

公害づくりは美味しい仕事づくり

「社会」 の使用方法が自己君臨の秘訣

機能主義的思考の正体


主要心理学概念の発生

「孤独な群衆」 ~伝統志向と自由志向~

オーストリア・ナルシシズム論

イギリス・母子関係論

アメリカ・アイデンティティ論

血液型性格判断がつくった性格


心理学革命のための社会観察

心理学者は因幡の白うさぎ

譲れぬ思考

天才論からの心理学革命





心理学のからくり ~すっぱいぶどう~



この世は、どうやら気に入らない他者の発言について【心理的な正当化】と解説し合う場。

全くどこからやってきたのか、心理学者という専門家が審判役で登場する。

そんな審判役をこっそり第三者的に認められた者として演出している社会構造こそが、やがて来る心理学革命の要であって、個人の詳細吟味の追究ではありません。

いずれにせよ、今度生まれてくる際には、特殊な馬鹿ではなく、人並みの馬鹿に生まれて心理学者にでもなってみたいものです。



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  1. 2019/12/31(火) 23:09:39|
  2. 哲学
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日本左翼のダメ元憲法論による時間稼ぎ




「憲法は政府を縛るもの」という憲法論と九条護憲論の癒着構造について。

憲法には「政府を縛る条項もある」と表現せず、その特定条項を拡大解釈して一般化させた「憲法は政府を縛るもの」という表現(彼らは言論の自由でダメ元の偏向報道を行う)によって九条護憲を前提とした自己監視役に役立てているのである。

たとえば韓国の第六共和国憲法(1987)は、どちらかと言えば「政府を縛るもの」の傾向によって改憲されたものであるが、それは与党・護憲保守と野党・改憲改新の議論の中、かつ国民投票を通して行われた結果である。

しかし日本の現行憲法は国民投票を通さぬ改憲結果であり、かつ改憲条項に国民投票を要するとされており、それに「憲法は政府を縛るもの」が群がって九条原理主義を主張しているかのようである。(改憲保守と護憲改新という逆転構造の日本)

韓国の国民投票(民主化改憲の傾向)を通した1962年以降の改憲の内、1987年の大統領直接選挙化は民主化傾向の改憲、1969年の大統領三選化と1972年の大統領選挙非直接化は寡頭化傾向の改憲であった。(軍事クーデターや暗殺後の1962年と1980年の改憲は、混迷状況収束の寡頭化と与野党対立の緩和の民主化という両面があり、詳細吟味の必要あり)

改憲を重ねて来た過程における漸進的な民主化の傾向から「憲法は政府を縛るもの」という意見に一理あるのだが、その意見の主張には常態スタンダード化した時期の根拠説明を示す必要がある。たとえば名誉革命を終えた十八世紀のイギリスや十八世紀末のフランス革命に支えられた考えであるのか、それとも韓国の1987年憲法改正や中国の1989年の天安門事件に認められる民主化要求という、ここ二、三十年の話かということである。

しかし実際は、九条護憲を前提とした万年政府叩きを職種とする自己監視役の椅子のためにこしらえた風評基本論にしか見えない。自らの「憲法は政府を縛るもの」を憲法の基本としながら「政府は基本をわかっていない」とし、自らの基本論の説明責任を果たさないまま、自らの土俵に上げようとし続けているに過ぎないのだ。

少なくともフランスの第五共和国憲法(1958)は第四共和国憲法にたいして大統領権限を増した改正と見られている(大学受験における高校世界史)のであるから、「憲法は政府を縛るもの」の基本を主張する自称憲法学者らには、そのフランス憲法に関する見解と現在の持論「憲法は政府を縛るもの」の関係を示す説明責任があろう。

(いやはや自己監視役のための持論であるから、「政府の説明責任」を連呼することによって自らの説明責任を隠して来たのであり、これからも隠し続けたいのだろう)



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  1. 2016/02/01(月) 00:00:00|
  2. 他人事天国
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